眠れない夜には


※ランティス×光


「イノーバ!」
 光が呼ぶと、ピンと伸ばした耳をぴくぴくっと動かす。大きくて長い尻尾をバサバサと振り、首をこちらに向けた。んん?と言っているように小首を傾げて、黒い瞳をクリクリッと回す。
 そして、彼女を呼ぶように、一声吠えた。
「イノーバ!久しぶり!」
 それが合図で、光はイノーバに駆け寄るとふわふわした白い毛を両手で抱き締めた。柔らかな舌が、ふくっらとした光の頬に歓迎の口付けを落とす。

 途端、眉間に皺が寄った。

「ランティス…精獣に嫉妬は見苦しいぞ。」
 隣にいたフェリオの忠告に、視線を動かしても眉間に刻まれた皺は、減りはしない。いや、また増えただろうか?
 楽しそうに追いかけっこを楽しむイノーバにつられて、光の姿が遠ざかっていくのが見えた。ランティスの顎が、それを追うように前に動く。
「ランティス…。」
 その声は既に、咎めるというよりは呆れている。
「イノーバ!」
 遠くではしゃぐ二人を黙って見つめていたが、今度は低くランティスの声が精獣を呼ぶ。
 ぱっと顔を上げ、一目散に主の元へ駆けてくる。その後に光がついてきた。三つ編みを上下に揺らして、楽しそうに後を追い、ランティスの掌に頭を押しつけてるイノーバに抱き付いた。
 とりあえず、光が自分の側にいることに満足している男に対して、フェリオ達はもう何も言わない。やれやれ…そんな言葉が顔に書かれていた。
 ううん。鼻から抜ける可愛い声を出しながら、頭を毛皮にすり寄せ、光は何かに気付いたように動きを止めた。
「イノーバは、首輪をしてないんだね?」
「そう言えばそうねぇ。」
 海も唇をツンと尖らしてそう言う。
「こちらには、野良犬などという観念は存在していらっしゃらないようですから必要ないのではありませんか?」
 光は二人の言葉を聞いていたが、ふるふるっと首を横に振った。
「でも、イノーバは本当に綺麗だから、きっと似合うのに。」
そして、パッと顔を輝かせた。「ねぇ、街に買いに行こうよ。海ちゃん、風ちゃん。」  しかし、その言葉に二人は顔を見合わせた。
「申し訳ありませんが、私はフェリオと約束をしておりますので…。」
「私も駄目よ。アスコットとお友達の行水を手伝うって、この間から決めてたんだもの。」
「そうなんだぁ。」
 キリっとした眉毛を顰めて、しばらく考え込んでいたようだったが、光はランティスを見上げた。じっと赤い瞳が見つめる。
「…ランティスは?ランティスは誰かと約束があるの?」
「いいや。」
 目の前の少女が訪れるのを待っていた青年に約束などあろうはずもない。
「じゃあ、一緒に街に買い物に行こう?ね。」
 ぱあと輝く笑顔に、ランティスは条件反射のように頷いた。クスクスと海が笑う。
「ねぇ、これってデートの誘いじゃないの? 光ってば大胆ね〜。」
 その言葉に光は目を真ん丸くして、頬を赤く染めた。
「別に、私はそんなつもりじゃ…。」
「海さんからかってはいけませんわ。光さんがお気の毒です。でも、どうぞ楽しんでいらして下さいね。」
 風はそう言い、光の背中をランティスの方へとんと押し出す。ランティスは、光を纏の中に抱き込むと城門へ向かった。

 

 街へと向かう道すがら、先程と真反対に口を閉ざしてしまった光に、ランティスは不思議に思い声を掛ける。しかし、考え事をしていたらしい彼女は、返事をしない。
 二人の後ろをついて歩いていたイノーバが、足を早め前に躍り出た。
 小さく吠えると、光が真っ赤な顔を上げる。
「…熱でもあるのか?」
「え?ううん。違うの、あの、私、デートってしたことなくて。どんな、なのかなって思って。」
「…そうか?俺もしたことはないが…。」
 え?と光のきょとんとした顔にランティス無言で頷く。
「そうなんだ。じゃあ、デートじゃなくても、大丈夫だね。」
「ああ?」
 ランティスには、光の言う意味がわからない。けれども、消えていた笑顔が再び彼女の顔に戻るを見ると、そんな事などどうでもいいのだ。
「行こう、ランティス。私、イノーバに似合うとびっきりを見つけてあげるんだ!」
 ランティスの手をしっかりと握り、光は走り出す。
「走るのか?」
「時間が勿体ない、いっぱい色んな、本当はセフィーロ中のお店を回りたいんだ!」
 輝くような笑みを満面に浮かべる光に、ランティスの有無はなく。走り出したふたりの後を、イノーバはなおさら楽しそうに追いかけて行った。  
「ほらほら、ランティス早く!!早く!!」
 結局、その一日は店から店へ、戯れる蝶のような光に、ランティスは町中を引っ張り回された。



 夜更け。
 何とはなく考え事をしながら、 窓辺に腰掛けていたランティスの足元に白い精獣が寄る。まだ、寝ないのかと問うように小首を傾げたが、ランティスが動く気配をみせないことに気付くと、その場に座った。
 自分と同じく窓から星空を眺めるイノーバの頭を撫でてやると、首につけられた赤い首輪が揺れた。

 散々迷って、この首輪に決めた。
可愛らしく、意思の強い瞳を煌めかせ誇らしげにイノーバに付けてやり、彼女は自分の事のように喜んだ。城の皆にも自慢してまわり、本当に嬉しそうな姿がすぐに思い浮かぶ。
 異世界へ帰る間際まで、何度もイノーバを見つめて笑っていた光を思い出すと、心はただ充たされる。楽しかったね。ランティスと彼女は自分に告げていた。
 眠れない夜には、これを見つめながら、異世界に居る彼女のことに想いを馳せるだろう。それがどんなに素晴らしい事か。
 ランティスはそう思い、深い笑みを浮かべた。


〜fin



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