駆けつけた病院。 消毒液の匂いが漂っている病室の白いベッドの上、顔の半分を覆った包帯が痛々しかった。赤黒い塊が幾つも薄茶の髪に付着していた。 「花村…!」 静寂に包まれていなければならない場所で、鳴上は思わず声を張った。 白いシーツに包まれ、白い包帯を巻かれ、白い服を着せられた、白い顔の花村。 連絡を受けてから、下がりつつけた血の気が自分に幻覚を見せているのではないかとすら、鳴上は思った。 「鳴、上…。」 呼び掛けに反応し、瞳を開いた花村が腕を上げた。 どうしたと呼び掛け覗き込む顔をひたりと見据え、しかし鳴上に向け伸ばしかけた腕を、ゆっくりと引く。 花村の行動に疑問を感じながら、もう一度呼び掛けた。 鳶色の瞳が、揺れる。 「…花村。」 「平気だ。心配掛けてごめん…。」 ごめんな、相棒。 そうして、花村陽介は顔を歪めながら微笑んだ。 劇場で産まれた罪人(1) その日も普段と変わりない一日だった。 テレビの中に入り、特別捜査隊などと自称する事が普通なのかと言われればそうではないのだろうが、今は仲間達にとっての日常だった。 けれど、その日に限っては逸脱した日常にすら関与はしていなかった。 授業を終え、ジュネスのバイトに勤しむ花村と別れたのは猫に餌をやった後だっただろうか? 夕暮れに映える薄茶の髪を見送って、鳴上は堂島家に帰宅した。その後は夕食を作り、明日のお弁当はどうしようかと考えた。 花村の事を考えていたのは、奇しくも…という事なのだろうか? 昼休みに、屋上で弁当を与えた際の満面の笑顔と、ぶんぶん振り回す尻尾が見える彼の様子を見るのがたまらなく楽しい。 (ジュネスの弁当ばかりだから)と口にして、包みを見せただけで唾を飲み込む相手に妙な保護欲が沸く。男同士なのだから、守ってやりたいとかではないのだけれど、大切にしたいとは思っている。 自分から口に出す事は少ないが、本当に大切な相棒だ。 何でもひとりこなすのが楽でスムーズだと信じていた自分にとって、彼とふたりで行動する事の楽しさは、まさしく(喜びは共に楽しんでくれる人がいれば倍)を体感している。悲しみが半分というのも、身を持ってわかった今では、知識というのは体感を伴うとより一層深くなるなぁという感動も覚えた。 軽口を叩き合い、それでも亡き人を想い顔を歪める花村の様子はいつも心の中に留まっている。 そんなに辛いのなら、忘れてしまえとは言えない。 友人として、ただ見守ってやることしか出来ない自分にもどかしさを感じながらも、花村の深淵でそっと微笑んでいる彼女には彼を解放してやってくれと願う事もあった。 ともかく、心に留めて置く出来事の多い友人。負担は少量だって減った方がいいはすだ。まるで、彼の心の隙間を埋めるように、弁当を作る。 肉じゃが…好きだよな。ふと、思い。クスリと笑う。 じゃあ、と冷蔵庫を開けた瞬間に携帯が鳴った。着信履歴はクマのものだったから、弁当予告を花村にして貰おうなどと、気軽にボタンを押した。 「もしもし?」 クマの絶叫が聞こえてくるかと思ったが、耳に入ってきたのはクマのものらしき啜り泣きだったのだ。 「どうした、泣いてるのか?」 『ヨースケが…。』 小さく細く消え入りそうな声が届く。 「よーす、花村がどうした?」 『ヨースケが…。』 同じ言葉を繰り返し、クマはひくりと喉を詰まらせる。嗚咽を必死に我慢している様子に、血の気が引いた。 「花村がどうした!?クマ!!」 叫び声に返ってきた答えは、花村は大怪我をして病院にかつぎ込まれたという言葉だったのだ。 ◆ ◆ ◆ 「…何があった。」 声が密やかになってしまうのは、此処がICUだからだ。 ベッドと向かい合う状態で、看護士の詰め所が設けられている。常時看護が目的の場所、自分達以外の人間の目がある。 「ドジッたんだよ。言わせんな、相棒。」 溜息を吐きだしながら、花村は怪我をした方の包帯を手で撫でる。 戯けた仕草と、とって付けたような笑みが酷く鳴上の気に触った。 「どういうことだ。テレビの…。」 中で怪我をしたんだろう。そう告げる前に、花村の指先が鳴上の唇に押し当てられた。こんな所で言うな、というリアクション。 わかっている。けれど、気になる。 「…電器コーナーじゃなくて、入口の…インフォメーションの横に大型テレビを宣伝用に設置したんだ、知ってるだろ?」 これには、素直に頷いた。 ジュネス内部の宣伝を四六時中流れているのを見たことがある。前にいれば菜々子がいつも口にする宣伝歌を飽きるほど聞いていられる上に、突発的な特売の宣伝もするので侮れない。 「あそこで片付けものをしていて、箱が崩れた拍子によろけて画面に手をついちまったんだよ。」 花村は本人が思っているほど隠し事が上手ではない。 嘘をつけば挙動不審になるし、目が泳ぐ。鳴上も上手ではないけれど、元々表情豊かとは言いかねるせいなのか割とすんなりと通るのだ。 だから、今、花村が嘘をついているのではない事はわかった。いかにもガッカリ王子の名に恥じない行為だけれど、何処か引っ掛かりを感じる。 不審が顔に出たのだろう、花村もムッとした表情になった。 「嘘じゃねぇよ。嘘だと思ったら、クマに聞いてみろ。」 「クマ、いないじゃないか?」 「お腹空いたとかで、自販機に行ってるんだよ。」 怪我人からお金巻き上げるとか、どんだけなんだよアイツと花村が文句を言っていれば、ペットボトルを何個も抱えたクマが姿を現した。 そうして、鳴上の姿を認めるとその全てを放り投げて、全力疾走の上にドンと身体に抱きついた。 「セイセイ〜〜!!!!」 がっしりと腰に抱きつき、オイオイ泣き出すクマの様子に部屋中の視線が集まった。 「どうした、クマ?」 「だって、だって、ヨースケ血がいっぱい出てて、クマは雪ちゃんみたいに回復できないし、クマ、クマ〜〜〜っっ。」 感極まって大泣きになるクマに、驚きの視線は剣呑なものへと変わっていく。 「お友達が怪我をして心配なのはわかるけど、此処病室だからね。」 顔見知りの看護士にそう告げられ、クマとふたりICU(集中治療室)の外へと追い出された。一応休憩室のような場所に案内されて、 (必死そうな顔、妬けちゃわ)と艶っぽい唇で囁かれ、なんとなく憮然とする。 そう、酷く心配したのだ。なのに、 胸に浮かぶモヤモヤの正体が掴めず、鳴上は眉を顰める。 意識もはっきりしていた。大怪我だとは聞いたが命に別状はないらしいとも来てホッとしたはずだった。 なのに、心の中に生まれたわだかまりが呼吸をおかしくさせていた。 「センセイ?」 不思議そうな表情で見上げる顔に、慌てて小さく笑みを浮かべる。 「クマは、花村はテレビに落ちるのを見ていたのか?」 ふるりと首を横にふってから、クマはテレビに手は吸い込まれていくのを見たと告げた。 「ヨースケとふたりで特設会場の片付けをしていたクマ。で、ガタガタッと大きな音がしたんで振り返ったら、ヨースケの手がテレビに消えていくのが見えたクマ。 クマビックリして、慌ててテレビコーナーに走って行って、入口広場からヨースケを探したクマよ。」 身体が抜けられるテレビでさえあれば、ペルソナを持っている自分達は中に入れる。これは確かだ。 けれど、入った場所によって何処に出るのかわからない。 最初にテレビに入った時も、クマに出逢う事が出来なければ永遠にテレビの中を彷徨っていた可能性もあった。 花村とふたり、無惨な死体を晒したのかもしれないという思いは背筋をぞっとさせた。 「りせちゃんには負けるクマだけど、ヨースケの匂いは凄くよく覚えていたから一生懸命探したクマ。同じジュネスのテレビだって事も、良かったかもクマ。 血塗れのヨウスケを見つけたクマ〜〜それから、それから!!」 自分がどれほどに頑張って花村をテレビの外へ連れだしたか、ジュネスに戻ってから、花村が倉庫で怪我をしたと口裏をあわせようと提案してそれにのった事を話し続ける。 なるほど、と鳴上は相槌を打った。思った通り、花村は嘘をついてはいない。 なのに何故、こうも違和感を感じるんだろう。 うんうんと頷き(よくやった)と褒めてやる。 何はともあれ、クマは本当に花村を、大事な友人を救ってくれたのだ。感謝しないわけがない。何度も頭を撫でて、よしよしと頷く。 クマはそのまま、 緊急に運び込まれてICUにいたが、明日には普通病棟に移るらしい事。彼の両親は先程までいたのだが、鳴上とすれ違いになった様で、幹部社員にまかせてきた「ジュネス」に戻っていった事などを話し続ける。 「ヨースケがいなくなっちゃうかと思って、怖かったクマ…。」 最後に鼻をすんすんと鳴らして付け加えたクマに、鳴上は大きく頷いた。 大切な人間を失いたいと思う人間などいない。失いかけた事のある人間なら尚更そうだ。 「俺も、花村が生きていてくれて良かったよ。」 クマに掛けたその言葉だけが、鳴上の腑に落ちた。 content/ |