目が痛くなるほど鮮やかな ※OVAクレ海 私が書いているOVA設定になってます。 「仕事。仕事なの、そう仕事ね。」 海は三回その言葉を繰り返す。計9回聞かされたフェリオは顔を顰めた。 「だから、嫌だと言ったんだ」 横を向いて溜息と共に吐き出された呟きを、海の耳はしっかりと聞き取る。 目の前にいる青年の顔を覗き込むように腰を回すと、彼女の長い髪はひらりと宙を舞い、ふわと着地する。そして、蒼く意思の強い瞳は上目使いに彼を見つめた。 「何が嫌なの?私と会うこと?私に伝える事?」 「……わかってて言うな。底意地が悪いぞ。」 追求してくる強さから眼を反らし、フェリオは瞼を閉じる。重ねて言葉を続けようとした海の台詞を遮ったのは、穏やかな声だった。 待ち合わせをしたカフェテリア。椅子に腰掛け二人の会話を聞いていた風が微笑む。 「海さんは、貴方に甘えてらっしゃるんですよ。」 クスリと笑う風に、海の頬は薔薇色に染まった。 「そ、そんな事ないわよ。」 フェリオも顰めていた表情を緩める。 「海が怒るのも無理ないとは思うんだ。俺もいい加減にしておけと言ったんだよ。だいたい、先だってから、あいつ殆ど休みをとっていないんだからな。」 「まぁ…この間海さんとお約束なさってから、1ヶ月以上は経ちますわ。そんなに長い間休息無しだなんて、クレフさん、倒れてしまわれますわよ?」 「あいつも、ちっこいくせに割りと体力はあるんだが「クレフはちっこくないわよ。」」 拳を握って、反論をした海がはっと口を抑える。琥珀の瞳を細めたフェリオが、くくっと喉を鳴らした。クスクスと風の笑い声もする。 コホンと咳払いをして海は、椅子に置いてあった鞄を手にとった。 「クレフが来ないのなら私帰るわ。馬に蹴られたくないもの。」 鮮やかに決まるウインク。けれど、風の表情は冴えない。 「…ご一緒しませんか?折角映画のチケットも用意していますし。」 「ううん。今度ひとりでのんびり見るからいいの。気にしないで、風。フェリオだって、1ヶ月ぶりなんだもの楽しんでいらっしゃいよ。」 気がかりで表情を曇らせる恋人の顔を眺めて、フェリオは大袈裟に肩を竦めてみせた。「そうだな、俺も風とふたりきりでのんびり過ごしたいしな。」 「フェリオ?」 彼が何かを企んだ時の声色を感じて風が名を呼ぶ。 「だから、俺はウミが行きたいところがあれば、先に送っていきたいんだがなぁ。」 「…フェリオ、それって…。」 蒼い宝石のような瞳が、大きく見開かれた。 「なぁ、ウミ。生真面目はクレフの取り柄だが、無鉄砲はウミの十八番だろ?たまには、あいつのペースを崩してやってくれ。お前になら出来ると思う。」 そういうと、フェリオは溜息まじりの苦笑いを浮かべた。「…あいつ、妙なところで素直じゃない…。」 「何言ってるの。」海はそう言い、笑った。「私もよ。」 かさりと痛痒い喉。 コンと一度咳をしてしまうと、続けざまに咳は続き息苦しくなる。クレフが口を抑えるようにして、咳を留めても息苦しいのは暫くは収まらなかった。 「困ったものだ。」 風邪を引き込むなど何年ぶりだろうか。 随分と気を張って過ごしていたものだと思い、その緊張がどうして抜けたのかを考えると、悲しそうな少女の顔が浮かんだ。 約束を反古にしたのは、これで二回目だった。 最初は本当に仕事に追われて時間が取れなかったが、今度こそと思って仕事を無理にこなそうとしたせいだったのか、病気を招いてしまったらしい。 こんな姿は彼女に、ウミには見せられない。 どんなに勝ち気な瞳をしていても、綺麗に形どられた唇から辛辣な言葉が紡がれようとも、彼女は誰よりも心優しい女性だ。 どんなにか心配を掛けてしまうのかと思うと、喉よりも胸が痛む。いや、約束を破ってしまうことと、どちらが胸が痛むのだろうか。 「すまないな、ウミ」 「謝るくらいなら、私の顔を見て言ってくれる?」 はっきりとした言葉は、廊下へと繋がる扉から聞こえた。 驚き顔を向けたクレフの目に、異世界の少女の姿が映る。 サラサラした長く蒼い髪は揺れていない。それは、彼女が今此処を訪れたのではない事を示していた。ぎいと音をたてて閉まる扉に、なんの気配も感じなかった自分に驚愕する。 細い腕をすんなりとした腰に当てて、形良く長い脚は肩幅に広げられている。 そして、湖面を思わせる蒼い瞳は、月光を照らすそれのように輝いていた。 コホン…また、咳が出たが、それ以上は続かず、代わりに顔にのぼったのは苦笑だった。 「フェリオがいらない気を回してくれたか…。」 悪戯めいた海の瞳が細められる。 そして、それが合図だったように彼女はゆっくりとクレフの元に歩み寄った。ツカツカと彼女のヒールの音だけが広い執務室に響いた。 歩きながら、海の唇は言葉を乗せる。 「彼が言い出さなかったら、私が首を絞めてこっちへ送ってもらってたわ。ったく、風にどれだけ恨まれたら済むと思ってるの?」 長い睫毛が数回瞬くと、彼女の端正な顔はクレフの目の前にあった。 「さっき、術師の人から『ウミ様もご進言下さい。導師が無理をなさっていて心配しております。』な〜んて言われちゃったわよ。」 クレフ。 海はしっかりとその澄んだ声で名を呼んだ。 「なんて無茶してるのよ?」 こつん。小さな音を立てて、ふたりの額がぶつかった。 薄紫の柔らかな髪を挟んで感じる相手の体温は、やはり少し高く感じた。汗をかいているのか、しっとりとした感覚。海はその状態のまま、目を閉じる。 「…ウミ…?」 上擦った相手の声がなんだかとても可笑しくて、海はクスリと笑った。動揺しているのだ。いつも、物静かな相手が。 「熱…あるわよ。」 「そうか…気付かなかった。」 「ねぇ、クレフ。風邪…私にうつして。」 海の言葉にクレフが息を飲み、そして喉から出そうになった咳を押し留めるのがわかる。それを感じて、海は瞼を引き上げる。 彼女はクレフの両肩に手を置くと、僅かに身体を放した。 「そうしたら、すぐ治るわ。」 軽く、海から重ねられる唇。 「ウ…ウミ…?。」 やわらかな感覚がはなれていくと、クレフは困惑した表情になる。 「お前に風邪をうつして、私にどうしろと?」 「仕事…するっていうのは、どう?」 至極真面目な顔で海は言い、微笑んだ。 クレフは眉を潜め、精悍というよりも可愛らしいとさえ思える顔を歪めた。そうすると、本来外見よりも遙かにとっている歳に近付いて見える。 「そんな事、出来るわけがない。お前を苦しめて仕事など…。」 目の前の少女の行動を察する事が出来ない。ウミは次に何と答えるのだろうか。 洞察力に優れたと、言われた事もある自分が『彼女の前』ではなんと無力な事か。 「じゃあ、仕事より私が大事…ね?」 「ああ。」 苦笑。クレフの顔に浮かぶものはそれだ。 「なら、私の言うことが聞けるわよね。今日は薬を飲んで寝るの。ぐっすり、朝まで…ううん、夕方までだって良いわ。」 「…そうさせてもらうよ…。」 「で、風邪を直す。そうしたら、クレフが私をレイアースへ送っていくの。フェリオにばかり頼っても悪いじゃない?」 「そうだな…しかし、お前はいいのか?レイアースでの用事や…。」 「大丈夫。心配しないで、用事は全部済ませてきたから。 そして、ここからが肝心よ。クレフ、良く聞いて?。レイアースについたら貴方は私とデートをするの。素敵でしょ?」 真ん丸に見開かれたクレフの瞳は、愛しそうに細められた。『まったく』…小さな溜息。 「…お前には敵わないな…。」 「わかる?」 ふふっと海は微笑む。 「さあ、部屋へ帰って休みましょう。私ずっと側に…添い寝してあげましょうか?」 「ウミ…。」 『冗談よ』と海が差し出した杖を手にして、クレフはゆっくりと歩き出す。傍らに大切な少女の温もりに感じながら…。 抑えるばかりが己の心の行き場ではないのだ。海の心遣いに甘えて眠りにつく。そして、目覚めるとそこにあるのは、きっと目が痛くなるほど鮮やかな笑顔。 そんな幸福を素直に嬉しいと感じ、たまには風邪を引くのもいいなどと思うクレフは、恐らく別の病にかかっているのだ。 海だけが治すことの出来る特別の病に。 〜Fin
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