ツバサother2


「黒た〜ん。」
「何だ?」
 不機嫌な顔で振り返った黒鋼に、ファイは優雅に寝そべったままで言う。
「背中にオイル塗ってええ〜〜。」
 ブチッという堪忍袋の尾が切れた音がしたようで、小狼は思わず耳を塞いだ。

 今度訪れた世界は、灼熱の国。
 焼け付くような太陽が大地を照りつけ、水気を含まない砂地がその熱を反射していた。気候自体は、小狼やサクラが暮らしていた砂漠の国によく似ていたが、此処には、その国に無いものがあった。
 青く澄んだ海が、この国の大半を占めている。
 その中には、色とりどりの魚が泳ぎ、『珊瑚』と地元の人々が呼ぶ淡い色をした石細工みたいに見える植物のようなものがその海底を覆っていた。

 強い陽ざしは、皮膚の劣化と病気を生む。特に暑さに弱く肌の色が誰よりも白いファイは、地元民から同情の眼差しを受けていた。
『あんた、そんな色して外に出たら、火傷しちまうよ。』
 恰幅の良いおばちゃんはファイを見ると思い切り顔を歪めた。
『え〜?じゃあ、どうすればいいんですか?』
『オイルでも塗って、少しづつお天道様の光にならしていくんだよ。そんな柔肌じゃあ、全身火傷で『海の女神様』行きときまってるよ。』
そう行った彼女の肌は、見事な茶褐色で艶々といかにも健康そうに見えた。
『オイル?』
『ちょうど、持ってるから上げるよ。あんたなかなか私好みのいい男だからね。』
おばちゃんはウインクをしながら、ファイに小さな壺を投げてよこす。その蓋を開けて匂いをかいでみると、微かに甘い香りがした。
『椰子のオイルだから、少し虫が寄ってくるかもしれないねえ。でも、嫌がらずに全身に塗るんだよ。背中とは、特に陽ざしを受けるから、自分で塗れないようならお友達に塗ってもらいな。』

 そうして、ファイは、借りてきた長椅子(四人分)の上に俯せになって寝そべっている。
 黒鋼はかけているサングラスを指でずらして、ファイを睨みつけた。
 この国の衣装である派手な色のシャツそれも赤い大きな花が描いてあるそれ(アロハシャツです)を着て、黒サングラスをかけた彼は、ガラが悪い事この上ない。(ちなみに下は短パン型の海水パンツ)
もちろん、小狼もファイも同じような格好であるが、小狼のシャツは黄色が基調。ファイは青い色が基調となっている。
「やだな〜黒りん、そんなに怖い顔してると悪い人みたいだよ〜。」
 ファイはにこにこと笑いながら、右手の瓶を黒鋼に向けてブラブラと振ってみせた。そうしてさっさと羽織っていたシャツを脱ぐと、もう一度うつ伏せになって彼を呼ぶ。
「黒たん〜は・や・く」
 その言葉に、黒鋼は手の持っていたパイプにグッと力を込めた。
「なんで、俺がてめえの背中にそんなもん塗ってやんなきゃいけねぇんだよ。あぁ!?」
「だって、俺の柔肌じゃあ、やけどしちゃうから塗ってもらいなさいっておばちゃんが言ってたじゃない?」
「…だから、何で俺が塗ってやらなきゃいけないんだっつてんだろう。」
「仲良しさんでしょ、俺達。」
 ハートマークを撒き散らしたファイの頭上で、大きく振りかぶったビーチパラソルが目標をさだめる。勢いよく振り下ろされたそれをファイは片手でかわした。
 軽やかな身のこなしで、砂地に転がっているパラソルの下に潜りこむと『酷い黒り〜ん』と上目遣使いで自分に迫る黒い影に微笑みかけた。額に怒りマークを貼り付けた黒鋼は、再度振りかぶった。
「逃げんじゃねぇ。」
「え〜逃げないと痛いじゃない〜。」
 人間モグラ叩きを実践している二人を見ながら、小狼はわたわたと焦りながら呼びかけた。
「ち、ちょっと、黒鋼さん、ファイさん!!」
「まぁ、お二人とも楽しそうですわね。」
 おっとりとした声が小狼に掛けられると、彼は声の主に顔を向けた。
 茶褐色の長い髪を腰まで垂らした女性が両手を会わせながら、小首を傾げている。
 その見事なプロポーションと、艶やかな褐色の肌は惜しげもなく晒され、胸と腰回りを覆う僅かな布だけが彼女の肢体を隠していた。人目を惹かずにはいられない美貌は、穏やかな笑顔で縁取られている。
「タトラさん。」
「なんの遊びですか?私もまぜてもらおうかしら〜。」
 のんびりとした口調でそう問われて、小狼は猫背になった。
 おそらくは『人間モグラたたき』と答えても彼女は納得してくれたに違い無い。
 タトラはしばらくは楽しそうに、二人の姿を見ていたが、「あ、そうそう」と両手を打った。
「忘れるところでした。」
 忘れていたのんも係わらず、あくまでものんびりと彼女は話す。
「なんですか?」
「サクラちゃんが、呼んでましたわ。」
 そう言うとタトラはにっこりと微笑んだ。
「サクラが?一体どうしたんですか?」
 ん〜?と人差し指を頬に当てて考え込んでからタトラは「さあ。」と答える。
「市場の休憩所で待っていたら、サクラちゃんが走ってこられて、小狼君を呼んで来て欲しいって私に頼んだの。」
彼女の言う通り、サクラはタトラの妹タータと市場の方に買い出しに出掛けているはずだった。自分達が、この国の衣裳と浜辺で使用する小道具を買い揃えた時間から考えれば、彼女の帰りが随分遅いのだという事に小狼は気が付いた。

『女性の買い物は、特に『着る物に関して』は長いモノですからね。』

 という教育を藤隆さんより受けていた彼はそんなものなのかと思ってはいたのだが、改めて言われると確かに遅い。
 この国のお金が足りなくなったのか、それとも何かのトラブルに巻き込まれたのか…。考え出すと、小狼はいてもたってもいられなくなる。
「すみません。タトラさん、俺行ってきますから。ファイさんや黒鋼さんに伝えて下さい。」
 そう言い残すと、小狼は市場に向かって走り出した。



  砂浜を真っ直ぐに陸に向かって走ると、茅葺きの屋根と色とりどりのパラソルが連なっているのが見えてきた。
 あちこちから、甘い香りや鼻をくすぐる香ばし匂いがしてくる。活気のある呼び込みの声と店先に積まれた果実や魚肉に栄えている国という印象を新たにする。
「あ、小狼くん!!」
 少年の姿を見つけた少女が大きく手を振る。
 照りつける太陽の光よりも彼女の白い肌は眩しい。白地に薄紅色花が描かれたビキニにパレラ。薄茶髪には、同色の花が飾られている。
 少女が動くと、パレラの重なりからそのすんなりと形のよい足が見え隠れして、小狼の心臓がどきりと波打った。勿論、胸をときめかせたのは小狼だけではなく、周囲の群衆の中にも頬を染めてサクラを見ているものもいる。
「サクラ姫!どうしたんですか?」
 小狼は、サクラの横に走っていくと彼女の周りに注意を払う。そうしていると、ふいに彼女からいい香りがした。
「え…。」
 タトラのつけていた香水によく似た、しかし彼女のものよりもずっとさわやかな香りがする。
「あ、この香り?ここの女の子は皆香水をつけるんですって、『海の女神様』は香りのお好きな神様だからって…?つけすぎかな?」
 両手をかわるがわる鼻に持っていき、匂いを確かめている。つけたことがなくて、分量が良くわからないのと眉を寄せた。
「あ…いいえ、そんなことはありません。…。あまりにも、いい香りがしたので…素敵だなって…。」
 言ってしまってから、小狼は赤くなってその口を抑えた。サクラも真っ赤になる。
「小狼君、この匂い嫌いじゃなくて良かった。」
 サクラは両手を前で組みながら、小首を傾げて笑う。一瞬見とれて、小狼は慌てて目的を思い出した。
「それで、どうしたんですか姫?」
「そうそう、あのね。モコちゃんが…。」
「モコナに何かあったんですか?」
 小狼は表情を引き締めた。彼(彼女?)は旅の要と言ってもいい、モコナに何かあれば、旅が出来ないどころか言葉すら通じなくなる。
「あのね。…」
話しだそうとしたサクラの声を遮るように、通りの向こうから大きな歓声と、タータの声が聞こえた。


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