クレフ×海

手帳にハートを描くたびに


 海はヨッコイショと、余り褒められたものではない掛け声を上げて、食堂の椅子に座り込んだ。講義で使う本やらノートや筆箱の類、それに読みかけの小説や小腹が空いた時にと買ったクッキー。メイクの道具など、たっぷりと入った重たくて、大きな鞄を隣の席に、同じ掛け声で下ろす。

「あ〜重たかった。」

 こんなに色々持たなくてもいいとは思うのだが、身の回りものをつい鞄にいれて持ち歩く癖が海にはあった。
 それは『世話を焼くのが好き』な人間が持っている癖なのだけれど、海は自分が世話焼きだなどと欠片も思っていない。隣でモタモタされていると気になって仕方ないからつい手が出ちゃうと海が言い、「私ってホント、短気かもしれない。」と分析する彼女を親友達はいつもそうかなと首を傾げて笑った。
 そうして、一息ついてから、海が鞄を漁って手帳を出した。
彼女の瞳に似た瑠璃色の表紙を捲り、今月の予定を確認する。ゼミや講義の名前と時間が書かれた枠の中に、ハートのマークの印が書かれたものがあった。
 海はその事に気付くと、今日の日付を確認した。

「後三日か…。」

 右手で持ったペンで、そのハートを軽くつついてみた。トントンとつつくと、何か幸せなものがポンポンと出てくるようで不思議だ。知らぬ間ににやついてしまっていたらしく、顔を上げるとゼミで知り合った友人が不思議そうな顔で見つめていた。
「龍咲さん、どうかした?」
「え、ううん。今月も目一杯埋まってるなぁって、ちょっとね。」
「私もバイトとか入れちゃって、どうよって感じかな。」
 ん?と友人が小首を傾げる。
 海のペンがハートマークを差していたのが、興味を引いてしまったらしい。何か問われる前にパタンと手帳を閉じた。

 本当は書きたい。クレフと。

 でも、そうしてしまうと、うっかりと光や風以外の友人に見られてしまった場合。言葉に困る。(誰)と聞かれる分はいい『好きな人』と言えるから。
 けれども、(何処の人)と問われると言葉に詰まる。嘘も方便なんて言うけれど、 友人に出来れば嘘などつきたくない。それでも、異世界の人間と正直に言うのも問題があるだろう。
 恋には悩みがつきものだと言うけれど、こんな悩みを抱える事になるなんてと、海は小さく息を吐いた。



「騒がしい街だと思っていたけれど、こんな静か場所もあるのだな。」 
 東京に訪れたクレフを、郊外のカフェに連れ出して大正解ねと海は心の中でガッツポーズを作る。
「でしょ?絶対クレフも気に入ってくれると思ったの。メニューもね、先にチェックしといた。字読めないでしょ?教えてあげる」
 海はクレフの横に座り、メニューを開くとひとつずつ料理を紹介していく。一生懸命に話す海の姿を微笑みながら見つめていたクレフは、もうと海に怒られた。
「せっかく私が説明しているのに、何見てるのよクレフ。」
「お前は本当に優しいなと思ってな、ウミ。」
 え、と瞠目し、海の頬は色を濃くした。
「そ、そんな事ないわよ。風の方がよっぽと人に気を使うし…私なんて。」
「そう謙遜するものじゃない。お前は、とても心の優しい人間だ。私はそう思っているよ。」
「ち、違うわよ。皆に優しい訳じゃないわ、私、クレフの事が好きだから…それで…。」
 普段の気の強さが成りを潜める。皮肉めいた応えを返している気もするのに、クレフは嬉しそうに笑っていて、海の顔はただ赤さを増していく。
「お前が奨める料理を頼んでくれないか? 説明を聞くばかりではやはりわからない。」
「え、ええ。わかったわ。」
 慌てて、ウエイターに手を振り、メニューとウエイターの隙間からクレフの顔をのぞき見れば、変わらず笑みを浮かべる男。気恥ずかしさと込み上げてくる嬉しさに、海の鼓動は走りを早めた。

 美味しい料理のお礼を出来ないかと告げるクレフに、海はパッと顔を明るくした。
「じゃあ、ひとつだけ。また逢える日を教えて。」
 海はそう告げて、鞄の中から手帳を持ち出す。バサッと広げて、クレフの言葉を待つた。
「少し間が空くが、10日ほど後なら大丈夫だ。」
「うん、わかったわ。此処ね。」
 日付を数えようとして見れば、幾つものハートが手帳を飾っていた。ハートの数だけ、クレフと逢っていたのだと思うと収まっていた動悸が再び高くなる。
 手帳にハートを描くたびに、嬉しくてそうしてちょっぴり、胸がざわつく。ハートの数だけクレフと逢えて、同じ数だけもどかしさが増える。
 海は意を決して(実際それほどの覚悟でもなかったのだけれど)クレフと書く。何もないのに心臓が高く鳴った。
「…ウミ、それは何だ?」
「え? クレフの名前書いたんだけど…?」
 手帳を見つめて、クレフは不思議そうに首を傾げて、困った表情に変わる。
「今まで何か模様を書いてくれていただろう?それが約束の日だと教えてくれたのではないのか?」
 心配そうな表情に海はパチパチと瞬きを繰り返す。クレフの視線は海の手帳で、それを書き換えた事に意味があるのかと問うている。海にとっても意味はあったが、クレフにしてみれば、見慣れない文字に変わった事と今まで習慣になっている記号ではない事が気になったに違いない。
 海はブンブンと頭を左右に振る。
「な、んでもないの、うん。ちょっとね、クレフの名前を書いてみただけなの。本当よ。」
 そうかと、安堵の表情を見せるクレフの様子が少し嬉しくて、けれども複雑な気分で、海はハートの絵を描き直した。


〜Fin

 糖度が足らない気が…すみません。


お題配布:確かに恋だった


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