談話の途中。香がゆるやかに空気に混ざった。
柔らかな花の香りは心地良いものだったが、フェリオはハッと口と鼻を手で覆う。

 こいつは、眠り草の…!?

 気付いた時には遅かった。村長が住まいに据えられた会合場は眠りに包まれ、自分自身の意識も遠のいていた。



 藁の感触が心地良い。
ふんわりとした寝心地を最後に味わったのはいつだったろう。そんな事を想い、覚醒していく意識が周囲の話し声を聞き取る。
 不思議な事に、聞こえるのは子供の声ばかりだ。
「コイツ本当に、王子なのか?こう威厳とかないよな。」
「そうそう、貸衣装にも見えるぞ。」
「城門の兵士の方が数倍かっこいいよな。」  黙って聞いていれば、随分な言われようだとフェリオは身体を起こす事にした。
 腕に力を込めて、上体を持ち上げる。頭がふらつくのは草の後遺症。合わない焦点を無理矢理あわせようと努力しているフェリオの前に、少女がコップを差し出した。
「お水…飲んでください。」
「ああ、すまない。」
 御礼を言って、コップを受け取る。冷たい水が意識をしっかりと戻してくれる。自分の回りを見回す余裕が出来ても、藁が敷きつめられた納屋のような場所には大人の姿は見えない。
 周囲には彼女の他に、男の子が三人立っていた。
「一体どういう事だ?こんなこと、子供の悪戯じゃあ済まされないぞ。」
 フェリオの言葉に一番身体の大きな子供がギュッと服を握りしめる。ガキ大将といったところか、彼等を纏めているのはその子だろう。
 実際、細身の自分なら軽々と持ち上げられそうだとフェリオは思う。(恐らくその通りなのだろうが)
「悪戯なんかじゃない!俺等、城の人間に頼みたい事があっただけだ!」
「頼み…?」
 他のふたりも頷く。セフィーロという国は外見と中身が一致しない事も多いが、彼等は本当に外見通りの年齢のようだ。
 それでも真剣な眼差しに、大人も子供も関係はない。
「ねぇ、アンタ本当に、王子?」
「ま、一応。」
 ひらと手を振ると、疑っている目を向けられる。
「本当に城の人間じゃないと、僕等困るんだ。だって、もう、そうでもしないと…。」
 しでかした事の重大さを完全にではないだろうが、わかってはいるらしい。フェリオは大きく息を吐くと、笑みを浮かべた。
「前柱であるエメロード姫の弟フェリオが俺だ。そこは信用してもらっていい。」
 エメロードの名は絶大だ。少々胸が痛むが、利用出来るものは利用するというのもフェリオの信条。案の定、目を丸くした子供達はこくりと頷いた。
「おい。」
 ガキ大将が少女に合図を送ると、彼女は籠の中から何かを取り出し差し出す。フェリオはその生き物を掌で受け取った。
「…魔獣じゃないか…。」
 掌でムギュムギュと鳴き声を上げている小さな生き物は魔獣だった。
黒く爛れたような皮膚と可愛らしいとは言い難い顔立ちが、幼いながらも魔獣だと認識させる。それでも、近づけた指先をちゅっちゅっと吸う仕草は赤子のものだ。
「殺してしまえって、村長さんもみんなも…。でも、この子は何にも悪いことなんかしてない。だから私たち、…。」
 さも在り何…フェリオは少女の言葉には頷く。泣き出した少女が、アスコットと重なった。
「村長さん達よりもっと偉い人にお願いしたらいいんじゃないかって皆で相談して決めたんだ。視察で王子様が来るって大人達が言ってたから、そうしようって。
 でも、普通になんて絶対合ってくれないと思って…。」
 子供のひとりが説明を引き継いだ。泣きじゃくる少女を泣きそうな顔で見る。
「俺を眠らせて連れ出したって事か。」
 ハッと大きな溜息をついたフェリオに、少女は顔を上げる。
「王子も同じ事、言うの?」
「いや、こいつは俺の友達が喜ぶよ。
 アスコットって言って城にはこの子の仲間も多く暮らしてる。受け入れてくれるはずだ。」
 にこりと微笑めば、ホッと胸をなで下ろす少女を見る悪ガキどもの顔も安堵の色が浮かんだ。
「但し、やって良い事と悪い事の区別はつけろ。」
 随分と大胆な事を考えるものだと妙な感心をしつつも、一応履釘はさしておく。
「どんなに威厳がなくても、王子である俺が行方不明になったら大騒ぎになる。城の奴らに知られる前に戻った方が…」

 …と口に出したと同時に雷鳴と獣の咆哮が周囲に響いた。

 嫌な予感に、フェリオは急いで子供達を背後に庇う。
間を置かず、ドンと響いた音は落雷を伴った。大きな震動は床が波打つ程で屋根には大きな穴が開き、ブズブズと藁を焦がしている。揺れが納まって見れば、廃屋のど真ん中は地面を剔る大きな穴が出来ていた。
 恐怖に声も出ない子供に追い打ちをかける様に、壁に幾つもの亀裂が入り、斜めに滑り落ちていく天井と壁は、大音響と共に崩れ落ちる。粉塵が舞い上がり、静寂が訪れた。
 後に残ったのは、藻屑のような瓦礫の山と二つの人影。

「…お前等、ここまでやるか…?」

 アスコットとランティスの姿に目を丸くしたフェリオが、声を掛ける。
「当たり前だろ!王子を誘拐するなんて言語道断だよ!!!王子だって、フウが攫われたら、絶対これ以上やるよ!!!」
 拳を握りしめてアスコットが叫べば、冷ややかな眼差しのランティスは、手にした剣を鞘に納めたところだった。
「無事のようだな。」
「ああ。まぁな。」
 アスコットの意見に反論出来ず苦笑するフェリオの後ろ。纏のこんもりとした膨らみが小刻みに震えていた。ランティスの瞳が細められる。
「怪我とかしてな…あっ!!どしたのさ、そいつ。」
 アスコットはフェリオの手に乗るものを見つけると、すかさず魔獣の子供を胸元に抱いた。
「珍しいね、生まれたてだよ。この種類は肉体が朽ちてくると、新しい身体を分離させて命を繋ぐんだ。」
「この子達が拾ったそうだ。ほら、こいつがアスコットだ。」
 纏をぽんぽんと叩けば、恐る恐るといった様子で顔を覗かせた少女にアスコットは笑いかけた。手を差し伸べる。
「僕の友達を助けてくれてありがとう。
 この子何処にいたか僕に教えてくれないかな?前の身体を少し食べさせてやらないと免疫が出来ないんだ。」
 うんと頷いて、少女はスカートの埃を叩いてアスコットの手を取る。子供たちが小屋(の残骸)を出て行くのを見送って、さてとフェリオも立ち上がる。
 じっと見ているランティスに気付くと、何だよと声を掛けた。
「どうして、護衛をつけなかった?」
「邪念が感じられなかったから、つい油断しちまった。すまん。」
 そうかと呟き、ランティスは言葉を続ける。
「謝罪なら導師と親衛隊長に言うことだ、俺には関係ない。」
 鬼の形相になったクレフとラファーガを思い浮かべ、このまま出奔したい誘惑にかられる王子の二の腕をガッチリと掴み、羽交い締めにしたまま精獣に括られる。
「お、おいちょっと…!」
「一刻も早く連れて帰れというのが、導師からの指示だ。俺も異存はない。」
 取り付く島もない男に有無もない。
「わかった、わかった。後はアスコットが上手くやってくれるだろう。帰ればいいんだろ、帰れば!」



須くは世界を救出



…のはずなのだが、助けられた気が全くしない。
「これって、連行って言わないか?」
「心配ばかりかける王子が悪い。」



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