忠誠をあなたに


※フェリオ&ラファーガ。連載中の長編設定、一章と二章の間です。


「地図では、こちらの方が近いようですが…。」
 ラファーガは、手に持った地図を睨んでからフェリオを振り返る。フェリオはふると首を横に振った。
「そっちは随分前に山崩れが起きて切り立った崖になってる。通れない。」
「そう…ですか?」
 城に保管されていた地図。こうして辺りを眺めても、地形に変化があったようには見えない。セフィーロ自体の崩壊が嘘のような場所。
 成程、こんな地に住まっていれば逃げ遅れたとしても仕方無い。
「そんな風に、私には思えませんが…。」
 不審な様子で、しかしはっきりと異を唱えるでもないラファーガの姿に、フェリオは唇に拳を押し当てクスリと笑った。
「違うと思ったらはっきり言ってもいいんだぜ?」
 琥珀の瞳を、僅かに褒める悪戯めいた仕草で、ラファーガを振り返る。
「いえ、私は王子の手伝いをする為に同行させて頂いているのですから、異存はありません。」
「アスコットが言ってたけど、本当に生真面目なんだなぁ…。」
 返された言葉は少々溜息混じりで、ラファーガも会話が続かない。ま、いいかと少年は前を向き直り、歩きなれた様子で山道を上がって行く。
 地図を懐に仕舞い、ラファーガは前を行く少年の後を追った。

 
 宮仕えに入った時は、既に彼の姿は城には無かった。
 知っているのは、前親衛隊長を務めていたランティスとは、親交があったらしい『弟』の話しを、笑みを浮かべて語ってくれたエメロードの姿だけ。
 彼女を守る事が出来なかった不甲斐なさは忘れようとして、忘れられるものではなく。後悔ばかりが、頭を過ぎる。城に避難した後もそんな思いから抜け出す事は出来なかった。
『真面目やなぁ』と笑う愛しい女は、確かに守らねばならない大切な者。けれど、過去に起こした過ちがなくなるわけではない。
 そんな時に、彼の『フェリオ王子』の存在を知った。
 『柱』不在時に政を動かす立場の彼が、エメロードの実弟だと知ったのは、姫の巡り合わせではないかと思えた。己の及ばなかった力を彼の為に使って欲しいという彼女の願いのように感じられた。
「王子の力になって欲しい。」という導師の言葉も背中を押してくれた。しかし、フェリオはラファーガの申し出に最初は首を縦には振らなかったのだ。

「俺は、『姉上』ではない。貴方がそうする必要はありません。」

 そうきっばりと告げ、笑った。
 常に儚い笑みを浮かべていたエメロード姫と違い、彼の笑みはその瞳の如く鮮やかな陽光を思わせる笑顔だった。
「けれど、このセフィーロの為に力になってくれるというのなら、こんな有り難い事はありません。
 私に…ではなく、この国に生きる人々の為に力を貸してください。」
 反対に差しだされた手を握り返しはしたものの、ラファーガには納得が出来なかった。
 彼がその地位に相応しくないと言うのなら、それも納得がいく。けれど、導師と共に崩壊していくセフィーロに対処していく彼は、立ち居振る舞いや対処に於いて、決して劣る存在ではなかった。
 地方を旅していたと言うだけあって、資料だけでは知り得ない多くの知識も保有していて、感心する事も一度や二度では無い。
 『主』に仕える剣士として申し分のない相手でもあった。何よりも、敬愛する亡きエメロード姫の弟君。受けて頂けないのは、己の未熟さなのかと自身を責めてもみる。
 そうすると彼女がまた『生真面目だ』と笑うのだ。



 幾つかの崖を登り、谷を越える。
剣士として鍛錬を重ねている自分でさえ、顎が上がるほどの道程は、流石に出奔していた王子にも苛酷なものだったようで、幾分前から歩みが遅い。
 見ると、小さく息を吐き額の汗を拭った。
「少し、休憩しませんか?」
 ラファーガの言葉に、にやりと笑う。
「何だ?疲れたのか?」 「え、いえ、まぁ。」
 『王子の方がお疲れなのでは』と言葉にするのも憚られ、何となく歯切れの悪い返答に、フェリオは口元を抑えてくくっと笑う。無邪気な、もしくは子供のような笑顔。『嘘だ』そう告げる。
「疲れてるのは、俺の方だな。気を遣わせて悪かった。」
 どさりとその場に腰を降ろして、ラファーガにひらひらと手を振る。誘われるまま、王子の横に腰を降ろした。
 額の汗を拭い、そのまま空を見上げた少年につられて、ラファーガも上を見つめた。青い空が広がり、木々は青々と茂り、木漏れ日の中鳥の声が響く。
 山に囲まれている為に、青空を周囲から浸食している黒雲は見る事は出来ず、此処だけは、未だエメロード姫に守られたセフィーロの姿を留めている。
 ただ懐かしく、胸が痛んだ。

 守りきれなかった姫君。彼女の辛さを少しでも和らげ、負担を減らす事が己の仕事ではなかったのかと。何度したか分からない懺悔を心の中で繰り返す。

「俺は、いつも思っていた。」

 ポツリと呟いたフェリオの言葉にラファーガは『何をですか』と問い掛ける。
それには答えず、少年は、この景色は綺麗か?と聞いた。

「姫が優しいお心で守っていて下さった景色です。美しくないはずが、ありません。」

「そ…か。」
 微苦笑を浮かべる少年に、ラファーガは眉を顰める。
 フェリオはそれ以上何を言うでもなく、視線を空へと向けた。陽の如き金の瞳は、空の青さによく似合う。それは、弟を大切に思っていた姫の心のようにもラファーガには感じられた。
 なのに、目の前にいる王子はエメロード姫の(姉の)守っていた世界を美しくないと感じているのだろうか。
「不躾ですが、王子はどのように感じていらっしゃるのでしょうか? 美しくない…とお感じになっていると?」
「そんな事はない。」
 セフィーロは確かに美しい。ふるりと頭を横に振り、フェリオは言葉を続けた。
「導師がいつだか言っておられた。姉上に負担を掛け、彼女の幸せを奪って形成されたこの星を、表面上の形に基づいて『美しい』と告げる事は出来ないって…。その苦しみと悲しみを内包した美しさを、もう許容する事は出来ないと。
 なぁ、ラファーガ。お前は魔法騎士の真実も、柱制度によって生まれた今度の悲劇も知っている、知っていてもまだ美しいと言えるのか?」
 こくりとラファーガは力強く頷いて、少年の顔を見つめた。そして、眉間に加わった皺を顰め、笑顔を見せる。フェリオは、剣士の行動に戸惑い、何度か瞬きを繰り返してから、理由を聞くべくラファーガを見つめ返す。
「王子、笑顔というものをどう思われますか?
 心からの笑顔は、美しいと私は思っております。美醜を比べるべくもなく、無垢な、穢れを知らず悲しみのない子供の笑みは、見ている者の心が澄んでいくように美しい。
 けれど、たとえ腹の中に悲しみを湛えていても、苦しみに涙しそうになっても、誰かの為に微笑む姿も又美しいと私は思います。それが、愛しい者達の為であれば、尚更です。その強さを、悲しいと感じる事もあるでしょう…けれど空虚な笑みが、心をうつこともありません。」
「どんな理由があろうとも、笑顔は美しいという事か。」
 フェリオは目を細めて、笑った。
ラファーガは、何時にになく饒舌な自分に驚き、そして申し訳ないと言う表情へと変わる。フェリオに向けても頭を垂れた。
「導師のお言葉に、反する様な事を申し上げてすみません。」
「反してる訳じゃない。導師は、セフィーロが美しくないと言ってる訳じゃなくて、自分を責めていらっしゃるだけだ。己の心を砕いていた二人に起こった悲劇の責任を、牽いては、魔法騎士達の悲しみの責まで感じていらっしゃる。
 お前も、そうなんだろう? ラファーガ。」

 問われて、ラファーガはハッと顔を上げた。
真面目だなぁと、フェリオは再度けらけらと笑う。ひとしきり笑うと、フェリオは再び視線を、景色へと向けた。

「俺は、セフィーロは美しいと思う。素直に…だ。
 けれど、今更ながらに思うのは、姉上と俺は同じ景色を見ていたんだろうかって事なんだ。」

 フェリオの言い回しの妙に、ラファーガは眉を顰めた。詳しい話を聞こうとして、肌を刺す気配に気付く。
 風景には、なんの変化もない。それでも、この違和感は本物だ。
 いつからだったのだろうか、鳥達のさえずりも、頬を撫でる柔らかな風も失せてしまっている。
 腰を浮かせ、剣に手を伸ばす。
 気付くと、王子も手を地につけて辺りを伺っている。自分と同じ『危険』を彼も感じ取っているのだ。

「王子。」

 小声で呼ぶと、何を伝えた訳でもないのに首は縦に振られた。
次の瞬間に、ラファーガとフェリオは真反対の方向へ飛びす去り、剣を構える。今まで自分達が腰を降ろしていた場所が、まるで生き物のように波打つのが見えたのと同時に、獣の咆哮が響き渡る。
 己を狙って繰り出された、爪はラファーガの剣に砕かれた。じわりと様々な色が滲んでいくように、頭上の青を湛えた空は蹂躙されていく。
 姫の慈しんだ風景が、その木々が花々が、溶け合わされた深くて濃厚な黒に崩れ堕ちていく。飲み込まれた全てが、地表だったものと共に、ゆらゆらと揺れた。
 
 悔しいと、ラファーガは憤りを胸に詰まらせる。怒りのままに、目前の魔物を切断する。人々の恐怖の感情が、断末魔の悲鳴を上げて消えた。
 姫が慈しんだ土地が、どうすることも出来ないまま虚構に飲み込まれていく。どんな努力も、後悔も、己の感情は『此処』に何の影響も及ぼさない。
 強いてそれを止めるものがあるのだとすれば、自らの命を断たなければならなかった『女性』と同じ役目を果たす使命を負った者だけだ。そうして、その者に委ね、再び自分は無力の者となる。
 
 何故此処は、こんな世界なのだろうか。
 たったひとりに全てを委ねる、こんな世界なのだろうか。

 差しだした己の手は、決して姫君に届くことのない世界。
 いつでも憂いを秘めた瞳を揺らして、微笑んでいた姫君も、確かに自分の手を取ろうとはしなかった。世界たる彼女は、ただ自分達を見つめているだけ。

 力が及ばないのが悔しいのではない。
心の強さが全てを決める世界であると言いながら、そんなものが最初から何等意味を持たないこの世界の有り様が…。

「ラファーガ!!」
 全体重をかけたフェリオに背を押され、蹌踉めいた。刹那、何かが崩れ堕ちる空虚は音が耳に聞こえる。
「…っ!?」
 今までいた場所が、混沌に消えていくのが見えて、冷や汗が流れた。
 戦いの最中に考え事などしてしまった自分の失態。剣を構え直して、自分を救った王子の姿を探す。そうして、既に周りに逃げを無くした場にフェリオがいることに気付いた。一刻も早く逃げ出さなければ、其処も崩れてしまうだろう。それでも、彼の周りを囲む魔物達は、容易に逃げる事を許さない。
 余裕を欠いたフェリオの表情に、猶予がない事を悟る。
「王子!!」
 はっと少年は顔を上げた。
「こちらへ!」
 声を発し手を伸ばすのと同時に、フェリオは地を蹴った。ラファーガ視界に、フェリオの手が飛び込んでくる。躊躇い無く伸ばされた少年の腕。
 まだ細い少年の腕が、彼の姉のものと重なる。

 自分には掴めないのかもしれない。そんな不安が心を過ぎった。

 しかしそれは一瞬で、掌は確かに少年の手首を掴み、今だ確かに踏みしめる場へ、その身体を引き寄せる。
「助かった。」
 身軽に地に足を降ろし、安堵の溜息と共にフェリオは視線だけを背後に向ける。奇怪な悲鳴を上げて、魔物達が虚無へと消えていくのが見えた。
 セフィーロの民達の心ですら、消えゆく世界には何の影響も及ぼさないのかと、ラファーガは憤りを頂く。
「急ごう、この調子では、何時消えてもおかしくない。」
 フェリオの声に周囲を見回し、魔物が駆逐されたことを確認したラファーガは、剣を鞘に納めて、頷いた。
「もう、地図はあてになりませんな。」
「そうだな。」
 拳を口元に当て、くくっと笑うとフェリオは、ラファーガを見上げた。
「俺のおぼつかない知識と、お前の経験だけが残ったな。」
 琥珀の目を細め緩く唇に弧を描く。
 強い希望が宿るその瞳は、ラファーガを真っ直ぐに捕らえた。この状況でも、この王子は諦めてはいない。必ず、逃げ遅れた者を助けるのだと、その瞳が伝えていた。

「頼りにしてるぞ、ラファーガ。」
「存分にお使い下さい。」
 胸に手を当てて、ラファーガが軽く頭を下げると、(よせよ)と笑った。
「俺は自分の力だけでは何も出来ないんだ。皆を頼らなければ何も出来ない人間に、頭を下げる必要なはいだろう?」
「いいえ。」
 ラファーガは、胸に浮かんだ確信と共に否定の言葉を口にした。

 一瞬、フェリオの眉が顰められた。
「俺は…「貴方は、エメロード姫とは違います。」」
 ラファーガは、胸に手を置いたままフェリオに跪いた。懸念の表情を濃くする少年に、微笑んでみせる。
「姫が創る世界は確かに素晴らしかった。けれど、私は貴方に同じものを望んで力をお貸しすると申し上げている訳ではないのです。」
 ラファーガは、先程フェリオを引き上げた手を見つめて微笑んだ。仕えるというのにも、語弊があるのかもしれない。自分は彼を助けたいのだ。

 姉の様に、圧倒的な力を持ち得るはずもなく、その事を自覚していながら民の為に奔走している彼を。そして、誰かに助けを求めるべく手を伸ばせる王子を。
 彼の願いを知り、手を貸したい。
それは、根本的にラファーガが望んでいるものに続いていると、確信出来た。

「人はどんなに近くにいても、並び立っていても、同じものを見ているとは限らない。先程の貴方の言葉はそうなのでしょう。
 姫の前で、確かに私は彼女の心を見ていたと云う事など出来ませんし、見てなどいなかった。圧倒的な庇護の元、羨望の思いで彼女を見つめていたに過ぎません。
 けれど、貴方は同じものを見たいと感じさせてくださいます。私の拙い力でも、貴方なら使って下さると信じられますし、力になれると自負出来ます。」
「俺の願いの為に動くというのか?」
 呆れた顔で告げると、フェリオはラファーガを睨み上げる。
「では聞こう、ラファーガ。もしも、俺が間違った道を行こうとしたらどうする?」
「我が信念を持って、貴方を諫めます。どんな時も、助け合っていた少女達のように、私は貴方と向き合いたいのです。」
 
 自分を諫めてくれた、強き少女のように。

「…それを云われると、参ったな。」
 後ろ頭を掻き、ふうと溜息をついた。しかし、視線を鋭くして周囲を見た。
「討論している時間はなさそうだ。」
「わかっております。先程のお話から、最も安定している方向はこちらだと。」
 間髪入れずにラファーガの応えが返る。頷く前に、フェリオは動き出していた。躊躇いなく、ラファーガが示した方向へ。この先に出る魔物を警戒して、既に剣はふたりの手にある。
「急ぐぞ。ひとりたりとも、混沌の淵に沈めたりはしない。」
「我が忠誠は貴方のもの。その願い、全力で叶えましょう。」
 

 ラファーガの恥ずかしげのない口上に、王子の目尻が微かに赤らむ。
「真面目すぎる。」
 …………どうかと思うぞ。困惑した少年の言葉は、忠臣の頬に笑みを刻んだ。


〜Fin



content/