※ランティス×光


 その黒髪をそっと撫でると、なんだかとても気恥ずかしいという感情が湧いてくる。ちょっとだけ固くて、でも、サラリとした感覚は、心地良いとも思う。
ヒカリの手触りにも似てるなんて言ったら、彼は眉を歪めてしまうだろうか。
私にとって、ヒカリはとても大切な存在で、寧ろ褒め褒め言葉に近くって…でも、人間の手触りなんて言わないよね。

「ね…ランティス…。」


その手を伸ばして、あと一歩


 それは、ありきたりのバレンタインと言う行事だった。
日本では、製菓メーカーの口車にのってお歳暮代わりにも配り歩かれるその行事は、東京からセフィーロに向かう彼女達にとっては、馴染みの行事。
しかし、当のセフィーロにはそんな習慣は無く、最初は戸惑っていた彼等も、好きな相手に送る物だと聞いてしまえば、お目当ての魔法騎士より送られただけでも、最高のものとなるに違いなかった。

「ありがとう、フウ。」
 フェリオが感謝の言葉と共に、風の額に口付けを落とすと彼女の頬は真っ赤に染まった。
  「全く人前でも憚らずに…。」
呆れたように笑う海も、鞄の中から包みを二つ取り出した。それを見たフェリオは、自分のものと見比べて、不思議そうな表情を見せた。
「フウ…これ?」
 両手で火照った頬を包んで顔を伏せていた風が、その声で顔を上げる。
そして、フェリオの視線が戸惑っているのを見てそれを理解した。
「今年は、三人で作ったんですよ。だから、包みが一緒なんです。」
「そうなんだ。」
 フェリオの手の中にあるのは、深紅の包みを真ん中で絞り金のリボンで結んであるもの。海が取り出したのも、外見的には全く同じものだった。
「でも、工夫が無いなんて思わないでね。」
 ちっちっと得意そうに指を振る。
「チョコの中味は、送る人に会わせて皆違うんだから。」
「へえ…。」
 フェリオは感心したようにそれを眺めて、風に微笑む。
「…で、フウは俺に何を入れてくれたんだ?」
「食べてからのお楽しみ…ではいけませんか?」
「それもいいけど、俺に合わせてってところが気になるんだよな。お前以外と悪戯ものだったりするからな。」
 嬉しそうに自分に注がれる視線に、風は再び頬を染めて俯いた。
「相変わらず、熱々だよね。風ちゃんとフェリオ。」
 クスクスッと笑いながら、光も自分の鞄から袋を取り出した。勿論外見的には、風や海が取り出したものと変わりがない。二つあるのは、イーグルとランティスの分だ。
 甘い物が苦手なランティスの為に、特別にビターのチョコを作ってきたのだから、ランティスも喜んでくれるに違いない…光はそう思う。
「でも、鋭いはね、フェリオ。」
こそこそっと海が光に耳打ちした。なんで?と光が小首を傾げると、意味深に笑う。
「フェリオの分には、洋酒が入っているのよ。特に一個だけ凄く強いお酒入れてあるの。」
「ええ〜!?」
 声をあげそうになった光の口を、海が慌てて塞ぐ。
「ま、強いの入れたのは私なんだけど。フェリオって結構お酒が強いって聞いたから、ちょっとした悪戯。」
「海ちゃん…。」
 苦笑いをしながら、彼女を見ると余興よ。余興と笑う。
「海ちゃんは、何をいれたんだけっけ?」
「私は、アスコットにはナッツで、クレフにはミルククリーム。光は、二つとも何もいれなかったのよね。」
「うん。ランティスは甘いのが苦手だし、中に上手く入れる自信ないから。でも、イーグルのはうんと甘くしたよ。」
 普通は入れないであろう砂糖をガバガバ入れていた光の様子を思い出して、海は苦笑いをした。
「喜んでくれるといいなぁ。」
 包みに頬ずりをした光を見ながら『勿論よ』と言葉を掛けると海は辺りを見回した。
「でも、導師やアスコットはいないのね?」
ああ、とフェリオが海の方を向いた。
「二人ともまだ執務室だ。呼んできてやるよ。」
 フェリオはそう言うと、側のテーブルに包みを置いた。部屋から出る前に、光の方を振り返る。
「あ、そうそう、イーグルとランティスは部屋じゃない。中庭にいるはずだ。プリメーラ!そこに隠れてないで、案内してやれよ。」
 フェリオの言葉を受けて、飾ってあった花の横からプリメーラが姿を見せた。
「何で私が光を案内しなきゃいけないのよ!」
「いいから、頼んだぞ。」
 しかし、フェリオは意に介さず足早に部屋から出ていく。
プリメーラはむっとしたまま、光のところへ飛び、彼女が持っているそれを眺めるとこういった。
「私から渡すのなら、案内してあげてもいいわよ。」
「うん。いいよ。」
 屈託のない笑顔を見せて、光は包みをプリメーラの方に差し出した。うんうんと、得意気に頷いて、小さな妖精は自分の背丈ほどもある包みを持ち上げようとして、駄目。
ならばと、勢いを付けると、包みが重りの状態になり空中で一回転したあげくに、包みを放り投げた。
「プリメーラ!」
 光は、ふらりと墜ちる妖精を慌てて受け止めてから、包みの所在を探した。
「全く、光もプリメーラが持てるかどうか考えてから渡したら?」
 海が、ひょいとそれを光の目の前に差し出す。
「ありがとう。ごめんね。プリメーラ。」
「わかりゃいいのよ。わかりゃ。」
 頭がクラクラするのか、何となく呂律が回らない彼女に、光以外の人々は苦笑する。そうこうしているうちに、クレフやアスコットも姿を現して、三人の魔法騎士達は、それぞれ目当ての人々のところへと散っていった。



 中庭の大きな樹の下で、イーグルとランティスは昼寝を満喫していたようだった。
ととっと駆け寄った光の気配に、ランティスが先に目を覚ます。
「ヒカル。」
 彼女の名を呼ぶと、無表情と評判の顔を綻ばせた。
「今日はバレンタインだから、二人にチョコ作って来たんだ。」
 ほらっと差し出された包みの片方には、プリメーラが抱きついている。怪訝そうな表情なったランティスに、光はくすくすっと笑った。
「あのね。こっちはランティスの分。えと、プリメーラと私から送ります。」
 ね。と即され、ランティスが差し出したそれに、光はプリメーラごと、包みを乗せた。
「ランティスでも食べれるように、甘くないの作ったんだ。海ちゃんや風ちゃん達に聞いたけど、全部自分で用意したの。」
 頬を染めて、嬉しそうに話す光に、ランティスの笑みも途切れる事はない。その手の上で、プリメーラが頬を膨らませている以外は、なんの問題も無かった。
「…で、こっちはイーグルに…。眠っちゃってるの?」
「さっきまで起きていたが…。そのうち目を覚ますだろう。」
 ランティスの答えにコクリと頷き、行儀良く揃えられたイーグルの手の上にチョコを置く。そして、ランティスとイーグルに向かい合うように座ると、光はランティスに話し掛けた。
「東京はね。今雪が降ってるの、でもセフィーロは本当にいいお天気だね。」
「ああ、ずっと穏やかだ。」
 ランティスは、時折手の中の包みを愛おしそうに眺めながら光と会話を続けた。プリメーラが退屈そうに欠伸をし出した頃、ほんの少しだけ強く吹いた風が、ランティスの髪に葉を散らす。

あ…。

…と光は、手を出しかけて止まった。
振り返ったランティスの顔が、光の顔を凝視する。出しかけた手を思わず胸元に引き寄せた。
「どうした?」
「ううん、なんでも…。」
 頬を染め首を振る光をランティスは不思議そうに見つめた。その視線に、光の頬はますます赤くなる。
 なんでも…なくないかも…。
胸がギュッとなって、切ないなって思う。そう思ったら、いつも自由に動いてる手足まで、ギュッとなってしまうような気がする。今まで、なんでも無かったことが、必要以上に大変だったりする…。
「ああ…美味しいですね。これ。」
「え?」
 顔を上げると、満面の笑顔を浮かべて、自分が作ったチョコを頬張るイーグルの姿。ひょいひょいと口の中に放り込んでいく。
「いわゆる甘味の良さは、この歯が浮きまくる位の甘さが肝心ですよね。」
「………知らん…。」
眉も口もへの字になったランティスがそう答えても、イーグルは意に介さない。目ざとく彼の手の上に置かれた包みを見つけると『食べないんですか?』と問いかけた。
「いらないのなら、僕が食べて差し上げましょうか?」
 にんまりと笑うイーグルにムッと皺を寄せる。
 お前にやるくらいなら、溝に捨てた方がマシ!…とランティスが心の中で呟いたかどうかは別として、これほどまでになく素早い動きで、包みを開けると躊躇無く…それも数個口の中に投げ込んだ。

「変ですわね。いつ入れ替わってしまったのでしょうか?」
 頬に手をあてて溜め息を付いた風に、フェリオが苦く笑う。
 口にいれた途端、芳醇な苦さが口元に広がり、噛み砕こうとすると抵抗するかのように歯ごたえのあるチョコだった。
流石のフェリオも、『ああ、君の作ったものならなんでも美味しいよ』と言う事も出来ず、心配そうに自分を見つめている彼女に、あの〜ちょっと…と問いかけた。
 話を聞いて、風はそれが光の作っていたものだと気付き、二人は光を捜していた。
  「…一個食べちまったけど…あいつ怒らないよなぁ…。」
 手に持った包みを持ち上げて、フェリオはぼやく。
「わざとではないのですし、ランティスさんもお分かり頂けると思いますが…。」
「そんな心の広い奴じゃないぞ。」
 ぼそりと呟き、嫌な顔をしたフェリオだったが、そうそうと風を見つめた。
「…で、俺のものには何が入っていたんだ?」
「お酒ですわ。甘いお酒ですけれど…。」
 一瞬の沈黙の後、フェリオの顔色が変った。風の手を取ると走り出す。
「どうなさったんですか?」
「ランティスは、お酒が強くない上に変な酒癖が…。」
 そうフェリオが言い終わるか終わらない時に、なにかに押しつぶされたようなアスコットの悲鳴が聞こえた。
「な、なんですか?」
「…犠牲者が出ちまったか。」



 アスコットの上には、黒い影が覆い被さっていた。
パニックに陥って、所構わず魔獣を召還しようとする口を、海が必死で押さえている。
 しかし、既に数頭中庭に出現し、どうしていいのかわからない様子で上空を飛び回っていた。
「フウ!王子!手伝ってください〜。」
 がっしりと剣士の両腕に抱き込まれたアスコットの手を中腰になりながらプレセアが引っ張っている。側で何か手伝おうかと声を掛けたクレフに、危ないから近寄っちゃ駄目!潰れちゃう!と海の叱咤が飛んだ。
「うわ…。」
 とんでもない光景に、フェリオと風は目を丸くする。
「わかりましたわ。参りましょう、フェリオ。」
「ああ。」
 風は、ランティスの腕を少しでも緩めようと左腕に両手を掛けて引っ張る。フェリオは反対側の腕に手を掛けた。
 横目でみた剣士の顔は、普段と変わりがないように見えた。いや、少しだけ目の開き方が少ないだろうか?
 風の策が功を奏して、剣士の腕は緩んで何とかアスコットは引っぱり出された。
 尻餅を付いたプレセアと海の上に覆い被さるようにアスコットが倒れ込む。
「ご、ごめんウミ。」
 真っ赤になって、慌てて起きあがるアスコットに再度ランティスの腕が伸びた。
「ランティスさんいけませんわ!」
 アスコットに伸ばしていた手はしかし、風の声で目標を変えた。
「え?」
 立ち竦んだ風を抱き込もうとしたランティスよりも早く、フェリオが咄嗟に風の手を引き自分と彼女の位置を入れ替える。
「ひっ!」
 ランティスの腕がまともにフェリオの身体を捕らえた。
「王子!」
「フェリオ!」
 助けなければいけないのだが、誰も近付きたくない。
フェリオは一応馴れているのか、アスコットほどパニックを起こしはしなかったが、ランティスの重みと回された腕によって動けない事に顔を歪めた。
「おい、ランティス!。放せ!」
 泣き言のひとつも出そうな王子に、呑気な男の声が聞こえた。
「おや、楽しそうですね〜。」



   視線は一斉に、笑みを崩さない最高司令官に向けられた。
「イーグル!楽しんでやがるな!」
「王子さまともあろう方が、そんな言葉使いをしちゃいけませんよね〜。」
 一定の距離を保って、にこにこと話し掛けるイーグルにフェリオは怒りを隠さない。しかし、一発殴ってやりたくても、身動きがとれなかった。
「もう、ちょっと待ってて下さいね。今、救いの女神がやってきますから。」
その声が、助けを呼ぶ合図だったように、バタバタとよく知る足音が聞こえた。
「「光(さん)!」」
 海と風の声がその持ち主の名前を呼んだ。
「ごめんね。チョコ拾ったり、プリメーラを拾ったりしてたら遅くなっちゃって。」
 光の片手には包みを、もう片方の手にはぐったりしたプリメーラが乗っている。
説明を求めるような視線に、イーグルが笑う。
「ランティスが最初にヒカルに抱き付きそうになったのを彼女が止めようとして、腕に潰されたんですよ〜。その後は僕と追いかけっこしてたんですよ。」
『黙って抱き疲れていろ、気にしないくせに』と、アスコットとフェリオの恨みがましい視線がイーグルに集まった。
 騒ぎの原因である黒衣の剣士は、祖国の王子にもたれ掛って、目を閉じている。
「馬鹿、ランティス寝るな。重い!!」
 体格の差があるのだから、圧し掛かられると支えられない。もう一度無理やり腕をこじ開けようとその場にいた者が考えた時、光が彼の名前を呼んだ。

「ランティス。」

 答えるように、ランティスは瞼を引き上げた。

「ランティス駄目だよ。」
 光が頬を染めて、戸惑いながら手を伸ばした。剣士の頬に触れる。
そして、ゆっくりと黒髪を撫で付けた。
「フェリオが潰れちゃうから、ね。ランティス。」
 じっと光を見つめていたが、ランティスは腕を緩めた。そのまま、光を腕の中に抱きこむ。

「全く人騒がせな奴だよな。」
 安堵の溜め息を付きながらフェリオがぼやくと、イーグルが笑う。
「とにかく、我々は邪魔のようですね。」
 その言葉に、クレフも笑った。
「では、城に戻ってお茶会のやり直しでもいたしましょう。」

 人々が立ち去った後には、木陰で光を抱きしめながら幸せそうに眠るランティスと、その腕の中で頬を染めた光だけが残された。



〜happy Valentine



〜fin



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