をし恋しい


「綺麗!」
 宿屋の扉を開けたアリスがそう声を上げた。
彼女の後ろにいたウルが、その背から覗き込むと道路一面白い粉雪で覆われていた。
 朝早く出発しようとしたせいか、その雪は、まだケーキの上に乗った粉砂糖のように綺麗な姿を留めている。
「あ〜雪?」
 アリスは、後ろから聞こえる抑揚のない声に少しだけ頬を膨らませた。
「…綺麗…じゃないですか?」
「…ん〜まぁ。綺麗かな?」
 完全に乗り気でないウルの返事に、アリスの反応も鈍くなる。
「こいつは、雪深い国の出身だからなぁ。この程度の雪では、なんとも思わないってんだろう。」
 朱震の言葉にウルは苦笑いを浮かべた。
「雪かきをしなくてもいいから、楽じゃない?とか思うけど。」
 悪戯っ子のような笑みを浮かべるウルは、自分が幼い頃を思い出しているのだろうか、アリスはそんなウルが可愛らしく思えた。
 しかし、大袈裟に手を振るとマルガリータは顔を顰めた。
「あ〜駄目駄目、ここら辺は滅多に雪が降らないから、この程度でも雪かきしないと交通手段が使えなくなるはずよ。」
「え?これっぽっちで?」
「そうよ。足が無いって事は、移動出来ないって事じゃない!ちょっと、出掛けるのは見合わせた方がいいわね。ねぇねぇ皆〜!」
 まだ、ロビーに残るメンバーに声を掛けながらマルガリータと朱震は、屋根の下に戻っていく。
 二人の姿を見送ってから、ウルは跪いて、雪の中に手を差し込む。指が半分程度隠れる深さ。
 そのまま、『これでね〜』と一人呟く。
そして、アリスが膝を屈めて、覗き込んでいるのに気が付いた。
「アリスちゃん、何?」
「そんなに雪深いんですか?ウルの故郷は。」
 ん?ああ。
ふいにウルの表情が曇ったのを、アリスは見つけた。
「何もかも、隠してしまうくらい…降るよ。」
 真っ直ぐに見つめるウルの瞳は、そこにある何をも見つめてはいないようだった。彼の緋色の瞳は、目の前の白い雪さえ、焔に見えているのではないのだろうか。

 時を見つめているの?アリスはふいにそう思った。

「!!」  頬に冷たい固まりがふわりと当たり、ウルは我に返った。
視線の先で、小さな雪玉を持つアリスの姿が映る。
 自分に当たったのが、彼女が今、投げようとしているものと同じだと気が付いて、ウルは目の前の雪を両手ですくい上げてから、一気にアリスに向けて放った。
 新雪は、さらさらとアリスの上に降り注ぐ。
「きゃっ。」
 驚き、動きを止めたアリスをウルは後ろから抱き締める。
「つっかまえた♪」
 華奢な身体が少しだけ緊張して、腕の中のアリスが、ほっと溜息を付くのが聞こえた。
「どうした?」
「いいえ、なんでも。あ、また降ってきましたね。」
 きらきら輝きながら落ちていく雪は、言葉を失う程に美しかった。辺り一面純白で覆われて汚れがない。雲の切れ間から覗く太陽は、その部分だが雲に集約させているのも手伝って、天に登っていくようにも見えた。
 二人は、その情景に見惚れたように空を仰ぐ。
「まるで、天国へと向かう宗教絵画のようですね。」
「……天国ねぇ…。」
 俺には縁のないシロモノだ。とウルは悪態を付き笑う。
「もしも、私が天に召される事があったとしたら…。」
 アリスの言葉に、ウルは一瞬顔を顰める。
「例えですよ。たとえ。」
ふふっと笑う。「今度は、この降り注ぐ雪のようになりたいと思います。」
 ウルに抱き締められたまま、すっと両手を前に差し出す。慈悲を施す聖人のようにアリスの仕草は淀みなく美しかった。
 そして、ゆっくりと舞い踊る雪が、アリスの白い手の平にうっすらと積もっていく。本当ならば、体温で雪はすぐに溶けてしまうのだけれど、ずっと外にいたアリスの手はどうやら冷え切っているようだった。
「アリスちゃ…。」
 もう中に入ろうと、ウルが告げる前にアリスは呟く。
「私が雪だったら、ウルの辛いものを全て覆い隠して、真っ白に変えてあげられるのに…。」
 口から漏れる吐息が白い。小刻みに何度も彼女の口から漏れていることで、ウルは初めてアリスが泣いていることに気が付いた。

 ここに舞い降りる雪と同じで、それよりもなお暴力的だった雪が閉ざしていた自分の故郷。温かな想い出も全て、真っ白の上に散らされ花のように凄惨だった出来事。自分が何も言いもしないのに、彼女はそれを感じて泣いている。
 恐らく、もう涙も出てはこない自分の変わりの様に…。

 そして、ウルが抱き締めた腕に力を込める。
「アリスちゃんは、このままで良いよ。抱き心地も良いし、柔らかくていい匂いがして…温かくて…。」
 
 雪になんかならなくても、この腕の中の存在は、自分を救ってくれている。愛しいとか、恋しいとかどんな言葉を並べても追いつかない程、大切な存在。
 銀色の髪も白い肌も、その綺麗な心も、例えるなら白い雪が相応しいと感じるけれど、どうか、この雪の様に解けてしまわぬように。

「はい。」
 クスリとアリスが笑う感覚があって、彼女はウルの手に頬を押しつけた。その頬もまた冷たい。
「…温かい…ですか?」
 からかうように問いかけられたウルは、アリスの耳元に唇を寄せた。
「今は冷え切っちゃてるから…暖かいとこで天国いかない?」
 耳元でえへへと囁くと、手に当たる彼女の体温が一気に熱くなる。
「もう!ウルの馬鹿っ!」
「アリスちゃ〜ん!」
 そうして、スルリと自分の腕を抜ける愛しい存在を、ウルは慌てて追いかけた。



〜fin



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