最も忘れたくて、一番忘れたくない記憶

 セフィーロは「柱」の創りし世界。

 それは、光が『柱』となる前の、世界の常識だった。
 けれど光の願いを受けたセフィーロは、国に住む全ての物達が支え合う世界へと姿を変えた。柱の心そのままの風景や気候では無くなった。
 …とは言え、最初に創作したのが光である以上、その影響を全く受けない世界という訳ではないのだろう。此処から先は、きっと創造主を以てしても(予測出来ない未来)の類に突入しているに違い無かった。
 
 春の後に夏が来て、肌寒さを感じる季節がやってきた。

だから、これはきっと秋なのだろう。

 風はそう納得して、遠くに見える山々の木々に視線を向けた。
 植物の名前はわからないが、前に訪れた時確かに緑色だった葉を赤や黄色に染め上げて、彼等は山に彩りを添えている。そうして周囲を見回してみれば、ヒラヒラと降り注ぐ葉が、太陽の光を孕みながら地面へと降り積もっていた。
 葉の色にふたつと同じものは無く、さながらに無造作に色を重ねた絨毯だ。
 多くの実りをも、その懐に抱いた豊かな自然。美しく秋を着飾った風景に風は目を奪われる。
 この美しい世界を見る事が出来て良かった。風はそんな思いと共に、同行者を振り返る。少し遅れて、フェリオの姿があった。
 普段の大胆な行動は欠片も無く、なんとなく落ち着かない様子で風の側へと歩いてくる。

「…気持ち悪い。」

 ガサリと枯れ草を踏み、フェリオは不機嫌そうな表情を隠そうともせず眉を寄せた。風は彼の言葉を聞き咎め顔を顰める。
 こんなに美しい世界なのにと、風には彼の真意を汲み取る事が出来なかった。
「どうしてそんな事を?」
 酷く悲しげな表情をしたせいなのだろう、フェリオは苦笑してふるりと頭を横に振った。
「セフィーロは常春の気候だった。勿論寒い場所や、もっと暑い場所もあったが、こんなに多くの葉が散ちたことは一度しかないんだ。
 これじゃまるで…。」 
 言い淀んで唇を結ぶ。

まるで、崩壊していくセフィーロのようだ。

 彼の言葉にならない声が、やっと風にも届く。
己が見たのは、崩壊する前と崩壊しつくして荒涼とした岩肌になっていたセフィーロだけだ。自分たちが切欠だったとは言え、崩壊までの過程を見る術など無かった。
 ある日突然、全ての木々から葉が枯れ落ち、空が闇に閉ざされ地が消えたとしたら、それはセフィーロに住まう人々にとって恐ろしいだけの記憶だろう。
 それをもたらしたのは、根本的には『柱』だったとしても直接の原因は自分たちだ。
「…フェリオ…。」
「いや、すまない。これは四季というものなんだろう?ヒカルがそう言っていた。」
 何事も無いように笑顔を浮かべて、フェリオは周囲を見回す。風もズキリと痛む胸を抑え込んだ。
 彼は自分を責める事など無い。感謝しているという言葉が嘘だなどと思った事もない。それでも、フェリオのたった一人の姉を死なせてしまったのは自分達だ。
 その事実は絶対に揺るがない。
「ええ、もうすぐ雪が降る(冬)という季節がやってきます。だから、木々達は自らを守る為に、こうして葉を落とすのですわ。」
 雪は知っているぞ、と告げてからフェリオは小首を傾げた。
「身を守る?」
「植物の葉は大きくて薄い方が光合成をする上でとても便利なんです。
 けれど冬の凍結と乾燥にとても弱くて、持っているだけで自らの生存が危うくなってしまいます。だから、冬に向けて自らの葉を落として身を守ると言われていますわ。」
「言われています…なんだな?」
 じっと風の言葉を聞いていたフェリオは、琥珀の瞳を細めクスクスと笑う。何か可笑しかったでしょうかと聞くと、先の答えが返って来た。
「これは学説というもので、私も(樹木さん)に直接お伺いした訳ではありませんもの。」
 大まじめに答える風に、フェリオはハハと声を上げて笑った。
「なるほど、うん、そうか。」
「それとも、セフィーロではお答えが頂けるものなのですか?」
 風はイチョウに似た木の幹にそっと指先を滑らせ、何か聞こえるかと片耳を押し当ててみる。フェリオもその横に立ち、木にもたれ掛かる風の様子を見遣ってから、空へと視線を移した。
 瞼を落としても、聞こえてくるのはフェリオの声だけ。
「全てに心が有り、それが支え合っているのが今のセフィーロだ。
 でも、どうして心臓が動き、血管が血を送り出しているのかと問われても、フウだって答えられないだろう?」
「ええ、確かにそうですわ。」
「きっとこいつ等だってそうだ。」
 フェリオがポンポンと幹を叩くと、呼応するようにザワと葉が揺れた。
 ふふっと風が笑うと、フェリオも笑う。そして、閉じていた目を開いて、風は幹に置かれたフェリオの手に自分の掌を重ねて置いた。
 どうした、と柔らかな声と笑みが風に向けられる。

「…まだ綺麗ではありませんか?」

 風はもう一度だけ紅葉した山と絨毯に似た足元をフェリオに示した。  
「綺麗だな。」
 琥珀の瞳が嬉しそうに細められるのを見ると、風の胸がすこしだけ熱くなる。
彼は紅葉を褒めているのであって私に向けられた言葉では無いはずなのに、こんな時はスルリと動くはずの頭が作動不良になってしまう。
「それに初めての四季なのに、冬に向けて準備をすることを知っているなんて随分と賢いと思う。」
「私達だって、寒くなれば温かくなれるようにと動きますわ。」
 重なっている指先と指先がどちらからともなく交互に交わる。伝わる体温がジンと肌を温めていた。
 気恥ずかしくなった風とは違い、フェリオはただ嬉しそうに微笑む。
 
「そうだな、四季は全てが、変わっていくこと、行けることが実感出来そうな気がするよ。常春のセフィーロはもう、無いんだと本当に実感出来る。」

 それは、彼の姉が鬼籍に入っているという事実。風は再び瞼を落とした。
 
  光が、ランティスの声を聞き悲しそうな表情を浮かべるのを知っていた。それほど彼の声は、亡き兄に良く似ている。
 勿論彼が光に対して責め苛むような事を告げるはずはない。
 それでも、鳩尾をギュッと締め付ける何かに、自分達はふいに捕らわれるのだ。
 時間が忘れさせてくれるものなのか、それともずっと心の中に留まり続けるものなのか、風にはわからなかった。
 わかっているのは、前触れもなくふいに風の心を通り過ぎて行くという事だけ。
 何も起きなければ、確かにこんな想いをする事は無かっただろう。けれど、何も起きなければ、私はフェリオを知る事もなく、恋心を知る事も無いのも確かな事実。
 東京の四季は当たり前に過ぎて行き、世界の有様に深く心を寄せる事などきっとありはしなかった。

 ふいに、ギュッと包む込むように掌を握られる。慌てて瞼を上げれば、少しだけ頬を赤くしている、フェリオが見えた。
「これから先、繰り返し紅葉を見ていればそのうち馴れる。」
「何度も、?」
「そう、何度も。」

 フウと一緒に見て行きたい。

 貴方といる限り、何度でも思い出すだろう気持ち。それでも貴方から離れたくないと望む心。
 
「私、夏は暑くて苦手なんです。」

 コクンと喉を鳴らしてから伝えた言葉に、フェリオが笑う。
「でも冬生まれなので、寒いのは得意ですわ。指先がいつでも温かいと家族の者はいいますもの。」
 手の温かい人間は心が冷たい…なんて俗説をフェリオは言わない。
 
「わかってる。」
 いっそう強く握り込まれた指先。
「冬が楽しみだ。」
 単刀直入な言葉に、風は軽く肩を竦めふふと笑った。


お題配布:確かに恋だった
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