クレフ×海

ロマンチックには程遠い


「嘘…。」
 それは、まるでドラマのような始まりだった。
このところ、女の子であることを確認する月行事がご無沙汰だった。一人暮らしのせいもあって、どうにも食生活に偏りがあったから、そう珍しい事ではない。
 よくないとは思いつつ、そう気にしてはいなかったのは確かだ。
けれど、同僚である友人達と訪れたレストランで、急に気分が悪くなり、トイレで嘔吐してしまった海は、ある確信を持ってしまう。
 
 どうして、はわからない。強いて言うのなら、母親の勘と言うべきだろうか。
「私、妊娠して、る?」
 確たる証拠はないのに、確信だけが心を捕らえる。真白になりそうな海の頭に、扉をノックする音が届いた。
「海ちゃん、大丈夫? 苦しくない?」
 心配した声色は、光の声。彼女と風は同期入社の仲間で親友同志だ。
「もうすぐお昼休憩は終わってしまいますけれど、どうなさいますか?」
 風の冷静な声に、海も頭を整理する。吐き気は収まっている、会社に戻るのは問題ないだろう。
「もう平気みたい。私もビックリしちゃった。」
 ベストの上からお腹をさすり、苦笑しつつ扉を開ける。光が眉を八の字にして海の顔を覗き込んだ。
「本当に平気? まだ顔色悪いみたいだよ?」
「平気、平気。でも日替わり定食がもったいなかったわ。」
 えへへと笑う海に、光は少し安心したように表情を緩める。しかし、風は口元に指先をあてて、思案顔で海を見つめた。
「風も、心配かけてごめんね。」
「いいえ。でも、困った事がおありでしたらいつでも相談してくださいね。」
 ニコリと微笑む風に、海は苦笑するしかない。
「うん。ちょっと確信が持てたら相談しちゃうかも。」
「大歓迎ですわ。一人で抱え込むのはよくありませんもの、さ、光さんも遅くなってしまうから戻りましょう。」
 風に諭され、時計を見れば昼の始業時間に間がない。浮かぶ想いを振り切るように、海は会社を目指した。


『専務、大事なお話があります。』
 海は携帯の留守電にそう残した。
体調の異変はやはり本当で、友人達に相談し、妊娠検査薬を買い確認したところ陽性反応が出た。
 光も風も、海がつき合っている相手は知っている。会社の専務であり、つい半月前に離婚が成立した相手だ。海との不倫関係が離婚の決定的な原因では無かったものの、そこにやはり凝りが残っている。
 それもあり、海は彼と別れる決心をしていた。なのに…。

「現実って残酷よね。」
 
 一人語とを口にして、お腹を撫でた。告げるべきか、否か随分迷ったけれど、何れ彼の耳にも入る事だと決心をした。ひとりで育てていこうとその時に決めた。

「久しぶりだね、龍咲君。」
「ご無沙汰しております。」
 小さく会釈をして、海は冷静に事実だけを伝える。相手の表情が見る間に驚愕したものに変わっていくのを見ていると、心が塞がれた気分になった。
 喜んでくれるはずがない、最初からわかっていた事。
「専務にご迷惑をお掛けするつもりはありません。ひとりで育てていきます。」
 すっかりと言葉を失っている相手に宣言し、海は場を離れるつもりだった。しかし、その手は彼によって留められる。
 振り返ると、海が好きだった優しい笑顔がそこにあった。
「私と別れて生きていく方が、お前の幸せだと思っていた。こんな年寄りなんかよりずっと良いと思って、引き留める事は出来ないと我慢していた。
 離婚をしたばかりでまだ再婚は法律上認められはしないが、私はお前とその子供を守っていきたいと思う。
 こんな時期だ、辛い事も多いだろうが私と結婚してくれないか。」
 真摯に言葉を告げる専務に、海は涙を堪えて頷いた。



「こんなところで、うたた寝していると風邪を引くぞ。」
 肩にあてられた手が海を眠りから目覚めさせる。部屋に置かれた椅子に凭れたまま、眠っていたようだった。
 先程、専務として海の夢に出て居た男は、普段の導師である服ではなく軽装だった。仕事に一段落ついたらしい。
「ありがとう、クレフ。」
 海は、柔らかな笑みを浮かべる相手に微笑みかえしてから、目の前にある子供用のベッドに向き直った。
 誰に似てしまったのだろうか、可愛らしい顔立ちとは裏腹に寝相は良くない。肩口まで上げてやっていた毛布は、足許に蹴り飛ばされ愛らしいお臍は丸見えだ。
「まったく、もう。」
 海は小さく呟いて、もう一度布団を掛け直してやる。横で見ていたクレフもクスクスと笑った。
「元気が良いのは喜ばしいが、眼を離すことが出来んな。」
「そうなのよ。だから、こうして見ていたのに。眠っちゃうなんて不覚ね。」
「いつも、お前にまかせたきりですまないな、ウミ。」
 海は、隣に座って子供の寝顔を見ているクレフにお茶でも入れるわと立ち上がった。ポットに茶葉を入れて、お湯を注いで蒸らしている間も、クレフが子供から眼を離さず笑みを浮かべている様子が、海を嬉しくさせた。
 城の重責を担い、こんなに多忙な彼がこうして自然に愛情を向けてくれる事に感謝の気持ちが浮かぶ。
「そう言えば、不思議な夢を見たわ。」
「ほう、どんな夢だ?」
 海は、う〜んと頭を捻ってから難しい顔をしてみせた。
「この間実家に戻った時に、昼メロをずっと見ていたせいね。なんだかそんな夢だったわ。」
 クレフは海の科白に苦笑した。
「私にはサッパリわからないな。」

 会社のOLがバツ一の上司と出来ちゃた結婚をするよりも、遠い異世界のセフィーロで、魔法を使う男性と恋に堕ちて結婚した方が、余程、非現実的でロマンチックな作り話のようではないか。

「私、すごく幸せよ。クレフ。」
 
 お茶を手渡して海は、にこりと微笑んだ。
「私もお前に感謝している。ありがとう、ウミ。」
 柔らかなクレフの抱擁に頭を預け、海はうっとりと眼を閉じる。しかし、穏やかな時間は、唐突に上がった泣き声に掻き消された。
「どうしたの? おしめが汚れちゃったかな?」
 慌ててクレフの腕から抜け出して、赤ん坊を抱き上げる。ヨシヨシと背中を撫でてやりながら、しゃくり上げる声を耳元で聞く。
 おしめを確認しなくちゃと考えながら、海は一人語つ。

 たとえ、お伽噺であろうとも、ロマンチックには程遠い。


〜Fin



お題配布:確かに恋だった


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