天使のような君を見た時、俺は思わず神を信じた



「フェリオ。」
 名を呼べば、振り返る彼の顔に残る傷跡。
 想いを知らず、フェリオは唇に僅かな笑みを浮かべて脚を止めた。彼の屈託のない笑顔を見たのは、いつだっただろうか、フウはふいに思う。
「どうした?」
「いいえ、ただお呼びしただけですわ。」
「なんだ、そりゃ…。」
 クスリと笑えば、複雑怪奇な表情を見せる。こちらの考えを推測しようとして、多分断念したらしい。
「…此処から先がもう保たない、と俺は思っている。」
 フェリオが城に忠告に現れてから一週間過ぎていた、収穫するべき(実)はもっと奥にあるが、何度も崖崩れや地滑りを起こす、この場所を通らなければならない。
 収穫の時期は近付いてきている。フウは、判断しなければならないのだ、実をとるのか、安全をとるのか。
「時間的な事はいかがですか?皆を納得させられる正確なものはわかりませんか?」
「…それは無理だ。」
 フェリオはフウを見つめる。
「此処は人間の都合で動く世界じゃない。それでも…強いて言うのなら、期間は今すぐから…十日の間だ。」
「…一番の収穫期が完全に入ってしまいますわ。」
 フウは眉を顰め、思案の表情をみせる。それを見遣り、フェリオはふっと息を吐いた。
「ならこうしよう。お前が収穫を優先するなら、俺はその間此処で見張りを続け、危険な時は避難させる…これでは駄目か?」
 フウは表情を曇らせたまま、首を横に振る。 

「おい、フウ…?」
「私はこの国の王女として国民を守る義務がありますわ。危険だとわかっている事をお願いするわけにはまいりません。」
 強く言い切るフウに、フェリオはもう一度息を吐く。
「…わかった。お前の判断にまかせる。」
「ありがとうございます。」
 
 フェリオが崩れるというのだから、間違いはない。それを疑う気持ちなどフウには欠片もなかった。だからこそそ、国民を危険な場所に踏み入れさせて良いはずがない。外貨を稼ぐ事が出来る、大事な収穫だけれど、命を天秤にかけるほどのものではないはずだ。
 失った命が返ってくることなどないと、幼い頃に心に刻んだ。
 ふたりきりの大冒険繰り広げたこの場所はまた、フェリオの父親が命を落とした場所でもある。
 状況は今と似ていたのだろう。
 長雨の後、止められていたにも係わらず森に入り込んだ村人を助けようとして、土砂に飲まれたのだと聞き及んでいる。フェリオにしたところで思うところはあるはずだ。それでも、自分が王女として判断すれば、彼が異を唱える事などないとわかっていた。
 絶対の服従などフウが本当に望むものではない。
 命令など背いてもいい。たった一人の味方などいらない。それよりも失いたくないものがあるのだと、声を大にして言いたい時がある。それでもフウが態度を崩さないのは、フェリオが王女としての自分を信頼してくれているからに他ならなかった。

『…フウは天使みたいに笑ってくれなきゃ困る。』

 泣きやむ事が出来なかった私の手を握って、フェリオの方が悲しそうな顔をした。
 怪我をしても叱られても涙ひとつみせなかった彼を見て、私は小さな決意をしたのだ。
 もっと強くなりたい。己の無力さ故に、誰かが傷つくことなどあってはならない。
 
   ◆ ◆ ◆

 フウが胸元で腕を交差させながら右手の人差し指を、薄く開いた唇で噛む。考え事をする時の彼女の癖なのだけれど、妙齢の女性の仕草としては艶がある。
 思わず目を奪われそうになり、フェリオは苦笑とともに顔を逸らした。

どんなに焦がれても、彼女は王女。何度そう言い聞かせてきただろうか。

 好きだと自覚する度に、彼女を危険な目に遭わせた出来事を思い返す。自分の命など惜しいとは思わない。けれど、あの時彼女の笑顔を永遠に失っていたかと思うと、足元が崩れ落ちるような気分になった。
 今だってそうだ。危険を知らせる本能がざわついている。こんな場所に、フウを置いておくこと自体許せない情況だ。たが、隣で真摯な表情でいる彼女を邪魔する事が出来なかった。

 フウは、常に美しい笑み浮かべながら、重責を担っている。

 どんなに守ってやりたくても常に自分では力不足で、それは幼いあの時から変わってなどいないのだろう。
 フェリオは、そうして思考を止め、親指と人差し指で輪を作り唇に当てる。鋭く高い口笛が周囲に響いた。と、今まで何処にたのかと思うほど早急に、天空に鷹が姿を見せた。
 樹々の間から頭上を旋回する姿を確認し、フェリオはもう一度フウに向き直る。
 彼女は未だに、眉間を寄せ考え込んでいる。自分に一任してくれれば済む話なのに、優しい彼女の心が不憫にすらなった。もっと冷酷になれれば、フウは楽になるのだろうか。
 天使のような女にそれを望むのは、どうかしているのだろうけれど。
 
「フウ…。」
 
 まるで夢から醒めたような表情で、フウがフェリオを見つめる。
そうして、はいと柔らかく微笑んだ。
「戻ろう。此処でお前が思案していても、どうなるってもんじゃない。」
「わかりましたわ。では、私を城まで送ってくださいまし。御礼にお茶でも御馳走致します。」
 しかし、ふるりとフェリオは首を横に振る。
「勿論送っては行く、でも城ヘ上がり込む気はない。
 城の従者達に囲まれてお茶を飲んでも喉を通りそうにないし、だいだい、この時間じゃ、お茶じゃなくて晩餐だろう。」
 クスリと密やかな笑いがフウの表情を彩る。「たまには良いではありませんか?」
「そんな気分にはなれない、俺は…。」
 天使の笑顔は物騒な笑顔に変移していたが、フェリオは気付かない。(帰るぞ)ぼつりとそう呟きフウを即すも、彼女は動かない。
「貴方は私を送り届けでから、此方へは戻っていらっしゃるおつもりなのでしょう?」 
 あっと息を飲むフェリオに対し、フウは笑みを崩さなかった。
「フェリオが此処へ戻らないと約束して頂けるなら諦めますわ。」
「…お前は俺から仕事を取り上げる気か…。」
「そうですわね。」
 う〜んと唇に指をあてて小首を傾げる。そして、パッと顔を明るくした。
両手を胸元でぱんと合わせる彼女は満面の笑顔。
「でも父上はいつでも貴方を養子に迎え入れると息巻いておりますから、剣士でも庭師にでも、それこそ王様にだって何だってなれますわ」
「それこそ(良い考え)みたいに言うな!」
 こうなってくると、勝てるような気がしない。いや、勝てた試しがない。
「暫くはお仕事がなくなるのですから、良いと思うのですが?」
「お前…!!フウ…!、何を考えていたかと思えばそんな事「そんな事ではありまません。」」
 ぴしゃりと言葉を封じ、フウはフェリオを見つめる。柔らかな翠の瞳は譲れない強さを秘めて彼を見つめた。
「貴方も私の大切な国民のひとり。森に入る事、今暫く禁止と致します。」

 凛と言い放ったフウに、フェリオは目を見開いた。





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お題配布:確かに恋だった


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