恋人きどりで君のとなり


 居並ぶマンションは全て高級な、『億』ションなどと呼ばれている建物。その狭間で、成歩堂はこの辺りでは珍しい雪景色を眺めていた。非常階段の下にある空間に潜り込んで、背中を壁に押し付ける。
 降り注ぐ白い粉と、闇しかないものを見上げる。成歩堂の横に設置されている自動販売機の電光掲示板だけが、チカチカと華やかだ。
 時刻は深夜にはまだ半円分の時間を残していて、それでもサンダル履きの足元は随分と寒かった。吐く息はもちろん白く、街灯に照らされる雪とさして変わらない色合いに見える。
 しかし、この雪にこの時間。通行人などいないに等しく、誰にも見咎められる事なく、成歩堂はマンションの入口を眺めていた。
 ザクザクと雪を踏みしめる音。そして人影。それは、成歩堂の姿を視界に入れて瞠目した。コートを羽織った響也は成歩堂の姿に慌てる事はなかったが、呆れたように息を吐く。

「お帰り、遅くまで御苦労さま。」

 パーカーの胸元にあるポケットに両腕をつっこみ、にこりと笑う。眉間に深く皺を寄せるのは、この寒さの中での成歩堂の軽装に遺憾があるからだろう。その証拠に、一度止めた脚は動き出した時には早足で、近付き伸ばした手がニット帽に積もっていただろう雪を払い落として行く。
 バサバサッと落ちていく雪は結構な量があり、成歩堂自身も少々驚いた。
「アンタ…いつからいたの?」
 呆れると言うよりも、怒っている風にも見える青年に成歩堂は正確な時間を告げる事はしなかった。何時間も待たせていたと知れば、その表情は曇るであろうし、第一響也を困らせるつもりで出向いた訳じゃない。
 ただ顔が見たいと思った。
 今日行われる行事が自分達には馴染まないのだと知っているから余計に、響也の顔が脳裏に浮かんだのだ。
 
「だからね、逢いたくなったんだよ。」

『それが、連絡もせずに待ってた理由?』
 あからさまに不機嫌な表情になった響也は、綺麗な眉間に皺を寄せる。音もなく降り注ぐ牡丹雪が金の糸に触れ、白く飾りつけていく。
 街灯を受けて輝く様は、一見の価値有りだ。長い睫毛に触れた雪がふっと溶け落ちていくのも、褐色の肌に滑る様も全てが綺麗で、成歩堂の目を釘付けにする。
 アイスブルーの瞳に見惚れていれば、大きな溜息が聞こえた。

「ねぇ…そういうの何ていうか知っている?」
「なんだい?」

『ストーカー』

 唇から出た辛辣な単語に笑みが浮かんだ。
「はは、それは。うん、そうだね。」
 確かにその通りだと笑えば、もっと不満そうな表情になる。
「そういうの肯定してないで、自分の状況を把握しなよ。冷え切っているじゃないか。」
 響也の指先が頬に当てられ、じんわりと温かさが広がる。
人肌とはこんなにも暖かいものかと成歩堂は思う。心地良さに指先に頬ずりすれば、無精髭が気持ち悪いと怒られた。
 そうして、両腕を抱いてぶるりと身震いをした響也は夜空を見上げた。つられて上を見れば、変わらず空から雪が落っこちてくる。
「ったく…こんなとこで立ち話なんかしてたら、僕も寒くなっちゃうよ。」
 そう呟くと成歩堂を置いて、響也はさっさと玄関のエントランスに入りコートについた雪を落とす。
 しかし、動かない成歩堂を見咎めて、改めて怪訝な表情に変わった。当たり前の様に、成歩堂が部屋へ上がり込むものだと思っていたらしい。
「来ないの?」
 躊躇いがちな誘いに、成歩堂は首を横に振る。残念そうな瞳の奥に、確かな安堵の色が浮かぶのが見えて苦笑した。響也が明日から幾つもの公判が控えているのは知っている。きっと、自宅に戻ってからも残務に追われているのだろう。
 そんな彼の邪魔をするつもりなど毛頭ない。

「顔を見れて良かった。じゃあ、お休み。」
 にこりと笑い、踵を返した。数歩進んだところで、呼び止められる。走り寄って来る気配に振り返れば、頬に熱い缶が押し付けられた。
「奢るから、それをポケットにでも入れて帰るといいよ。…少しは暖かいから。」
「ありがとう。けど、いい加減離してくれないと火傷しそうだ。」
 苦笑いを添えて告げれば、熱さは成歩堂の掌に移った。
 肩越しに見えた響也が頬を染めているのを不思議に思い、手渡された缶を眺めれば『ホットチョコレート』の文字。思わず頬が緩んだ。

 St. Valentine's Day チョコレートを渡す『恋人達』の行事

 改めて振り向けば、完璧に赤くなっている。視線が合うと恥ずかしいのかプイと横を向いた。
「他意は無いからね。その…アンタが飲みたいかなって思っただけだから。」
 そんなあからさまに可愛らしい顔で言われたら、僕はどう返したらいいんだい? 

 ほら、甘やかすから君に触れたくなってしまう。人目があるからやめろとか、聞く訳ないだろう。
 軽く触れた唇は思った通り暖かかった。

「こんな事するなら、素直に上がれよ! 変態!」
 怒鳴り声すら愛しいなんて、僕もどうかしているなぁと感心しつつ、僕は恋人きどりで君のとなりに並んだ。


〜Fin



お題配布:確かに恋だった


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