神様に祈りたい


※OVA 甘々のフェ風

神様に祈りたい…ふいに思う瞬間がある。


 待ち合わせは、ビルの隙間に隠れる様に設置された人影の少ない公園。
 大きな災害がこの地を襲ったのち、防災目的で整備しなおされたものだ。
住宅地とも距離がある為に、綺麗に監理され緑が溢れる公園であるにも係わらず常に人の姿は疎らだ。
 風はワンピースの裾をひらりと翻して、そこへ急ぐ。少しばかりヒールが高めの、履き慣れない靴が文字通り風の足を引っ張った。
 それでもこの靴を履きたいと思ったのは、視線を近付けたらフェリオがなんて言ってくれるのだろうか? などと、悪戯心に近い気持ちだ。
 ジリジリと、太陽が真上に上がっていくにつれ、貯えていく熱は、道路のアスファルトがばっちりと跳ね返し、遠くに逃げ水まで見える。
 通り過ぎる車のタイヤがゆらゆらと揺れて見えた。

「今日も暑い一日になりそうですわね。」

 風は、やっと見えてきた公園の入口に安堵の溜息を付きながら、手で覆いをつくり遮るもののない太陽を眺める。春には黄色味がかった穏やかな色をしていて、彼の瞳に見えたのに、今は白熱の「白」を思わせた。
 少しだけ残念な気持ちになり、手を下ろせば再び額に汗が滲んでくる。早く日陰に飛び込みたい気持ちも手伝い、足早に道路と公園を隔てたポールを越えた。
 そうして、さくりと砂を踏みしめた場所には、アスファルトが貯えている熱は無かった。水を撒いた後なのだろうか、ひんやりとさえしている。
 風は、鞄から取りだしたハンカチで額の汗を拭い、ひと息つく。
「まだ、のようですわ。良かった。」
 胸を撫で下ろすタイミングで、くくっと笑い声がする。振り返ると、たった今まで誰もいなかった公園に、もうひとりだけ人影が増えていた。
「いらしてたんですか?」
 眉を潜めながら風から問われた質問に、フェリオが首を横に振った。
「今来たところだ。お前が、此処へ駆け込んでくるのと同じくらいだったかな。」
 そんなに焦らなくて良いのに…と、フェリオが笑う。
「お待たせしたくありませんし、貴方に早くお会いしたいと思ってはいけませんの?」
 風の目論み通り、フェリオとの視線は普段よりもずっと近付き、まともに覗き込まれたフェリオの頬の赤みが増す。眼鏡を掛けていると、隔たりの分だけ余裕が出るものなのか、風はそんなフェリオを可愛いと思う。
「俺をからかってるだろ?」
「そんなこと、ありませんわ。」
 クスクスッと風が微笑む。白いワンピースが木漏れ日に揺れるように、笑顔が輝く。眩しすぎてフェリオの目は釘付けになるのだ。
 困った視線を取りあえず下に落としてから、フェリオは口元を緩めた顔を上げた。
「酷いヤツだ…。」
 そうして、にやりと笑うと、フェリオの唇は風の頬に軽い口付けを送る。今度は、風の頬が綺麗に色づく。
「異世界から飛んでくる程、お前に恋い焦がれているのにな。」
 もう一度近付いてくる端正な貌が触れる前に、風は頬を赤らめたままフェリオの肩を押す。力を入れていないフェリオの身体は直ぐに離れる。
「人目がある場所では、困りますわ。」
「じゃあ、人目のない場所でたっぷりと。」
 軽いウインクで返され、全く敵わないと風は困った様に眉を潜める。
 久しぶりの逢瀬なのだから、風だとてフェリオと触れていたくないとは言い難かった。嫌ですとも言えず、少しだけですよ…なんて妙な言葉も口に出せず。風は拗ねたように、くるりと背中を向けた。
「…いけない人。」
 残された言葉にフェリオは瞠目し、そして微笑んだ。

 デートの余韻は甘い時間ではなく、暑い体温だった。店には入るが、基本的に公園や歩きをメインにデートを行った結果、ふたりとも汗だくになっていた。
 クーラーの利いた部屋で涼しく過ごす選択肢も無い訳ではなかったが、セフィーロに暮らすフェリオは、余りクーラーを好まない。不自然は風は、精霊と契約を結ぶフェリオにとって不愉快以上の感覚があるようだったので、風も無理強いをすることはない。
「レイアースの暑さは、何というか…燻されているような暑さだな。」
 玄関には入った途端、背中に汗でべたりとシャツを張りつかせ、フェリオは気持ち悪そうに額の汗を拭う。これでは確かにそうだろうと風も思う。
「夕食の準備をしておきますから、先にシャワーを浴びて下さい。」
 風はにこりと笑い、フェリオに着替えとタオルを手渡した。驚いた表情でフェリオが風を見つめる。
「俺も手伝うよ。」
「貴方が、部屋にいらっしゃらない間だけでも、エアコンを付けて涼みたいので協力していただけませんか?」
 クスリと笑われフェリオは後ろ頭を掻く。
「そう言われると、入らざるえないよな。じゃあ、お先に。」
「石鹸の区別はもう大丈夫ですわよね?」
「平気、平気。」
 脱衣籠の中にバサリと服を脱ぎ捨てながら、フェリオは軽く手を振る。
 安心した風は、扉を閉じてキッチンへ戻った。
 ボディソープだのリンスだのシャンプーだの。挙げ句に、バスルームには洗濯機があるので、洗剤も置いてあった。初めて、ここへ来た時には、筆舌では伝えづらい程の異文化交流があったのだ。

 それを思い出してクスリと笑い、そして不思議だと風は思う。
 お互いの存在など決して知る事のなかった相手なのに。何故、フェリオと共に居て、何よりも大切な相手だと感じているのだろう。
 彼を知らないで普通に暮らしていた時期があったのだと、そう言われても、何を考え、何を感じて暮らしていたのかひどく頼りなくなる。
 それはつまり、フェリオのいない暮らしそのものが、風の中では有り得ないものとなっているという事実。

 本当に、不思議。
 
「きゃ…。」
「何考え事してる?」
 急に背中から抱き締められ、風の身体はフェリオの腕の中で跳ねた。
「吃驚するじゃありませんか、刃物を持っていたらどうするおつもりでしたか?」
「それぐらいは確認したさ。」
 くくっと耳元で笑うフェリオの声がくすぐったい。
「声も掛けたけど、ぼぉっと窓を眺めてるみたいだったから、何考えているのかなって。」
 貴方の事ですわ。
 そんな言葉を返すのも恥ずかしくて、風は口籠る。風の様子に気付いているのか、フェリオは少しだけ腕の力を強めた。
「俺の事だったらいいのになって、想うよ。」
 事実はその通りなのだが、心臓の音に行動を阻まれ風はフェリオの腕の中に抱き締められたまま。風からのお咎めがないのを良いことに、フェリオもその腕を緩めようとはしなかった。
 腕に包まれながら、ぽたりと頬に触れた水滴に風は、やっとフェリオの腕をすり抜ける。
「髪をきちんと拭いてから出て頂かないと、床に雫が垂れますよ?」
 そうして、フェリオが肩に掛けていたバスタオルを両手で頭に被せ、母親が子供にするように擦り上げてやる。くすぐったそうに目をギュッと閉じる表情が酷く可愛らしくて、クスと笑う。
 そして、ふいに気付く。彼の、まだ濡れた髪から自分が使い馴れたシャンプーの香りがすることに。
「あ…。」
 フェリオが此処でシャワーを使ったのだから当然なのだけれど。一緒なのだと、強く確信めいて感じた事に、抑えきれない喜びを感じた。

 両方の腕は、未だにフェリオのタオルに手を当てたまま、風は瞼を落とした。
それを知っていたように、柔らかなフェリオの唇が風のものに触れて、離れていく。
 お互いの顔を見る表情は、ただ柔らかい。

  シャンプーの香りだけで、こうも幸せな気持ちになれるなんてと風は思う。
 奇跡のような、巡り合わせだけが、自分に幸せを運んでくれた。
 誰に告げられなくても、心は感謝の想いで満たされる。些細な、そして幸せな気持ちをありがとうと、今は神様に祈りたい。


〜Fin



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