好きな人と一緒に帰りたいのに理由なんてあるか

 エントランス上部の窓が開いている。
ようやく手首が通るかどうか…という隙間だったけれど、そこから桜の花弁が舞い込み、床をピンク色に飾っていた。
 通り掛かった風の肩にも、ひらりと花弁が舞い落ちる。彼女は、金色の髪を彩った花をそっと指で持ち上げた。淡いピンクはたった一枚だけだと何処か色褪せて見えた。
 ふいに溜息が唇をつく。寂しいとそう思ってしまった事に、風は戸惑う。

「フェリオ…。」

 名前を呼べば胸がギュッと締め付けられる。こんな苦しいものだとは思ってもいなかった。こんな寂しいものだと、考えた事もなかった。
 桜の花をふたりで見る事がなくなった、ただそれだけの事がこんなに…。

「どうしたの? 風。」
 呼ぶ声が風を物思いから現実へ引き戻す。慌てて、笑みを浮かべて友人を振り返る。階段を上がりきった廊下から見下ろす海は少しだけ怪訝な表情を浮かべていた。
 彼女の視線に答えるように、風はしゃがみ込むと、花弁を海に示してみせた。
「花弁が床に落ちていたものですから。」
「わ、ホント…。」
 手摺から身を乗り出していた海が、スカートをはためかせて階段を降りてくる。その風にすら、花弁はふわりと舞った。
 ひらひらと宙を舞い、床へと重なっていく。淡い色の花弁は重ね合っていくことで濃いピンク色へと変化していく。
「掃除大変そうだけど、綺麗ね。まるで、桜色の絨毯みたい。」
「ええ、そうですわね。」
 クスクスッと笑う風を見やって、海はねぇと話掛けた。
「もうちょっと待ってくれたら用事が終わるの。一緒に帰らない?」
ふるりと首を横に振った風に、海は小首を傾げた。
「何か用事でもあるの?」
「いえ、そんな事はありませんわ。でも、私の為に急かしてしまっては、海さんに申し訳ありませんから。」
「風らしい、仕方ないわね。」
 クスリと笑って、海は風を見つめた。

「フェリオが卒業しちゃったから、風は何処か手持ち無沙汰に見えるから。」

 きょとんした風の表情が、ぱっと紅潮する。指先で口元を抑えて俯き、そして小さな声で言い訳が続く。
「あの、そんな事は、私は…。」
「全く、フェリオ相手だと風ってば分かり易いんだから。」
 腰に両手をあてて、海は髪を揺らした。彼女の笑顔に、風の頬は朱を散らしていく。
「わかり、易いでしょうか?」
「ふたりが一緒にいるのが普通だったせいかな、ちょっとね。」
 じゃあ、気を付けてね。と風を見送った海は柳眉を歪める。

「あの様子じゃ気付いてないかな、フェリオの後釜を狙ってる輩がいっぱいるのは…。」

 困ったわね〜と海は苦笑を浮かべた。


 廊下、昇降口、中庭。そして、校門に並ぶ桜。
 想い出と直結しない場所など存在しなくて、風はただそこにいない面影を思い浮かべる。
 海に言われた通りだ、自分は、此処にいない彼の姿を探している。時間が経てば、彼の居ない空間にも慣れはするのだろう。けれど…今はまだ。

『ふたりが一緒にいるのが普通だったせいかな』

 親友にそう言い切られてしまうほどに、べったりしていたのだろうかと、風は再び紅潮する頬に戸惑う。彼が横にいるのが余りにも自然で、当然で。
 フェリオが。

「あの、鳳凰寺さん。」
 ふいに呼ばれた名に顔を上げれば、クラスメイトである男子学生がいる。
返事をすれば、口もモゴモゴと動かした。
 その肩に桜の花弁が乗っているのが目に止まる。指先で摘んで取り去って、そうこんな事がフェリオとの間にもあったと想い出す。
「………方向一緒ですよね、あの駅まで一緒に…。」
「え?」
 小首を傾げた風に相手は真っ赤になる。
「いっつも先輩とだったけど、その卒業されたから、それで僕…。」
 
「風!」

 聞き慣れた声に、風は目を丸くする。
校門の先で手を振る私服姿のフェリオを見つけて、風は思わず走り出していた。後には、呆気にとられた同級生が残される。

 大学生となったフェリオは、風に目には何処か大人に見えたる。
制服姿の彼も格好良かったが、一層男っぽく見えた。
「何かありましたか?」
 その言葉に、今度はフェリオが目を丸くする。悪戯っぽく笑うと風の指先を自分のものに絡めて歩き出した。
「フェリオ…?」
「好きな人と一緒に帰りたいのに理由なんてあるか。」
 桜の花びらが散るように、風の頬が喜びに染まった。
「はい。」
 恥ずかしさに俯いて、でも嬉しくて。風はフェリオの指をキュッと握り返した。


お題配布:確かに恋だった


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