そっと差し出された手だけが、私の全てでした 大人の階段をゆっくりと登る。そんな未来の出来事。 もう何年も変わらない習慣である、セフィーロでの時間。 時は急激に移ろっていき、中学生だった頃の自分はあっと言う間に遠くに行ってしまったような感じなのに、訪れるこの場所は変わらない。 そう思って、風はふるりと否定の為に首を振った。 変わっているのだ。此処も、此処の人達も。なのに、いつ訪れても不思議と(変わらない)と感じさせてくれる。 「フウの作る弁当は昔から美味かったけど、最近特に美味しいな。」 行儀悪くペロリと指先を舐め、フェリオは笑う。見ると、彼の手を包んでいた白い手袋は無造作に草むらに放り出されていた。 こういう仕草も、悪戯っぽい笑い方も風に(変わらない)と思わせる要因のひとつなのだろう。 「会社では毎日お弁当ですから、作り馴れてしまったんですね。」 「ふうん。昔は、学食…とかあったんだろ?」 風の膝に置かれた弁当箱から、フェリオはまたひとつおにぎりを摘む。飽きないように、見た目も具材も様々に凝っている料理は、いつもフェリオを夢中にさせてくれた。 「ナカナカ、お給料も上がりませんし、此処は節約第一ですわ。」 「この間同じ事をウミも言ってた。」 「まぁ、せちがらい世の中ですわね。」 考え込む様に、頬に指を置き腕を組み難しい顔をしてみせれば、フェリオは盛大に笑う。 「フウは(仕事)が嫌いなのか?」 「いいえ。昔から成りたいと思っていた職種ですし、やりがいもあります。言うなれば、嫌いではなくて、大変ですわね。」 「うん、そうだな。フウは楽しそうだ。」 そんな返答をしたフェリオが、微かに目を細め笑う。普段、楽しげに笑う彼が浮かべると、こんな笑顔が酷く寂しげに見えた。 「どうか、なさいましたか?」 「俺は、欲張りなんだよな。」 フェリオは、昔は肩口でくるりと撒いていた髪を指先に絡める。 今は、腰には届かないまでも其れは長い。身体付きも、少女だった時にくらべて随分と細い。けれども、優雅な丸みを帯びている女性らしい部分は、それはそれで豊だ。知的な瞳は、彼女の希望を叶えた事でより一層輝きを増し、呼吸をする息遣にまで引き寄せられる気がした。 「…知らない場所で、どんどん綺麗になっていくフウを見ているのが嬉しくて、だけど酷く不安になる。」 誰にも見せずに、閉じこめておきたい。彼女の望む世界で、活き活きと輝いていて欲しい。 相反する莫迦な願いだとフェリオは苦笑した。恋するが故の愚かな思いだと自嘲する。 「フェリオ。」 「だから、いつか…でいい。」 唇を引き結んでいたフェリオは、緩めるように口を開いた。 「ヒカルの言っていた、(結婚)をしてくれないか? 俺はフウと一緒に生きていきたい。」 そうして、フェリオは風に向かってそっと手を差し出した。 いつか、この方の傍らで生きていきたいとそう願っていたのは嘘ではなかった。それでも、こんなに唐突に言葉が出てくるとは思ってもいなくて、息が止まる。 「愛してる。」 地球での日常やセフィーロでの暮らし。取り巻く環境の複雑さや、王となるであろうフェリオと結婚するという意味。すんなりとはいきそうもない様々な問題を風は一瞬思い浮かべる。 その躊躇いは、子供の頃とは違いこうして大人になってしまったが故の事だったけれど、差し出されたフェリオの手を風はそっと握り返した。 包まれる温かさと、大切な人を想い想われる幸福。ふわりと自分を覆っていくそれに、風は身を委ねた。 自分も変わった。それと同じように、フェリオも変わった。 強引で戸惑う事もあった愛情の伝え方が、風を包み込むように大きく強いものにと変化していた。己の欲求を風の願いに重ねるように伝えられるように。 目頭が熱くなって、止めようもなく涙が零れる。 「あの、とても嬉しくて…でも急で…私…。」 恐らく謝罪の言葉を口にしようとしたフェリオを制して、風は言葉を続ける。 「私も、フェリオの傍らで生きていきたいと存じます。」 普段ならば、気障な台詞を臆面もなく告げるフェリオの表情は、とろけるような笑顔を浮かべていて、風も表情が緩くなっていくのがわかった。 「ありがとう。」 そうして、手を引かれて口付けを交わす。 唇が饒舌に言葉を語るよりも確かな何かを風に伝えてくる。それを受け止め、返して、ただ目の前のフェリオを感じる。 どんな困難とも、自分は戦っていけるだろうと風は思う。 そっと差し出された手だけが、私の全てでした。 〜Fin
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