鼓動


 死ぬ時には走馬燈のように場面が蘇る…と言った人がいた。
 ファイはぼんやりそう思った。

 あれは、買い物帰り。
 それぞれが両手いっぱいの紙袋を抱えて帰る道すがら、自分はサクラを振り返った。
「サクラちゃん、俺が持ってあげるよ。」
 えへっと笑って、そのままサクラの持っている紙袋を片手に持つ。
「だめですよ。ファイさんだって同じもの持ってるのに。」
「大丈夫だよ〜。だってサクラちゃん重いでしょ?さっきから、うんしょって掛け声かけてるし。」
「あ…すみません。」
 赤くなったサクラを見ながら、笑顔を浮かべてみせた。
「ファイさんて優しいですね。」
 それを見ていた小狼が黒鋼に言うのが聞こえた。しかし、黒鋼はこちらを一瞥すると吐き捨てるように言う。
「優しいと思うか?あいつが?」
「え?でも、自分の事を置いて俺達に気を使ってるように思えますけど。」
「…それは、何も感じてねえからだ。だから、あんな風に人と接する事が出来る。絶望しか心に無いやつは、生死の境で足を引っ張られかねない。」
てめえも注意しろ。と暗に黒鋼は言っていた。聞くとは無しに、その言葉を聞いて首を竦める。
『さすが…黒ぽん…。』そう思った。

 どうでもいいのかもしれない、生きる事も死ぬ事も。
「ファイさん!!」
 小狼の叫び声で、ファイはハッと顔を上げる。
 差し出されている手に、反射的に腕を伸ばすと少年はファイの手首を掴んだ。
 ざらざらとした砂の感覚と汗の滲んだ温かな温もり。

 運悪く、異世界からの出口は崖の上だった。吐き出されたファイの下に、すでに地面は無い。まるで、夢でも見ているように、空中に放り出された身体は落下していく。

 どうでもいい。そう思ったのは事実。なのに、少年の手が自分の腕を掴んだ。

 感覚が戻る。

 生ある自分の身体。そして伝わる鼓動。生きている相手の身体。

 小狼の身体が、ファイの重みに耐えられなくなって、引きずられるように前にめりになる。ぐっと唇を噛み締めた少年は、もう片方の手を崖の縁にかけて踏ん張っている。自分の片方の手は、だらりと下がったままなのに。

『生きているのに、生きようとしねえ奴は…。』

 下がった手で崖を掴む。ザラリとした岩肌が素手に痛い。体重を腕に掛け、足掛かりを探すと、何とか身体を安定させることが出来た。
 踏ん張る足や、緊張した筋肉。次々と感覚は蘇っていく。傷みも辛さも生きているからこそ伝わるもの。
「えへへ〜ごめんね〜ボーっとしちゃった〜。」
「大丈夫ですか?ファイさん。」  額の汗を拭いながら小狼はファイの顔を覗き込んだ。
「平気、平気それより小狼くん意外と力持ちだね。」
「んなわけ無いだろう。」
 黒鋼の腕が、小狼の襟首をつかむと横にどけた。
「姫さんが、怪我の手当をしてくれるとさ、行け。」
「はい。ファイさん、俺がひっぱっていたのは最初だけで、後は黒鋼さんが後ろから引っ張ってくれてたんです。俺一人なら落ちてましたよ。」
 そう言い残すと、小狼はサクラの側に向かう。
「死に損なったな。」
 そういう黒鋼にファイはへへ〜と笑ってみせた。
「だって、小狼くんだと思ってたんだもん。彼は絶対死にたくないだろうから、道連れにするわけにはいかないでしょ。」
「俺ならいいのか。」
 黒鋼はジロリとファイを睨んだ。ファイは待ってましたとばかりの笑顔を浮かべて、憎まれ口を聞く。
「黒りんは殺してもしなないでしょ?」
 黒鋼の眉間は皺を増やした。
「でも、なんか久しぶりに生きてって感覚があったかな。」
 見つめる手、腕。相手から伝わる鼓動が、自分の中にもあったと思い出す事が出来た。
「やりゃあ出来るじゃねえか。」
 黒鋼の言葉に、ファイは顔を上げる。身体から力を抜けると笑顔になった。
いつもの、何処か諦めた笑顔でない事は自分でもわかる。いつまで、もつのかはわからないけれど。…とファイは思う。
 もう少しだけ、生きていてもいいのかもしれない。



〜fin



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