夢とロマンとあとひとつ 「どうにもこうにも上の空ですねぇ〜。私とのデートではご不満ですか?」 波止場を背にジェイドが両手を肩口まで上げやれやれと首を横に振る。 栗色の髪はサラサラと優雅に風に揺れる。けれどもフェリオには自分を惑わすまやかしにさえ見えた。 どう足掻いてもこの男を出し抜けない。 駆け引きは嫌いな方ではないし、馬鹿ではないつもりだった。けれど、この『ジェイド』という男は自分よりも遙かに役者が上だ。気付けば、風を城に残してこんな場所まで連れ回され時間も随分と経っているのだろう。 しかも反論は全て有耶無耶の内に丸め込まれている。こいつはイーグルに匹敵する策士だ。あの嘘臭い笑顔が同類だと告げている。 「どうしました? お・う・じ・さ・ま?」 「気持ちの悪い呼び方をするな! 俺はスケベそうで手の早い皇帝が風を連れていったから心配してるんだよ。」 「スケベそうで手の早い皇帝は、世界の女性はストライクゾーンと言い切る強者ですが、何か?」 何かじゃねぇだろう!!!と涙目で訴えても、ジェイドは涼しい笑顔でフェリオをいなす。 「大丈夫ですよ。そんな皇帝でも蚤の額ほどの理性はありますから。」 そんなもん、あっても意味があるのか。無いよりましなのか!?どっちなんだ!? 「ははは、若いですねぇ〜。」 葛藤の末にしょぼくれるフェリオを横目に、ジェイドは高らかに笑う。 あの皇帝にしてこの部下ありだ。畜生と歯噛みをしつつ、フェリオは諦めたように周囲を見回した。 活気の溢れる街と、闊達に行き交う人々。楽しげに笑う様子や清潔で綺麗な風景は此処が繁栄している証だ。 そして、人々はあのスケベな男を『賢帝』だと褒め称えていた。大事な人の名を呼ぶ様に、あの男の名を口にする。セフィーロの民が、姉の名を口にしていたように。尊敬と感謝を込めて。 「…上手く治めてるんだな。」 「さあ、それはどうでしょうね。」 クスクスとジェイドは笑う。 「他国との戦争、先進技術の弊害、資源の枯渇…問題を上げだしたらキリがないと思いますし、寧ろ上手くいっていない事の方が多い。国を治めるという事はそういうものではありませんか?」 随分と間を空け、けれどフェリオは返事をする。この男に言われなくてもわかっている。 「…そうだ。」 「わかっていらっしゃるのなら大丈夫でしょう。」 ニコリとジェイドは笑う。 「それでも民衆が笑っていられるのは、陛下が笑っているからですよ。あんな馬鹿皇帝でもそういう役には立つようです。 …とは言え、今一番の問題は、皇帝の世継ぎ問題ですかね? ああ、そうそう言ってませんでしたか? 陛下のお好みは知的は眼鏡美人なんですよ。」 ニヤリと笑う美貌に、青ざめたフェリオは、怒りに震える拳を握り占めた。 「ふざけるなっ! 俺は帰る!!!!」 「風はぶうさぎは嫌いか?」 耳の長いミニ豚の頭を撫でていた風は、ピオニーの言葉にハッと顔を上げた。 ジッと自分を見下ろす彼に慌てて首を横に振る。 「いえ、そんな事ありませんわ。とても…「王子様の事、考えてたんだろ?」」 ククッと喉の奥で笑みを鳴らされて、風は頬を羞恥に染めた。 「いえ、あの…。」 視線を揺らし、口元を指先で覆う。恥じらう風の仕草にピオニーはニコリと笑った。 「心配するな、俺は別に意地悪い事などしてはいないぞ? ジェイドは美人だが男だから大丈夫だ。」 「…私をからかっていらっしゃいますか?」 眉を困った表情で歪める風にピオニーはただ笑みを深くする。 「ああ、すまん。お前もそういう表情になるという事は、ナタリア姫の態度があれな理由は俺のせいだな、反省しよう。」 顎を指先で弄い、フムと息を吐く。態度は尊大なのに何処か憎めない風情がある。 それが、『王』一国を治める者の気質というものなのか。 風の思考は自然にフェリオに向かっていく。さっきの、ピオニーの『俺の国』と言い放った彼に対して、自信なさげに言葉を濁したフェリオの心情に向かって行く。 ピオニーの声色が酷くフェリオに似ているせいなのかもしれない。今はまだ、王子である彼が『国王』になっていく事を目の前に突き付けられた気がした。 「自分の…と口にしなかったな、あの王子さまは。」 ズバリと言い当てられる不審に、風は疑問をもたなかった。 目の前の皇帝は、聡明なのだ。 「はい、セフィーロは、いままでの慣習を捨て去って今一度国を立て直している最中ですし…フェリオは自分の立場に対して複雑なようですわ。」 ピオニーが自分だけを此処に連れてきた理由。それを察する事が出来るほどに、風もまた聡明だった。 フェリオの心情は、恐らく同じ様な積を背負っているものにしか、本当は理解など出来ないのだろう。だからこそ、フェリオに対してピオニーは心を砕いてくれたのだ。 そして、フェリオを心配している自分に対しての心遣いをしてくれている。 「重責だからな、当然だ。 大切な人間がいるのなら、尚更、慎重にだってなるさ。 愛しい者の笑顔を奪いたいと思う奴はいない、…まぁ稀に意地の悪い奴はいるが…いないものだからな。」 ふいに、風はぽつんと空いていた王座を思い返していた。 ピオニーの横に座り微笑む妃を彼は持たないのだろうか。くだらないと思う気持ちもあったが、ついフェリオとピオニーを重ねてしまう。 「陛下は…「俺はな、忘れられない女がいてな、そいつも風みたいに眼鏡をかけてる。」」 質問を口にすることを留めるように、ピオニーはそう告げ風の顔を包み込むように掌を回した。 あっと思う間もなく、風が掛けていた眼鏡は彼の手の中にあり、風も黙ってピオニーを見つめるしかない。 ピオニーは両手で眼鏡を持ったまま、風の顔を覗き込み、微笑んだ。 少々度がきつい風の眼鏡から見える彼の表情は歪んでいた。 「幼い頃から好きだったが、身分の差って奴で願いが叶う事はなかった。相手の女性もとっくの昔に良い男と結婚しちまったしな。」 身分の差。それは、風の心を悩ます言葉のひとつに違いない。ズキリと痛む心を堪えるように風は指を強ばらせた。 「そういう訳で、俺の横に残ったのはあの可愛くない鬼畜眼鏡だけだ。」 「…え、でもあの方は、確かにお綺麗でしたけれど、男の…。」 驚き目を見開いた風に満足した様子のピオニーは、彼女の顔にそっと眼鏡を戻してやる。はっきりと目に映るピオニーの顔は、悪戯な笑みを浮かべている。 「問題ない、俺の好みは昔から眼鏡の似合う知的美人だ。」 ハハハと笑い、ピオニーは風に目を眇めた。 からかわれたのだと知り、風は頬を赤らめた。こういう風に、自分をからかう様子もフェリオに似ていると風は思う。 やはりピオニーをみていると、フェリオの将来の姿を想像してしまう。 今は、自分もフェリオも子供だ。けれど、後数年後、自分達の進むべき道を見据えてその決断を行った後に、自分は、そしてフェリオはこんな風に笑っていられるのだろうか? けれど、それは自分達がこれから築いていくべきもの。今は只、願うだけだ。 「…王子さま。フェリオとかいったか?」 「はい。」 「きっと、良い王様になる。」 「はい、わかっております。」 ニコリと笑う風にピオニーは屈託のない笑顔を見せる。 「人を見る目があるみたいだから心配ないな。お前を選ぶように。」 今度は素直に肯定出来ない台詞に、風は頬を赤くして絶句する。 「花の様な笑顔で、王子さまの横にいてやれ。そうすりゃ、くだらん悩みなんざすぐに吹っ飛ぶ。」 「はい。」 お礼の言葉を口にしようとした風の唇は、蹴破られた扉と共に阻止された。見れば、皇帝の部屋とも思えぬ汚れた佇まいは、舞い踊る書類によって今以上に混沌としていた。 「フウ…!!!無事かっ!!!!」 形相を変えたフェリオと、薄笑いを浮かべ背後に佇むジェイド。 「どうなさったんですか、フェリオ?」 しかし、フェリオは風の問い掛けには答えず、ピオニーと彼女の間に割って入った挙げ句に、皇帝を威嚇する。 「フウは俺が惚れてる女だ!あんたの花嫁候補なんかにはならないからな!」 「フェリオ!」 背中に庇われた風が羞恥に顔を真っ赤に染め上げるのを、ピオニーは目を細めて見つめていた。やれやれと両腕を上げるジェイドも瞳だとて、実は優しい。 「俺は風にぶうさぎの可愛らしさを講義していただけだ。」 ピオニーはぶうさぎを抱き上げ、今にも剣を抜きそうな勢いのフェリオに向かって差し出した。成り行きで受け取ったフェリオの腕に抱かれ、ぶうぶうと声を上げる。 「どうだ、可愛いだろう。今年生まれたばっかりで、里親募集中だ。」 「嘘つ…。」 「フェリオ、私何もされておりませんわ。あの、心配頂いて嬉しいのですけど…。」 消える様な声で呟き、風はフェリオの纏をギュッと握ったまま俯く。耳まで真っ赤になっている様子に、フェリオの頬も赤く染まる。 「…誤解です…。」 「す、すまない。俺、お前の事が心配で…。けど、あの男が…。」 焦った表情でジェイドを振り返るフェリオに、ピオニーはわざとらしく眉を顰めた。 「お前、王子さまに何か余計な事を言ったのか?」 「御言葉ですが、私は現在この国の最大の憂いは世継ぎ問題だと申し上げて、皇帝の好みをお教えしただけですが。」 告げられた言葉にフェリオはぐうの字も出ずに黙り込む。言われてみればその通りで、上手く乗せられてしまったのだ。 「血気盛んなのは若者の特権だ。王子さまにはよく似合ってる」 くくと笑みを口で噛み殺し、ピオニーは謝罪の言葉を告げようとしたフェリオを手で制した。 「惚れた女を護るように、それが男の浪漫だろう?」 目を丸くしてピオニーを見るフェリオに笑いかける。それが合図だったように、次ぎの瞬間ふたりの姿は王室から消えていた。 「後は、お若い方におまかせしましょうって奴だな。」 「…陛下、それは間違っていると思いますが。」 眼鏡を指先で押し上げて、ジェイドが溜息を吐く。しかし、ピオニーは意に介した様子もない。 「しかし、若いっていいなぁ。俺もう一度あの頃に戻りたくなった…「それは、もう一度監禁されたいう事ですか?」 ジェイドの台詞に、ピオニーがゲと表情を変える。 「戯れ言ばかり言ってないで、早く仕事してください。」 「お茶だって、みんなが待ってるよ!」 アスコットの声に、風とフェリオはハッと顔を上げた。見回せば、見慣れた森の一角。城へと続く道からアスコットが手を振っていた。 「…戻ってまいりましたの?」 不思議そうな表情で周囲をみまわしていた風は、自分を凝視するフェリオに小首を傾げる。 「それとも夢だったのでしょうか? 不思議な方々でしたけれど。」 「…夢の方がいい…。」 ぽつりと呟いたフェリオに、え?と視線を向けた風は、彼の腕の中にいる生き物に目を見開いた。 「ぶう」 唖然とするふたりを見回して、ぶうさぎは鼻を鳴らした。 セフィーロにぶうさぎが増えたかどうかは、また別のお話で。 〜Fin
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