約束は守られた ※「嘘つきが語る本音」の続きです。 「導師。」 ランティスは背中に声を掛ける。 自分が探していた人物は、己の腰程の身長もない人物だ。そして、この屋敷で暮らす者に魔法を教えていると聞いて来ていた。だから、その条件に当てはまる人影を呼び止めたのだ。 けれど、きょとんとした表情で振り返ったのは、導師クレフでは無かった。翠色の髪をした幼い子供。パチパチと見開かれている瞳は琥珀の色をしていた。 そうだ。杖を持っていなかったではないか…。 ランティスは自分の迂闊さを後悔する。 子供は苦手だ。 嫌いではない、けれど、相手が自分を嫌い、姿を目にした途端に泣き出したりする。笑ってみせても、どういう訳か余計に怖がられるものだから、すっかりと苦手になっていた。 (コイツも泣くのだろうか)そう思っていれば、子供はパタパタとランティスの足元に近付いて来た。 「だあれ?」 ランティスの心情を知ってか知らずか、子供は物怖じする事はない。じいっとランティスを見上げている。瞬きもしない琥珀は彼の心そのものの様に、澄み輝いていた。 心の強い瞳をしているな…。 「フェリオ。」 鈴の様な声が聞こえれば、子供はパッと笑顔になった。ランティスには目もくれずに、声の主に走り寄る。 それは、導師クレフと共に歩み寄って来る、金髪碧眼の少女だった。 「姉上!」 長い金の髪がゆらゆら揺れる様は、興を解するとは言いがたいランティスでさえ綺麗だと思わせた。 そして、碧い瞳。 少女の瞳はフェリオと呼ばれた子供以上に強い力を秘めてランティスには見えた。揺るぎない強さと優しさを備えた瞳は、ランティスに向けられる。 少女も弟同様に、ランティスを見ても気後れする事などなく柔らかく微笑んだ。 「フェリオが失礼致しました。当家にご用事でしょうか?」 「いや、彼は私の弟子だ。」 クレフがそう告げ、眉を顰める。 「わざわざ迎えに来なくても…全くお前は修業の事となると見境がなくて困る。」 「そうでしたの?私、お引き留めしてしまったでしょうか?」 クスクスッと微笑む少女に、クレフは(エメロード)と呼び掛けた。 「貴女のせいではありませんよ、この男は強くなりたいという願いが強すぎて周囲に気を使わない。」 大きな溜息を吐いたクレフに、エメロードは取りなす様で微笑んだ。 「とても、強い心を持っていらっしゃるようですわ。そして、貴方はもっと強くなるのでしょうね。」 感心した様子で頷くエメロードの横から、フェリオが違うよ!と声を上げた。 「強いだけじゃ駄目だもん!」 ぷうっと頬を膨らませる。 「誰かを守れるようにならなきゃ、駄目なんだから!」 ギュッと姉の手を握りしめるのは、彼女を守りたいという証なのだろうか。そう言えばこの屋敷は不慮の事故で主を失い、子供だけが残されたのだと導師の話を聞いた事がある。 守護を失い二人きりで生きる事を余儀なくされた運命が、姉弟の心を強く結びつけているのかもしれない。 「まあ、フェリオったら。お客様に失礼を。」 困った子ね、とエメロードは告げながらも嬉しそうに弟の手を握る。ドレスにしがみつくように姉を抱き締めてフェリオも笑い、導師も愉快そうに笑った。 「お前が幼子に意見されるとはな。」 そして、仏頂面のランティスだけが仲間はずれにされたが、さほど不愉快な気分にはならなかった。 時はゆっくりとだが確実に流れ、セフィーロには異変が起きる。 天候の不順を皮切りに、大地が崩れ落ち、空が裂けた。 この地を支える『柱』を失った事は明らかで、人々は崩壊を恐れ、新たな『柱』の誕生を願った。 そして、彼女がセフィーロの『柱』になったのだ。 ◆ ◆ ◆ 窓の向こう側。新世界は劇的に現れ、広がっていった。青空が暗闇を引き裂く様に現れ、陽光が降り注ぐ頃には大地は緑を芽吹いていた。けれど数日前までは、魔物が闊歩する荒れた土地だったのだ。 そうしてフェリオはひとり、セフィーロ城の廊下に立って外を見つめていた。 何が起こって、どうなったのか、本当のところ理解していないのだろう。 避難していた建物の中で、いつの間にか姿が見えなくなってしまった姉を探しあぐねていれば、彼女は『柱』になったという。 城の人間に連れられて見た姉は、両手を胸元で組み長い睫毛を閉じ祈っていた。 そのままの彼女は人間ではないようで、近寄り難く見えたけれど、フェリオの姿を認めた姉は、立ち上がってフェリオの前まで歩み寄ると普段通りに微笑んだ。 「姉上が柱になったの?」 周りにいる人々が口を揃えてその通りだと告げる。 エメロード姫は柱の試練に打ち勝ったのだと褒め称えていたけれど、フェリオは姉の声でその答えが聞きたいと思ったのだ。 「ええ、フェリオ。私がセフィーロの柱になったのよ。これで、貴方を守ってあげることが出来るわ。」 美しい世界は、自分の姉がつくってくれたもの。 それだけで、幼かったフェリオには胸がいっぱいになった。ほんの僅か前まで、生死の境を彷徨っていた国。明日、いや数秒後かもしれないがセフィーロは消滅すると、皆信じて疑わなかった。『柱』が生まれなければ、全てが消えてしまう。 けれど、『柱』になった姉が全てを甦らせた。そして、以前にも増して、セフィーロは美しい国になったのだと言う。 胸がドキドキするのは、それが素晴らしい事で、自分が感動しているせいなのだと皆がフェリオに教えてくれた。 間違ってはいないと思う。けれど、何かしっくりと来ない。 何がどうと具体的に挙げる事が出来るような大人では無かったが、それでもわからないモノを打ち捨てていけなくて、フェリオはただ、窓からじっと外を見つめていた。 「何をしている。」 頭上の、遥な上から声が降って来た。声に主を見るには、フェリオは思いきりよく頭を振り上げる事が必要となり、思わず仰け反って転びそうになる。 「わ、っ…!」 声を出したのは、背中から倒れこんでしまうと思ったからだったが、実際は、背に当てられた何かがフェリオを支えた。 覗き込んでくる顔を仰ぎ見て、あれ?と思う。 「見たことある…。」 上背が大きくて、黒い髪と碧い瞳。鎧を着ているから剣士だ。 確かに見覚えのある顔だと首を捻るフェリオに、剣士は「ランティス」だと名乗った。その名前は知っている。 「姉上の親衛隊長、だ。」 大きく指先を伸ばして、顔を指し示すと眉を寄せて嫌そうな顔になる。フェリオにはそれが何だか可笑しくて笑ってしまう。 笑われた事が嫌だったのか、ランティスの表情は更に険しくなった。 「柱の、弟だったな。どうしてお前はいつも此処にいるのだ。」 いつも…? 「暇さえあれば此処で外を見ていると導師が言っていたが、本当に見ているんだな。」 「僕、そんなに見てるんだ…。」 奇妙な表情のままで自分を見下ろすランティスに、本当なんだと改めてフェリオは思う。ランティスが背中を真っ直ぐに起こしてくれたので、そのままクルリと向き合い、お辞儀をする。 「ありがとう。」 「答えを聞いていないぞ。」 一度小首を傾げてから、(此処で外を見ている)話だと気付いた。挨拶みたいに話し掛けて来たんじゃないんだと思うと、フェリオはやはり可笑しいと思った。 自分のような子供にも、大真面目に対応する大人の存在が珍しい。 「僕もよくわかんない。 でも、お城に友達とかいないからだと思う。 姉上の手伝いをして下さいって言われて残ったけど、街のみんなはお家に帰っちゃったし…。」 話しているうちに、どんどん胸が詰まってくる。 あれ、なんでだろう…? 「姉上も、姉上だけど姉上じゃなくて…ずっと一緒だった姉上じゃなくて、 …だからだと思う。 でも、城の人は全部優しいよ。神官も導師もいっつも僕に優しくしてくれる。」 いつの間にか俯いてしまっていたフェリオに、ランティスも膝を折る。覗き込む様子で聞いてくる。 「お前は寂しいのか?」 ハッと顔を上げれば涙が零れそうになる。 (寂しい)では無かった。でも、否定するとただの強がりにも思える。気持ちが上手く言葉に出来ず、涙が落ちた。 「…違うって思うんだ。 でも、何が違うんだって思う、目の前にある事が本当の事でしょう? だから、違うって思う事が変なんじゃないかって…。」 胸の中にあるものが、つっかえつっかえ出てくる。溢れていたのは涙だけじゃなかった。 「それに、だって、違うなんて言えない。 姉上もセフィーロも、みんな違うって、…僕、姉上も大好きで、みんなも大好きで…。」 ランティスの目が大きく見開かれるのが見えて、ああ、呆れられたんだって思う。 「本当はもっと、強くなりたい。見えるものも、見えないものも全部きちんと受け入れてたい。」 あの日を境に変わってしまったもの。それが何なのか今はわからなくても。 「王子。」 ランティスに呼ばれて、彼が初めて自分をそう呼んだのだと気が付いた。王子という呼び名も、何処か絵空事のような響きがあるのだけれど。 「だからお前は外を見るているのだろうな。」 ランティスの結論が果たして正しいのかフェリオには判断出来なかったが、涙と鼻水まみれになっている自分の話を、莫迦にすることもなく聞いてくれたのだと言う事実はわかった。 グシャグシャになった顔を袖で拭う。 「ありがとう、ランティス。」 「俺は何もしていない。」 素っ気ない言い方でも、彼が自分を気遣ってくれているのも感じる。大きな掌がポンと頭の上に置かれた。優しく撫でつけられる。 それがとても心地よくて、離れてしまうのが惜しくて、だから、自分は調子に乗ったのだ。 「じゃあ、僕にチュウセイっていうのをちょうだい。そしてらランティスも僕の友達になってくれるんでしょ?」 ああ、そうだ…そう言った。 鮮明になっていく記憶に、頭が熱くなっていくのがわかる。 あの時は(忠誠)の意味なんか知らなかったんだよ。城の人間がそう言うから、僕をひとりにしない約束だと思っていただけなんだよ。 それでも、ランティスは苦笑しながら忠誠を誓ってくれたのだ。 『小さき王よ、俺は必ず力になるだろう。』 おまけに、そう言ってくれたのが嬉しくて、(大好き)とか言って抱きついた事まで思い出し赤面を通り越して絶句する。 「っ…!」 顔から火が出るとは、こういう事じゃないだろうか。何度も言うが、フウに聞かれてなくて本当に良かった。 「お前…そんな事をイーグルに話したのか?」 ランティスに噛みつくも、クスクスとイーグルが笑う嫌な気配がする。 『そんな事なんて…あんな事もこんな事も伺いました。』 思わず、耳を塞ぐ。いや、塞いだからといって何を止められる訳ではなかったが、状況判断をする余裕は完全に無くなっていた。 「なんでそんな、おま、話題を選べ…!!!!」 『豊富な話題がランティスにある訳ないじゃないですか。大好きとか、可愛いじゃありませんか、フェリオ。』 こんな事なら、悪口でも言われていた方が百万倍マシだとフェリオは頭を抱えた。 要するに、イーグルが自分を判別出来たのは幼い頃からの自分の痴態を洗いざらい聞いた上での事だったのだ。 「俺はイーグルに忠誠を誓った覚えはない。お前はイーグルとは違う。」 胸を張って威張る魔法剣士に、聞かなきゃ良かったとフェリオは心底後悔した。 だから、話さなかったのだというランティスの一言は、何の慰めにもなってはいない。 ランティスが子供の戯れ言に従って忠誠など誓う男ではないと知っているイーグルだが、その事実を告げる事はなかった。←愉快犯です。 〜Fin
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