たった一言だけでも


※アスコット&フェリオ


 執務室を覗いた時、しまったと感じたんだ。
アスコットは、口をへにして廊下を歩きながらそう思った。
 そこには、いつもいるはずの人物がいなくて、替わりに今逢いたくない人物がいたんだから…。



「アスコット…。」
 海が、その綺麗な眉を微かに歪めてこっちを見た。
彼女の蒼い瞳が心配そうに揺れていて、間違いなく年上のものとしての思慮深い表情をしている。あの話はもう魔法騎士に伝わっていたのだろう、海の後ろにいた二人も心配そうな表情だった。
 優しい彼女達の事だから、自分の事を気にかけてくれている。そんな事はわかっていたのだが、今のアスコットには不快感が増すばかり。素直になれない自分に、心はもっと苛立った。

「皆心配していたわ。あのね、アスコット。」
 きっと彼女の口から出てくるのは、自分の失敗を慰める言葉。もしくは、注意の言葉だ。しかし、アスコットは海からものであるなら、なおさら聞きたいとは思わなかった。
 だって、もう散々聞いていた。導師にも、城の仲間にも、村人にも。同じ言葉なんかもういらない。
「……わかってる。それより王子はいないの?」
「私達が来た時には、部屋にはいなかったわ。」
「わかった。」
 戸を閉める寸前、海が大きく溜息を付くのが聞こえて、なおさらにムシャクシャしてくる。  どうして、こうなんだろう。
 海は心配してくれているのに、感謝の言葉ひとつ返して上げる事も出来ないなんて。

   お腹のなかでぐるぐる回っている何かが、自分をどんどん苛立たせていく。何をどうしたら、この嫌な感情は無くなってくれるんだろうか…。
 廊下の壁に八つ当たりをしても、どうにもならない。
そう思いながらも、近付いたその窓から探していた人物が見えた。



   フェリオは、芝生の上に片足だけ胡座かき、もう片方の足を伸ばして座っている。
そして、前にまわされたその白くて長い纏の上に両手で抱える程の果実を持っていた。おそらく休憩を楽しんでいたに違いない。
 アスコットは足音も荒々しく、無遠慮にフェリオの隣に歩を進めた。
 その足音から人を特定する事も出来るのだろう、フェリオは特に注意を払うことない。アスコットが隣に座わり、声を掛けてくるまでそちらを向こうともしなかった。
「なんで、執務室にいないんだよ。」
 まるで喧嘩腰の台詞にもちらりと視線を送っただけで気にしない様子だ。
「こんなとこで何してんの?あそこにいてくれないと困るんだよ。先にウミに会っちゃったじゃないか。」
 ああ、悪い。そんな言葉が返ってくる。
 アスコットは、両方の膝を胸元にひきつけるように抱え込んでから、大きく深呼吸をして話を続けた。
「王子も、色々聞いてると思うけどね。僕は…。」
   憮然とした表情でアスコット言葉を区切った。
「僕は悪く無い…。」
 アスコットは、そう言うと唇をぎゅっと噛み締めた。
それから、小さく首を横に振る。
「ううん…それは、違う。僕も悪い。
 でも、僕だけが悪いわけじゃないんだ。
 色々やらなくちゃいけないことが一杯あって、全部正確に指示する事が出来なくて。それ位、他の人だってわかってくれてもいいだろう?あれだけの友達に、僕は指示を出さなきゃいけないんだから。少し位気を回してくれたっていいじゃない。それを、全部僕のせいみたいに…。
 わかってるよ。友達が、ひっくり返した品物は、壊れ物だったことくらい。だから、一生懸命謝ったのに、呆れた顔で溜息を付いたり、後になってからしたり顔でああすれば良かったとかこうすれば良かったとか、言ったりさ。
それまでは、ちやほやしてたくせにだよ!? 友達だって、そりゃ失敗したかもしれないけれど、一生懸命やってたんだ。僕にはわかるよ!
 城に帰ってからも、ラファーガもカルディナも注意ばっかりするし、導師もお前に頼んで悪かったな…なんて、そんな事言わなくてもさ。ウミだって僕の話を聞く前から心配そうな顔してるし…。
 そうそうそれに、僕の友達が厨房でつまみ食いしたんじゃないかなんて言われたんだよ。そんな事するはず…!。」

 後から後から出てくる言葉は、しかし、アスコットの心を軽くしてはくれなかった。
 それどころか、胸の中に逆流していくようだ。どんどん膨れて、心を更に圧迫していく。そのうち、何をどう言えばいいのかわからなくなって言葉も詰まった。喉の奥に蓋が出来たみたいで、息苦しい。
 それでも、心に溜まった何かを吐きだしたくて続けようとしたアスコットは、視界が緩んできたのがわかって、ぐっと顔に力を込める。
 今、自分がやってる事が馬鹿々しいなんて、そんな事わかってる。子供じみた言い訳だって事も。

「……そっか。」
 ふいに、フェリオはそう言った。そして、アスコットのぎゅっと服を握りしめている手の間にオレンジ色の果実を乗せる。
「大変だったな。」

 特別じゃない言葉が特別に聞こえた。

 素直にコクリと頷けた。

 たった一言だけだった。

大変だったね…と、そう言ってもらいたかっただけ…。アスコットはやっと自分の気持ちを理解出来た。

 気付いてしまえば、後は簡単だった。
 忠告の言葉も、慰めの言葉もいまなら、受け入れる事が出来る。
「…後で皆にもう一度謝りに行く…。」
 アスコットの言葉に、フェリオは、ただ笑って自分のそれを囓りはじめた。
 腕の中の果実を次々と平らげていく彼の横顔を眺めて、アスコットも手の中のそれに視線を移す。思いきって果実を一口囓ると、甘い汁が口の中一杯に広がった。
「美味しい。」
 そう口にしたアスコットをじっと見つめて、フェリオはにかっと笑う。
「これで、お前も同罪。」
「え?」
 咄嗟に、彼の言う事が理解出来ず、アスコットは手にした果実とフェリオの顔を交互に眺めた。そして、結論付く。
「…!厨房のつまみ食い…!?」
「そう言うこと。」
 フェリオは笑顔はそのままに、自分の手にしたそれを口に放り込む。あっけにとられて、でも腹は立たなくて…。
『全く…』アスコットはそう一人語つと、仕方なく残りを食べ始めた。全くもう油断も隙もないなんて、苦笑してししまう。
 でも、口に広がる甘みがお腹の中にはいるごと、ぐるぐる回っていた何かは、消えていく。
 そのうち嘘みたいに無くなっていた。

 フェリオはさっきと同じで、黙って自分の横に座っている。

 王子の言葉だけが自分に届いたのは、やっぱり友達だからなのかなぁ…とアスコットは思う。
「ねぇ、王子…。」
「何だ?」
「なんでもないけど…。」
 くすっとフェリオが笑う気配がして、アスコットは急に気恥ずかしくなる。ぶうっと膨らませた頬には、伝えたかった言葉が溜まった。

 いてくれないと…ホント困るよ。


〜Fin



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