不意に見せる表情にさえ


※OVA クレフ×海


  『私は悩める乙女である。』

 海はそう自分の立場を考察する。
遠距離恋愛をしている歳の差カップル。そう言えない事もないでしょう?

 そう考えれば、雑誌に良く出ている悩み事相談に出てくる関係そのものではないだろうか。
 相手は社会人、私は学生。
 色々と食い違うお互いの主張と主観。追いつきたい私と、子供扱いの貴方。なんてお決まりの状態。おまけに、(そう)ここまで来れば立派な少女漫画の出来上がりだ。
 彼の職場には、元カノがいて、結構仲むつまじく仕事をしている…だなんて。


「ねぇ、此処やってみてくれない?」
 海は、レイアースから持ち込んだ雑誌をテーブルの上に広げ、向かい側に座って紅茶を飲もうと口元まで運んだクレフを睨み上げる。
「一体なんだ?」
 クレフは、カップを皿の上に戻すと雑誌を覗き込む。真剣な海の表情につられたのだが、其処でクレフの眉間には皺がよる。
「どうしたのよ、クレフ。やっぱり、答えられないの?」
 海の眉も顰められ、彼女の青い瞳は広げられた頁のタイトルを見つめた。

『貴方と彼の相性度チェック。転ばぬ先の杖よねvvv
ついでに、元カノとヨリを戻す男かわかっちゃうぞ!』

 何とも長めで、要約性に欠けたタイトルではあったが、海の心情にはバッチリヒット。これが答えられないなんて、最初から暗雲立ち込めているって事!?
 ヒロイン魂に拳が入りそうな海を見つめて、クレフは苦笑する。
「すまない、海。私には読めないんだが?」
「ええ〜〜。」
 海は両手で雑誌を握り締め、しくったわ。と一人語つ。
 タイトルが読めないのは、幸いね。と思ったのは確かだが、内容すら読めなくて当然だ。こうなったら、自分が読み、彼の応えを聞いていけばいいのよ。
「良い?私は読み上げるから、質問に答えてね。」
 皺になった紙を手の甲で伸ばして、海はこほんと咳払いをしてみせる。
「ああ、わかった。」
 にこりと、柔らかな笑みを浮かべたクレフに、ほんのりと頬を染める。澄んだ紫の瞳についつい見惚れてしまうのだ。

「ウミ?」
「あ、ええと、始めるわね。」
 ゆっくりと質問を読み上げると、クレフは時に素早く、時に暫く首を傾げたのちに答えを返してくる。アミダのように、YESとNOを選んでいくよく見かけるタイプの選別方法。
 次々と進む海の指は、最後の設問枠に差し掛かる。
自然、読み上げる声にも力が入り、次に進もうとする指は勇み気味。
「前の彼女が今の恋人の前で困った事があると相談してきました。貴方は相談に乗る、乗らない?」
「ああ、そうだな。私は…。」

「導師。」

 凜とした声が響く。
腰までのびた艶やかな金髪を揺らして小走りに近寄って来た女性に、クレフは驚いた表情を向けた。
「どうした、プレセア。」
「ええ、ちょっと問題が…あ、ごめんなさい。」
 クレフの肩越し、海と視線があったプレセアは一瞬目を見開くと、口元を押さえながら小さく会釈を返す。海も片手はテーブル、もう一方は雑誌を指さしたままという格好で、同じく小さく頭を下げる。
「邪魔をしてしまったかしら。」
 眉を顰めて呟いた言葉に、クレフはふると頭を横に振った。
「そんな事はない。海、少し席を外すが待っていてくれ。」
 ええ、と海は返事をして、プレセアと共に扉に消えていくクレフを見送った。
 肩を並べ(といってもクレフの方が僅かに低い)ふたりは、海の目から見てもお似合いだった。大人の女性を感じさせるのに、プレセアは何処か可愛らしい雰囲気も持ち合わせている。
 
 クレフが前に好きだったって気持ちがわかるなぁ。と素直に思える時があるのだ。

 自分だって、いつまでも子供のままでいるとは思わない。
 出るべき所はしっかり出ているし、締まる部分は確かに締まっているはずだ。
級友の男が、『龍咲は大人って感じだよな 』と噂しているのも知っていた。大人っぽさは、風には劣るかもしれないが、光よりは断然あると言い切れる。
 でも、それは自分が住む世界の話で。
此処がセフィーロであっちがレイアースという訳ではなく、自分の技量で働き、それに見合った自信と糧を得ている大人が持つ輝きというのだろうか。
 
 時々、ままごとにクレフをつき合わせているような気分になる。

あ〜あ。そんな溜息とともに落とした視線は『元カノとよりを戻すタイプ』にしっかり分類されていた。今見た光景、まんまじゃない!と憤慨しれ雑誌をばさりとひっくり返し、見なかった事にすると海はソファーに背を預けた。
 ズルリと落ちていく身体はそのままで、天井を眺める。

「クレフの馬鹿。」
 口に出すと極まりが悪い。馬鹿と言ったひとが馬鹿。もう一言付け加える。
 別れた彼女と蟠りなく仕事が出来る。まるで、ドラマの様な理想的な関係ではないのだろうか。
 お互いに尊重しあって、認め合う。
そんな事を考えていると、こうして行儀悪くソファーに寝そべって、プレセアに嫉妬している自分がやけに矮小に感じて、つんと鼻頭が痛くなった。

「私の馬鹿。」
 この言葉はしっくり来て、海の気持ちをよけいに沈み込ませた。


「ごめんなさいね。」
 伏し目がちなプレセアに、クレフは笑ってた。
「そうかかるものではないだろう? 後でウミにはあやまっておくから。そう悪がられると私も困ってしまうじゃないか。それで、この書類の何処に問題があるんだ?」
「ええ、そうね。ごめんなさい。この部分なんだけど…。」
「ああ、此処か。」
 作業を開始したクレフを横から見つめながらプレセアは、長い髪を揺らした。
必要な事だったのは確か。けれど、今やらなければならないというものではない。

 クレフと楽しそうに笑う少女に姿にちょっとばかし、羨ましさを感じて意地の悪い事をしてしまったと思う。
 異世界でクレフの心を捕らえてしまった少女。あんな優しげに見つめる彼を見たことなど無かったわと、そう感じた。
 けれど、唇に指を押し当てプレセアは自嘲の笑みを浮かべる。
 勿論こっそりと…だ。クレフと共に暮らしていた頃、共通の友人に同じ台詞を告げられた事を思いだしたのだ。

『あいつのあんな顔見たことがないな。』

 そうなのだろうか?
 プレセアは正直そう思った。今思えば当然だろう。その頃、彼が自分に向けていた表情は他の人間が見たことのないものだけ。何かと比べようもない。
 けれど、今、異世界の少女に向ける瞳に確かな真実を感じ取ることが出来た。
 共に暮らした日々は嘘ではなく、確かな真実で。あの時クレフは本当に自分を大切に思ってくれていたという確信を。
 彼女に見せているものと同じ瞳で、見つめられていたのかと思えば、あの頃の自分の鈍さに腹も立った。
(判っていたら、別れなかった。)
 そんな、つまらない事をいうつもりはない。彼と別れ、創師として道を究めつつある仕事に誇りを持っている。ちっぽけな自尊心のつもりはない。それこそ、離れる自分を怒ることもなく許し、薦めてくれたクレフに失礼だ。
 今、こうして彼と共に、セフィーロに復興に携われるのも、いわば、その時の決断なくしては考えられない。
 けれど、わかっていれば、もっとクレフに感謝出来た。愛してくれてありがとうと、もっと言葉にすることが出来た。

 プレセアは、書類に向かい集中しているクレフを眺めてクスリと笑う。
 変わらない…懐かしさに胸が詰まる。
 何かに夢中になると、彼は他の事など目に入らない。思慮深く、何でも出来る導師なんて言われているけれど、結構すっぽりと抜け落ちていたりする。
(まぁ、それが今、書類の書き直しだったりするのだけど)
 それでも、人々がそう感じないのは、一心不乱に取り組む彼の姿が、なんでも出来ているように見せているのだろう。
 導師がお間違えになるとは珍しい…書類を持ってきた術師がそう言って、プレセアは思わず苦笑したのだ。
 まだ、他の人にはわからない事柄。

…でも…。

 プレセアの歯がきゅと唇を噛んで、しかし開いたそれは微笑んでいた。
今、それを知っているのは、私だけではないのかもしれない。

「さ、出来たぞ。どうかな?」
 差しだされた書類を見て、プレセアはにっこりと笑う。
「完璧ですね、導師。」
「そうか、良かった。」
 クスクスと笑うと、クレフも嬉しそうに微笑んだ。嗚呼、違うのね。
プレセアの綺麗な弧が微かに歪んだのを誰も気付かない。本人には、決して気付くことのない違いは、やはりプレセアの胸を痛くする。

「さて、何か飲物でも持っていくとするか。」
 大きな杖を支えにして立ち上がる。こういうどこか年寄りじみたところも、プレセアは好きだった。
「私、先に彼女のところへ行ってもいいかしら?」
「ああ、ウミもひとりで退屈だろう。そうしてくれ。」
 プレセアの台詞にも行動にも、なんら拘る事なくそう告げ、クレフは厨房に向かう。プレセアは両手で書類を抱え込み天井を仰ぎ見てから、大きな溜息をついた。
 
 元の彼女と今の彼女がふたりきりで会うというこの状況に、クレフは何の危機感も感じていないらしい。
 サラリと、背中のポニーテールが揺れる。

「困った方ですわ。」
 そう告げたプレセアの表情の方が、遥かに困った顔をしていた。


「此処いいかしら?」
 唐突に降ってきた声に、海は外に向けていた視線を慌てて向かいに戻した。
最も声を掛けてきたプレセアにとっては、唐突でもなんでもないのだろう。慌てた様子で姿勢を正した海に、どう?と視線と聞いてきた。
 こくりと頷き、どうぞと声で答える。
「ありがとう。」
 柔らかな仕草で、椅子に腰掛けるプレセアを、海はマジマジと見つめてしまう。
 綺麗な顔立ち、しなやかな髪。細身ではあるが、出るべきところは出ているナイスな体型。おまけにそれを知り尽くしているかのような、細いシルエットの服。
それでもって、外見だけ綺麗で、中身がイマイチって事もなく、どうやらこのセフィーロという国でかなりの実力を持つ人物らしい。
 きっと、これは才色兼備という形容詞で括られるような人間なのだ。そう思うと、海は両膝の上に乗せた手が、ギュッと握りしめられるのを感じた。

 その才色兼備が私になんの話しがあるのだろう。

『お願い、彼と別れて。』
 うう〜ん。これは昼ドラの見すぎね。いきなりそれはナイナイ。
『思った以上にチンチクリンね、貴方は彼に相応しくないわ。』
 チンチクリンって、自分のボキャブラリー不足に頭が痛いわ。
『あんな事をしておいて、こんなところまで、どういうつもり?』
 あ、これはちょっと、痛いかも。

「ごめんなさいね。知っているとは思うんだけど、謝って置こうと思って。」
「へ?」
 躊躇いがちに掛けられた言葉に、海は虚を突かれて間抜けな声を出してしまう。
「クレフの私室、私のものがちっとも片付けられていないでしょう? 一応お願いしてから出たんだけど…。」
 心底困ったプレセアの表情に、海は何故か同情心が湧くのを感じる。頬に手をあてて溜息をつくプレセアに、それまで思ってもいない声が出る。
「ううん。そんなの貴方のせいじゃないわ。」
「でも、気分を害したでしょう? こんな事なら私が片付けてから出れば良かったって、随分後悔したのよ。」
「クレフから聞いたの。嫌いになって別れたんじゃないって、だから仕方ないかなぁって私、思うわ。だって、やっぱり少し寂しいもの。」
 プレセアは少し驚いた顔を見せてから、微笑んだ。ありがとうと付け加える。優しく笑うんだ。海は思う。
 きっと、この人は今でもクレフが好き。不意に見せる表情にさえ、そんなことが溢れていた。

「ねぇ、プレセアさんは、クレフのどんなところが好き?」
 きょとんとしたプレセアの顔。海は、自分の口をついて出た言葉に心底驚いていた。
 何聞いてんのよ、私。馬鹿じゃないの? おまけに、『だった』じゃないのよ『好き』なんて、現在進行形のINGだって言ってるのと同じでしょう?
 腹の底の方でふつふつと文句が湧きだしてくる自分がいた。けれど、海は聞いてみたいと思ったのだ。それはまぎれもなく本心で、理由はよくわからない。
 好奇心に近い、強いて言うならば、好きな人を同じくした者の何処か共鳴に似た気持ちがもたらした所業だったのかもしれない。
 
 プレセアはん〜と唇に手を押し宛てて、天井を眺めて思案してから、海に微笑んだ。困った様な笑み、長い髪がしなやかに揺れる。
「…不器用なとこ…かな?」
 ふわ…。海も、その蒼くて澄んだ瞳を目一杯見開いた。
プレセアの答えが、余りにも自分の気持ちにすとんと来る。
 これは、きっと同調だ。やっぱり彼女以外に、私の想いがこれほど伝わる相手はいないんだ。
 困ったのは同じなのに、海は嬉しいという気持ちも抑えられない。
 「そう、私もなの! 皆、落ちつてて、そつが無くて思慮深いなんて言われてるんだけど、そんな事ないよね?」
 机を叩いて、起立。握り拳で訴えた海に、最初は目をぱちくりさせていたプレセアも頷いた。
「よく物忘れ、するわね。」
「そうそう、用事のある場所まで行って思いだして、でも、何しに行ったのか忘れてまた戻ってくるの。それで、拳でこう掌をぽんと叩いて『おお』とか言っちゃうの。」
「そうそう、でも、見つからないと短気を起こしちゃったりして、可愛いって思うのよ。」
「うん、可愛いのよ。そうよね? どうして誰もわかってくれないのかしら。クレフの魅力は可愛らしさなのに。」
 そこで、プレセアと海は顔を見合わせて吹き出した。
「同じね。」
「そう、同じなの。」
 海はスカートの裾をぎゅぅっと握って、頬を染める。いつも強気な瞳が
微かに揺れて潤みを帯びる。それでも、意を決して言葉を伝える。

「私、クレフが好きなの…。」
 
 はっとプレセアが顔を上げた。海の手が振るえているのを見て、眉を顰めた。彼女の琥珀の瞳も海を写して揺れる。
「大好きなの…。」
「ウミ、私達はもうお別れしたのよ?」
「ううん、違うの。そんな事を言ってるんじゃなくて、気持ちは止められないの知っているから。でも私もプレセアもきっとクレフが大好きで。…だから。」
 強い意志を持った瞳がプレセアを見つめる。
「だから、プレセアも遠慮しないで。私、絶対負けないから。」
 強い意志と強い瞳と。何故、クレフが彼女に惹かれたのかわかるような気がして、プレセアはそっと海の背中を抱き締めた。クレフも可愛い、でも、腕のなかの少女も確かに可愛らしい。
「わかったわ。私達、恋のライバルね。」
 クスリと微笑んでみせると、海も笑う。

「何をしてるんだ、お前達。」
 木彫りのトレーに飲物をのせたクレフは、不思議そうな表情でじゃれ合うふたりを見つめている。ったく、そんな感じで海は両手を腰にあてる。
「クレフ。元彼女と今彼女が相対しているんだから、もう少し危機感というものを持ってよ。」
 海の呆れた声に、プレセアがクスクスと笑う。
「そうですよ。私達、恋のライバル宣言をしましたので。もう、止められませんわ、ね?」
「ね〜。」
 にっこりと微笑み合う二人に、はっきり言ってクレフはついていけない。
自分がいない間に、一体何が起こったというのだ。
「お、お前達、何の事を言って…。」
「さあ、何でしょう?」
「導師もお考えになってみては如何ですか?」
 まるで、息の合った共犯者のようなふたりに、クレフが目を白黒させる。どんな世の理を理解しようとも、乙女の気持ちを理解出来ない者には
今の状況は窮地であった。

「乙女の底力って凄いのねぇ。」
 海に事の顛末を聞かされた挙げ句、告げられた言葉に、光と風が驚いたのもまた言うまでもないだろう。


〜Fin



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