天使のような君を見た時、俺は思わず神を信じた



「フウ王女。」

 呆れた表情でフェリオは後ろをついてくる姫君の名を呼んだ。脚を止めずに振り返れば、やっと気付いた様子でニコリと微笑んだ。つんとドレスの先を摘んでお辞儀までしてみせるフウに、フェリオは一気に熱が上がったような気がして、思わず額に掌を当てる。

「申し訳ありませんが、常々私の事は『フウ』と呼んでいただけるようお願いしておりますわ。」
 だから、今そんな話をしている場合じゃあないだろうとフェリオは、内心頭を抱えながら、背後に呼び掛ける。
「だから、…フウ王女。」
 答えは無い。けれど、振り返れば笑顔のフウ。
「…。」
「王女。」
「…。」
「フウ…。」
 王女とつけるべき敬称を彼女はとても嫌がるのをフェリオはよく知っている。特別扱いをされるのを殊更嫌がるのもわかっている。だからと言って、自国の王女を呼び捨てになど出来ないだろう。
 けれど根負けするのはいつも自分。彼女は自分の数倍頭が切れるから、とても言葉で対抗することが敵わず言いくるめられ、最後には呼び捨てにしてしまうのだ。
 昔の、幼かった頃のように。
 それでも、幾ら幼馴染みでも自国の王女に対して無礼だとの分別は付く。フェリオとてもう子供ではないのだ。彼女だとて…と思うのだが、フウの態度は変わらなかった。
「…いつまで付いてくる気だ?」
「お気になさらないで下さい。私も森の散歩を楽しんでいるだけですので。どうも、向かっている場所は同じようなのですけれど、きっと偶然ですわね。」
 不思議ですわねと小首を傾げる。
 どんな花よりも美しい笑顔でフウは微笑み。全てを有耶無耶に流してしまおうとする。それだけの威力はあるのだから、始末に負えない。

 こんな森の深淵に入り込んで散歩もないだろうに。

 だいたい彼女の服装はどうだ。纏うドレスは常にシンプルなものが多いけれど、今は完全に村娘が着るものと大差ない服装だ。どう考えても、城内を闊歩する為ではなく、足場の悪い場所を歩く気満々だ。
 それでも、彼女の気品に揺るぎを感じないのは、内なる美しさか、惚れた弱みか。
 フェリオは肺の中に溜まった空気と苛立ちを全て吐き出すべく、大きな溜息を付いた。そんな様子に動じることなく、フウは変わらずニコニコと笑っている。

 長雨が森に異変をもたらそうとしていた。

 しかし、今はその兆候は見え隠れする程度で、実際には何の被害も出てはいない。それでも、出てからでは遅いのだからとフウに相談を持ちかけた事を、フェリオは酷く後悔していた。
 まさか、森までやってくるとは思ってもいなかった。
 彼女が民の危機を黙って見過ごせるような性格でない事も、よく知っていたというのに、自分の甘さに腹もたつ。
「常よりも、緑が濃い気が致しますわね。」
 周囲を見回して、フウが暢気に問う。それが危険な証拠なのだとフェリオは知っている。
「森全体の湿度が高いんだ。遠方の景色も酷く近く見えるから、またすぐに雨が降るだろう。だから…。」
「急ぎましょう、フェリオ。」
 城へ戻る気が全くない様子のフウに、フェリオはもう一度大きな溜息を吐き。そして、急ぐぞと声を掛けた。
 こうなってしまった以上、フウを守り通すしかない。奇しくも、幼い頃にそう誓った場所に二人は向かっているのだ。

        ◆ ◆ ◆ 

 フェリオの脚が少し遅くなる。
 ぬかるんだ場所に脚を捕らえられるからでも、疲労からでもないのがフウには良くわかっている。山歩きなどに慣れていない私の為に、ゆっくりと。けれど、その事で私が余計な気遣いをしないように無言で行われる。
 自分が王族だからと、手柄を欲しがるようにわざとらしくしてくれれば、嫌いになってしまえるのにとフウは思う。そんな人間は、回りにいくらでもいた。
 だからこそ、彼は優しく、それ故に残酷だ。
 言葉もなく歩いていれば、禿げた山肌から輝石が頭を出しているのを見つけた。途端蘇ってくるのは想い出で、前を行く彼の姿が、幼い頃と重なっていく。
 気が付いた時に、自分の横にはフェリオがいた。
 幼い子供にとって皇女という身分は全く意味のないもの。顔を合わせて笑い合えば、其処にはなんの隔たりもなく、ふたりは仲の良い友達でしかない。

「フウ!」

 あの日も、フェリオは父親に連れられて城へ赴いていた。
 息を切らして走ってくるフェリオの手には、いつも不思議なものが握られている。今日は一体なんだろうと、ワクワクしながら彼の手を見つめた。
「ここへ来る前に、父上に連れられて森に行ったんだ。」
「今日はご報告にいらしたんですね、で、それは何ですか?」
「えへへ」
 指で鼻を掻く仕草は酷く得意そうな表情で、期待は一気に高まっていく。
「ほら」
 その日、フェリオの掌にあったのものはキラキラと輝く石だった。硝子成分の入った石は『輝石』と呼ばれるもので溶岩が固まったもの。これが見つかるのは、火山灰をその地質にもった場所にあるという。最も、フウの知識は本で読んだだけのものだ。
「綺麗だろ? 絶対フウが気に入ってくれると思って持って帰った。まだまだいっぱいあったんだぜ。」
 それ自身が、琥珀のような綺麗な瞳を輝かせるフェリオ。そして、彼の手にある綺麗な石。どちらも、どれほどに魅力に映ったことか。
 ドキドキと高鳴る胸を抑える事が出来ない。
「さわっても、いいですか?」
「ああ。」
 得意そうな顔をして、でも何でもない事のような仕草でフェリオは手にそれを乗せてくれる。彼がずっと握りしめていたからか、ほんのりと温かい。
 両手に乗せたまま、その腕を上下に動かせば、窓から入ってくる光を捕らえて虹色の輝きを見せる。舞踏会で大人達が纏う貴金属よりも数倍綺麗に見え、ふわぁと自然に開いていく唇に、フェリオが笑う。
  嬉しくて嬉しくて仕方ない。そんな風にフェリオは頬を紅潮させる。
「きれい…。」
「だろ? でも、あそこにはもっと大きな石もあったんだ。こう、フウが椅子にして座れそうな位な奴」
「まぁ、フェリオいけませんわ。こんな綺麗な石に座るだなんて。」
 私は少しだけお姉さんぶって、フェリオを諭す。そうすると、彼は少しだけ不機嫌そうな顔になるのだ。
「そんな事しないよ、ただ。それくらい大きいって言いたかっただけだ!」
 むっとしたフェリオの顔を見ていると、可笑しくなってクスクスと笑った。彼にそんな悪意などないとわかっている。
 それでも、私は膨れたフェリオの顔も見たくなって、そんな事を言ってしまうのだ。
「なんで、笑うんだよ!」
「だって、フェリオがムキになってるから。」
「ムキになんかなってない! フウが意地悪な事言うからだ!」
 姫様と跪かず、私の目を見て本気になってくれるのは、幼い私にとってフェリオだけだったのだろう。だから、私は、彼のそんな顔を見たかったのだ。
 でも、ぷいとフェリオは私に背を向ける。
「せっかく、フウも連れていってあげようと思ったのに。や〜めた!」
 途端私は、酷く悲しい気持ちになる。背中は拒絶。上手にご機嫌をとればいいのだけれど、自由に森を走り回っているフェリオを羨ましいと思っている分だけ悔しい気持ちがして、ほんの少しだけ素直になれない。
「…ごめんなさい。」
 スカートの裾をぎゅっと握って俯いてしまうと、しかし慌て出すのはいつも彼だ。
「う、嘘だよ。嘘に決まっているだろ! お前を泣かせるとウインダムにつっつかれるからな、うん。連れていってやる。約束だ。」
 頬を染めて、折れてくれるのはいつも彼だった。調子の良い私は、途端に笑顔になるから、フェリオも笑う。
「連れていってください、フェリオ」
 私がそう言って手を差し出せば、フェリオはぎゅっとその手を握ってくれた。
「うん、フウも手を離すなよ。」
「はい。」
 フェリオがいて、私がいて。幼い私達の世界は、それで充分幸せだったのだ。



    「…懐かしい…な。」
 同じ思い出が浮かんだのだろう、振り返りもせずに告げられたフェリオの台詞に、フウは頷いた。
 遠目に写る緑の山々の中。未だに赤茶けた側面を見せる山麓が懐かしく、だからこそ胸を締め付けられる思い出を内包した場所。本当は、直ぐに彼との距離を詰め、ギュッとフェリオにしがみつきたくなる。
 けれど、そんな事すら実行出来ないほどに、私は子供でなくなっていた。伸ばしてしまいたい指先を己のもので絡めて、そうして心まで絡め取って動けなくなる。
 こんな時、大人になるという事がどんなに不自由なものなのだろうかと恨めしくなる。と同時に、配慮ひとつない子供の自分にも辟易してしまうのだけれど。

「フウ。」

 名を呼ばれているのだと気付くのが遅れて、返事をするまでに時間が空いた。「はい」と答えて、顔を上げると眉を歪め、額に皺をつくったフェリオが片手を差し出している。
 それに眼をやり、再びフェリオの顔を見た。紅潮した頬ではあるけれど、困った表情だと思った時には、彼の手が自分のそれを握っていた。眼を見開いていれば、背を向けられ歩き出される。
「フウも手を離すな。」
 ボソリと呟いた言葉も思い出のまま。
はい。と、これもまた、思い出の返事をして、フウは思う。今もまた、フェリオがいて自分がいて、此処はふたりだけの空間なのだと気がついた。



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お題配布:確かに恋だった


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