追いかけると逃げていくっていうけど、待っていても手に入らない


 古い資料が詰まった部屋は、窓もないしカビ臭い。
おまけに薄暗くてジメジメしていて、害虫以外は好まないような環境だった。
 害虫ではない王泥喜もやはり好きにはなれなくて、でも成歩堂さんの伝手でやっと入室を許された場所に文句をつけても罰が当たるに違いない。

「大丈夫、大丈夫。」

 口癖を言葉に載せて、胸元のポケットから手帳を取り出して、公判に必要な事項を調べる為に居並ぶ背表紙に目を滑らせた。綺麗に並んでいるのだれど、何処か雑然とした印象を受けるのは、様々な人が頻繁にこの部屋を使用しているということだろうか。
 指先でひとつひとつ確認して、お目当ての資料を探していく。

「珍しい人がいるね。」
 没頭していた王泥喜は聞き慣れた声に顔を上げる。
 片手にファイルを掲げた牙琉響也が、目を丸くして王泥喜を眺めていた。
薄暗い部屋でも、金の髪は綺麗な上に整った顔立ちもはっきりと見てとれる。どんな場所でも目立つ男だと、王泥喜は思う。
「此処…検察庁の資料庫だと思ったけど、僕の勘違いかな? 弁護士のオデコくん。」
 さらりと嫌味を織り込んだ挨拶に、いいえその通りですよと答えてやった。
「キチンと許可は取ってありますから、こそ泥呼ばわりは止めて下さいね。」
「セキュリティを通過してるからそれはわかってるよ。何をしてるのかなと思ってね。」
「仕事ですよ。マジックでもしてるように見えますか?」
「有り得ない場所で、おデコを発見したけどね。これって、イリュージョン?」
 そう言うと、クスクスと笑う。腰で揺れるチェーンが触れ合う音を立てた。ジャラジャラと鳴る音は、王泥喜の胸にも奇妙は共振を伝えてくる。
 普段通りだとは思う。
 けれど、王泥喜は、近頃こうして響也とふたりきりになるのが苦手だった。挙動不審と不整脈が同時に起こり、それと共に不安定になる気分は経験がなく酷く不快になるのだ。
「のんびりお喋り出来るなんて、随分暇ですね。」
 あっちへ行ってくれという願いを込めて告げた王泥喜の言葉に、響也はむっと眉間に皺を寄せる。鋭さを増すアイスブルーの瞳は真っ直ぐ王泥喜に向けられて、懸念していた通り、心臓がアンバランスに鼓動を初めてしまう。
「僕だって仕事だよ。失敬だな、君は。」
 そのまま、視線を棚に移してくれたから内心ほっと息をつく。薄汚い棚や本に指を滑らせる様子が、煌めくスポットライトの下の王子様とは到底思えないのだけれど、何故だが視線は、綺麗な横顔に吸い寄せられる。
 身体と心がバラバラに働くなんて、下手な魔法よりもよく出来たイリュージョンだ。
 下らない思考に囚われていれば、ふいに何かが近付いて来た。
 気付いた時には何かが額に押し当てられていて、慌てて上げた視線の先には、恐らく心臓に悪い男の顔が合った。

「が、牙琉け、んじ…」
 にやりと口元が弧を描く。不整脈は大きく跳ね上がり、思考が事象を認識するよりも早く、腕は響也のそれを掴んでいた。
 そして、おデコにキスされたんだとわかった途端、カッと鳩尾が熱くなる。そのまま響也の腕を捻って、体重を掛けて床に押し倒す。
 相手の反撃を待たずに唇を重ねた。
 閉じられる前の口腔に舌を差し入れて、がむしゃらに相手を蹂躙する。響也の声と吐息に、意識が全て持っていかれるように錯覚して、酷く息苦しい。
 それでも突っ張っている響也の腕に、力が入ってこないに気を良くして、角度を変えた(ついでにガードの甘いシャツから手を差し入れた)途端左頬を殴られた。
 結構きたと見やれば響也の拳に指輪があって、これならば痛いと納得する。
「王泥喜法介!」
 頬を赤らめて碧い瞳を潤ませる、艶っぽい表情をしながらも、こちらを睨んでくる瞳の強さには圧倒される。ぐらりと、冗談でなく目眩がした。
 恐らく顔を殴られたせいなんだろうけど。

「俺も男ですから、デコちゅーとか可愛いものじゃなくて、それ以上じゃないと受け付けませんよ。」
「僕も男だから、そう易々とは許さないよ。」
 ぐいと押し返されれば、体格的には響也の方に分がある。覆い被さっている王泥喜の身体を簡単に押し退けて立ち上がった。唇を袖で拭い、睨み付けてくる端正な貌を見上げて、王泥喜は笑う。
「それなりに、気持ち良さそうでしたけど?」
 告げてやれば、ぐっと唇を噛む。しかし、緩んだ唇からは辛辣な台詞が帰ってきた。
「君も、随分と可愛い顔をしてたよ。組み敷いてやりたい位にね。」
 そう言い残し響也は部屋を後にした。整っていない金髪が、乱した余韻を感じさせた。ホウと息を吐けば、途端に指輪付きで殴られた頬がズキズキと疼く。

「この…負けず嫌い…。」

 こりゃ相当腫れるかもしれないなぁと思いながら、王泥喜は笑った。
 追いかけると逃げていくのはわかった事だ。でも、腕をきつく締め上げた響也の緊張は、今は確かな証として王泥喜に伝えている。
 自分は牙琉響也が好きだという証。そして、彼も同じ感情を保有しているという証。
 種も仕掛けもあるのがイリュージョンならば、わかってしまった気持ちはまるで種明かしだけれど、明かされたからと言って、自分のものになったとは限らない。
 待っていても手に入らないのならば、此処は行くしかないだろう?



〜Fin



お題配布:確かに恋だった


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