微糖の紅茶でティータイム、対面にはあなた


※フェリオがランティスより年上設定。


 柱のいないセフィーロの姿。

 窓越しに見つめる世界。
 それは、ランティスが生まれて初めてみるものだった。
 オートザムを訪れた際、随分と荒れ果てた国だと思ったけれど、今のセフィーロと比べるにどうだろう。荒廃という言葉すら生温い、滅亡しか見えない世界ではないだろうか。こうしていても、苦々しい想いしか胸には浮かぶことがない。

 ランティスがセフィーロに生を受けた時、既にエメロード姫が(柱)となり国を成していた。
 美しい景色と穏やかな気候は、まさに彼女の庇護そのものであり、優しく穏やかな世界だった。いつか「柱」はいなくなるのだ、と。そんな事実は何処にも感じられなかったし、誰しもが(この永遠)が続いていくものだと信じていた。
 そう思い、ランティスはふるりと首を横に振った。

 誰しもではない。謳歌する人々の中に、世界に危惧していた人間は確かに存在していた。
 師である導師、神官であった兄、そして…。

 ランティスは茶室の前でふいに脚を止める。

 深夜の誰もいない部屋で灯りをつけるでもなく、坐している人物が目に止まる。
深く椅子に背を押し付けて瞼を落としているのは、フェリオ王子だった。
 眠っているのかと思ったが、ランティスの気配を察したのか首を斜めに傾げる。魔法を使わないはずの彼は、何故だか気配や感情といったものに酷く聡い。
 しかし、こちらを見つめる表情は芳しくなく、顔色は酷く悪かった。此処一連の出来事は、彼を相当に疲労させているに違いない。
 それでも、人前で不機嫌な様子など見せない。掛けられた声色も柔らかで弾んだものだった。

「どうした? また、外へ出るのか?」

 城の手伝いもせずに彷徨きまわっている自分をフェリオは咎めなかった。
 自身の行動に干渉されるつもりなど無かったが、彼等には大目に見て貰っているという自覚は確かにある。
 この国を出た時も、そうだ。咎める者も追ってくる人間もいなかった。

「…そうだ。」
「引き止めるつもりはないが、まあ座ったらどうだ?」
 クスクスッと幼い表情で笑うフェリオに、ランティスは仏頂面のまま彼の正面に座った。
 自分よりも数倍幼く見えるフェリオは、本来は自分よりも数倍年上だ。それでも、出会いの頃、自分は幼く彼は確かに年上の外見だった。
 なのに、姿はフェリオを追い越し自分は大人の姿になっている。
 王子は全く変わらないというのに…。

「導師もだが、王子も全く変わらない…。」
 ふいに呟いたランティスの言葉に、フェリオは驚いた表情で一瞬瞼を瞬かせた。
「急にどうした?」
「外の景色を見ていて、昔の事を思い出しただけだ。」
 フェリオの琥珀が大きく見開かれる。それでも、不機嫌そうな様子ではないとランティスは知っていた。
 そう考えて、彼の瞳がオートザムで別れたイーグルの瞳の色と良く似ているのに気が付いた。何を言わずとも、己を知ってくれた友人。
 彼と知り合う切欠は、フェリオと同じ瞳の色だったせいなのかもしれない。あの時は故郷を離れて随分と経ち、少しばかり感傷的になっていた。

「いつだったか、貴方が柱の交替について話してくださった事を思い出した。」

 そうか、と頷いてフェリオもまた外に顔を向ける。時折走る稲妻が彼の顔を照らせば、ランティスは想い出を脳裏に浮かばせた。
 姉が(柱)になったと告げた時の彼は、酷く悲しそうだったような気がする。

「これが柱を失った、ありのままのセフィーロ、だ。」
 
 ポツリと呟いた表情は、ランティスには同じモノの様に感じられた。
 
 ◆ ◆ ◆

 それは、自分が幼かった頃、王子よりも遥に小さな躯だった頃の事だ。
 戯れに似た剣の修行が終わった後、温かな木陰で昼寝をしていた。自分を安全な低い枝に乗せてくれて、フェリオはその上、高い枝に背をもたれ眠っていた。
 魔法の修行の為、エメロード付きだったクレフを師としていたので、幼い時からセフィーロ城には出入りしていた自分に、剣を教えてくれていたのはフェリオだった。
 柱である(エメロード姫)とは滅多と顔を合わせていた訳ではないが、気さくなフェリオは見掛ければ自分の相手をしてくれる。
 魔法を望みながら、剣にも興味を持ったのは王子の影響だったのかもしれない。
 
「フェリオ!」

 王子を呼ぶ、綺麗な声が庭園に響いた。
 寝ぼけ眼で瞼を擦っていたランティスを見上げ、少女が微笑み掛けてきた。
 ふわふわの金色の髪が、輝いていた。
 可愛いらしい女の子は、子供だったランティスですら見惚れる美しい翠瞳をしていた。

「ああ、ここにいたのね。少し用事があるの、いいかしら?」
 
 しかし、彼女が声を掛けたのはフェリオであり、目の前の少女が(エメロード姫)であることに気付いたランティスは大いに驚いた。
 どれほど驚いたのかと言えば、木の上に居たことが頭からすっかり抜け落ちるほどの驚き様。均等を失い危うく顔面から落下する自分を受けとめてくれたのは、エメロード姫だった。
 咄嗟に魔法を唱えてくれたのか、ふんわりと彼女の腕の中に落下する。それでも状況判断は出来なかった。
「姉上、ランティス、怪我は無いか?」
 ヒラリと枝から下りてきたフェリオに、姫が眉を顰める。抱き留めている子供がぼんやりと自分を見ている事に心配になったようだった。
「ごめんなさい。驚かせてしまったかしら?」
「寝ぼけているんだと思うが、おい、ランティス大丈夫か?」
 頬に手を当てられてムニムニと動かされれば、夢見心地は吹き飛んだ。頬を赤くして、膝の上から身体を起こす。
 遠目から眺めていた時は、近寄りがたい何かを感じさせていた彼女は、間近では自分と同じ年頃に見える。
 この女の子が、本当に(柱であるエメロード姫)なのだろうか?
「…エメロード姫…?」
 思わず呟いたランティスの言葉に、少女はコクリと頷いた。
「ええ、そうです。大丈夫ですか?」
 ホッとした表情は、輝く笑顔へと変わった。
 包まれている柔らな心地と良い香りが、自分を取り巻く国そのもので気持ちが良い。お礼を言う事も忘れるほどに、彼女に魅せられていた。
 彼女が立ち去った後王子に同じ事を告げると、少しだけ困った表情だった。

「柱はセフィーロそのものだが、ランティスは姉上が柱になる前の世界を知らないんだな。」
「前?柱になった人はいっぱいいたの?」
 世界への認識は、自分が生まれた時に始まる。
 己が死ぬ時に世界が無くなるように感じるのと、それは同じ。ランティスにとっては今が全てであって、前の世界など想像もつかなかった。
「いっぱいは無い、が、少なくとも姉上が柱になる前の世界は知っている。目の前にあるものが信じられないほどに荒れ果てた世界だ。
 そこでは全てが消えていこうとしていた。」

 フェリオは眉を歪め、ランティスから顔を逸らした。幼かった自分にそんな顔を見せたく無かったのかもしれない。
 けれど、横顔の彼は酷く悲しそうな顔をしていた。

「そして、姉上が(柱)になり、今のセフィーロを形作った。」
   
 ◆ ◆ ◆
 
「誇れる存在だった姉に対して、苦い表情をした王子がわからなかった。
 俺は、自分が見間違いをしたんだと、ずっとそう思っていた。」

 けれど、今なら理解出来る。彼の苦い表情も、王子が何故城に居着かなかったのかも。
 自分だってそうだろう。
 この国を変える何かを捜しにという綺麗事の影に、苦しむ兄と姫を見守っていく事が出来なかったという想いが確かにあった。
 辛辣な言い方をすれば(逃げだした)のかもしれない。結局自分は、誰も助ける事など出来はしなかったのだから。
 崩壊した国を外から眺めていること。それが己に出来た唯一の現実だった。

「結局、お前の兄も死なせてしまった。
 魔法騎士達や、導師にも辛さと責任だけを押し付けた。セフィーロという国の有り様に、俺は本当に無力だ。」

 自嘲めいた声と笑いに、ランティスは顔を顰める。
それに気付いたのか、フェリオは苦笑を浮かべた。
「なんて顔してるんだ?
 ザガートは俺の姉上を庇って死んだようなものだ。繰り言のひとつやふたつ告げたところで当然だろう? 
 お前らは、本当に仲の良い兄弟だった「貴方も、だ。」」
 憤りを流せず、ランティスは声を荒くした。
 
 浮かぶのは幼き日の光景。それは柔らかな光に包まれていた。

「貴方と姫も、そうだった。」
「俺は…。」
 口籠り、フェリオは椅子から腰を上げる。軽やかに纏を翻し、ランティスを振り返った。
「外へ行くんだろ? 俺も連れて行け。風当たりが少しは緩むかもしれないぜ。」
「…気にした事もない。」
 むっつりと不機嫌な声で返答するものの、ランティスも立ち上がりエントランスへ向かうフェリオを追った。



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