恋愛のススメ 城に甘いチョコの香りが漂っている。 ザックはクンクンと鼻を鳴らし、その臭いを確認している相棒に「甘ったるい臭いだなぁ」と愚痴を零した。 成人男性は甘いチョコが嫌いなどと言う史実には、ザックには当てはまらない。そんな贅沢が言えるような職業ではないのだ。下手をすれば、三日間ブルーベリーとチョコで空腹を満たすなどという事など当たり前にすらなっていて、渡り鳥とはそういうものだが、今は恋人のいる酒場に入り浸りになっている時は、下腹部に少々気になる脂肪を溜め込む時もあるのが現状だ。 贅沢になったものだと、自分でも思う。 「でも少々焦臭くないか?」 ハンペンに告げられて、改めて吸い込んでみれば香ばしいというよりも、焦げ臭いといった香りが鼻につく。 「…だな…。」 黒ずんだ煙まで見えて来て、慌てて覗き込んだ厨房には、エプロンをチョコまみれにしたセシリアが鍋と格闘の真っ最中だった。 トンとザックの肩から流し台に降り立ったハンペンは、セシリアの手元を見て呆れた声を出す。 「直接、火にかけちゃ駄目だよ。湯煎しなきゃ。」 「湯煎ですか?」 きょとんとした表情に、ハンペンは呆れた様子で頭を振った。 「お鍋にお湯を沸かして、その中にボールか何かに入れたチョコを…って、お湯に直接チョコを入れるんじゃないってば!」 とぷん、とぷんと盛大な音を聞いたハンペンが慌てて止めに入る。 身振り手振りでの説明に、やっと厨房ではまともなチョコの香りが広がって来た。 「亜精霊の方の知識って凄いんですね。」 感心したセシリアの様子とは裏腹に、ハンペンはただグッタリと疲れ果てていた。特に何の手伝いも助言も出来ないザックは、近くに椅子を引っ張ってきて悪戦苦闘する一人と一匹を眺めていたが、おもむろに口を開いた。 「…で姫さんは、どうして急にチョコなんて作ってるんだ?」 視線がお焦げチョコに注がれてはいたが、セシリアはぽぉと頬を赤らめた。 「ロディにお渡ししようと思いまして。」 「ほお」 それ自体、以外な事ではない。あの天然二人が特別な好意をお互いに持っているのは、端から見ればみえみえだ。しかし、恐ろしい程にまどろっこしいふたりに、ザックは時々自分の知識を押し付けなくなる。 マニュアル本という訳ではないのだけれど、もうちょっと何とかならないものかと、一番に近くにいる大人として考えてしまうのだ。 「確かに今は、とても差し上げられるものではないのですけれど。」 ザックの視線が、失敗作の数々に向けられていると思ったのかセシリアはそう答える。べっとりと鍋に張りつき黒くなった物体はチョコとは思えない。 「で、でも、3月14日までには、上手くなってみせますから、任せて下さい。」 自信満々にポーズをとる姫に、ザックは顎の骨が外れそうな感覚を覚える。 「姫さん…3月14日って…?」 「大好きな方に、お菓子をお贈りする日でしょ?」 一欠片も疑いのない答えに絶句する。 「ロディに差し上げて、…その、好きとお伝えしようと思ったんですが。食べるのは自信があるんですけど、作るのはどうにも苦手で。」 頬や鼻先にチョコをつけて、えへへと笑う。可愛い仕草なのは認めるけれども、告げた内容に納得が出来ない。 バレンタインは2月14日で、とうに過ぎているはず。セシリアの言う行事はどう考えても、バレンタインのはずだ。 ザックはそれならばと(2月14日は)と聞いてみた。 「お友達同士でチョコを交換する日ですよ。学院でいつもそうしておりましたから。」 女だけの学校ならば、それは確かにそうだろう。でも、それ、間違ってるから! 「ち、違う…うん、違う。姫さん間違ってるぞ。そもそも、バレンタインは…!」 くんと腕を引かれて、ザックは慌ててそちらへ視線を送った。 がっしりとザックの腕を掴んだロディは、困った表情でザックを見ている。 「駄目だよザック邪魔しちゃ。じゃあ、頑張ってセシリア。」 「あ、は、はい。」 顔を赤くして、俯いたセシリアを置いて有無を言わぬ力強さで、ザックは厨房から引っぱり出される。 しかし、これは好都合ではないのだろうか。3月14日に渡して事実を知るよりも、今ロディの口から真実が明らかになる方が、セシリアの為なのではないかとザックは考える。 そうして、ズルズルと自分を引きずっているロディにオイと声を掛けた。 「お前、姫さんが何してるのか知ってるか?」 すると、コクンとロディが頷いた。 「…なんだ知ってんのかよ、だったら話が早い。お前、早く行って姫さんを止めて来い。」 「そんなの、一生懸命やってるのに出来る訳ないだろ!?」 振り返ったロディの顔も真っ赤になっていて、どうやらチョコの宛先までしっかりとわかっているらしい。 「…いや、そりゃそうだけど。でも2月14日は過ぎてるし…。そうなったら、普通…なあ?」 「わかってる」 照れ隠しなのか、ロディはザックを引っ張ってズンズンと廊下を歩く。いやこのままでは、城下町に出て、そのままフィールドまで突入しそうな勢いだ。 「いや、だから…」 「そりゃセシリアはアーデルハイドの公女で、僕なんか相応しくないってわかってるけど、でも頑張ってるのを見ちゃったら止められないよ。」 ザックが思ってもみなかった方向へ進んだ話に、彼の頭に疑問符が浮かぶ。 「…ロディ…。」 「何、ザック。」 「バレンタインデーっていつだと思う?」 「3月14日」 オイ! ザックは盛大なツッコミをロディに入れた。 「2月14日に、お前他の奴らからは山の用にチョコを貰ってただろう!」 コクリと素直な頷き。 「だったら、お前は2月14日に姫さんから何も来なかった事に、何の疑問も無かったのか!? 」 捲し立てるザックの様子に、きょとんと首を傾げていたロディは、酸素不足で息の上がったザックに向かってにこりと笑う。 「だって、2月14日って友達にチョコを贈る日なんだろ? 僕も色々な人にあげたんだ。」 無垢な笑顔に、顎が外れそうになる。悪気がない分対応に困る。 「あげたのか?」 「うん」 「…あげたんだ。」 「ザックにもあげただろ?」 …そうだった。 その時に、また変な勘違いをしてたがるなぁとは思ったが、呆気に取られて訂正をしていなかったのだ。 (似た者同士の天然カップル) ザックは頭の中でそう呟いて、これ以上何を言っても無駄だと悟った。 本人同士が納得ずくなら第三者が口を出すことではないのだと、そう自分に言い聞かせて、海よりも深い溜息を付いた。 恋にマニュアルなどないと、ザックは改めて思い知った。 〜Fin
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