暁の空の下 ※これは、奇跡を呼ぶ人・言葉だけでは伝えきれないの続きになります。 「フウ、食べすぎなんとちゃうか?」 カルディナの言葉に、風は口に運ぼうとしていたクッキーを、しげしげと眺めた。 「そう、でしょうか?」 頬に手を当てて、小首を傾げた風に、プレセアが笑った。 「そんな事ないわよ。フウは忙しい身の上なんだから、どんどん食べて元気をつけてもらわなくっちゃ、困るわ。」 クスクスと笑い声を上げながら、彼女は風のカップに紅茶をつぐ。ゆらゆらと揺れる紅茶は、すぐに良い香りでテーブルを包んだ。 さあ、と進められて、風はクッキーを口に納め、紅茶に唇をつける。 「そうかもしれへんけど、フウは随分と甘味好きになったんやなぁ。」 「あ、それはそうね。前までは、もっとあっさりした物を好んでいたみたいね。」 プレセアはカルディナと自分のものにも紅茶を注ぎ、真ん中にあるクッキーに手を伸ばす。チョコレートを練り込んだ、茶褐色と亜麻色のそれはもう殆ど残ってはいない。はた、と風は考え込んだ。 「そうおっしゃられると、そうですわ。」 「ま、フウはなんぼ食べても細っこいからなぁ、羨ましいわぁ。」 「あら、カルディナだって、充分素敵な体型だと思うわよ?」 つんつんとプレセアがカルディナの腰をつつくと、にんまりと笑って、胸を突きだし、腰をくねらせる。 「その素敵を維持してくんわ、ナカナカ大変やん。ま、身体が商売道具なとこあるし、手入れを怠る訳にはいかへんしね。ラファーガの為にも、うちは日々涙ぐましい努力を怠らないわけや。」 「はい、はい。」 微苦笑を浮かべてプレセアは応じて、未だに首を傾げている風に向き直る。 「王が『オートザム』に外交にいらっしゃってるから、フウは余計に忙しいのよ。疲れているから、身体が甘い物を欲しがるのね。 ねぇ、フウ。貴方は私達の大切な友人でもあるけれど、セフィーロの王妃でもあるんだがら、無理は禁物よ? 体調がすぐれない時は、私にでも、導師にでも直ぐに相談してね。」 「お心遣いありがとうございます。是と行って、不具合はないので、やっぱり疲れているのでしょうね。」 風は納得したように、にっこりと笑い、残りの紅茶を飲み干した。 確かに、少し身体が怠い気がする。微熱が出る時の症状に類似しているが、熱はなかった。 執務室に戻った風は、椅子に凭れてそう思った。視線は、自然フェリオが本来いるべき机に向けられる。 十日間。短い気がしていたが、こうしてみると随分と長い。 執務自体は前準備をしていたせいで、困窮する事など無かったが、フェリオの姿がないことが寂しい。綺麗に整理された机上が、空々しく感じる。 けれど、それも僅かな日数を残すだけ。 風はそう思い直して、首をふるりと振った。そうして思う。地球とセフィーロで離れて暮らしていた頃は、もっと長期間逢えない事など珍しくなかったのに、自分は随分と弱くなったものだ。 クスクスッと、風の顔に笑みが零れる。 いつも、フェリオが側にいてくれたから。私は彼に頼る事を知ってしまった。なんて、素敵な不具合なのだろうか。 「さ、少し書斎の片付けでも致しましょう。」 大きな書庫には、彼が慌てて仕事に取り組んだ証拠にように、将棋倒しになった本が積まれている。床に積まれた本は、きっと一番上の空いている場所に本来入っていたものだろう。身体を動かせば、少しは気分が変わるかもしれないと、風は思った。 「此処は、僕の私室なので気兼ねなくつろいで下さいね。」 ほにゃ〜とした笑顔に即されて、長椅子に最初に座ったのはランティスだった。どかと中心に座り込むと不機嫌な貌で腕を組む。 その左隣の隙間に座ったのは、その男の主君にあたるセフィーロの王。 「相変わらず、遠慮というものがありませんねぇ、ランティス。」 クスクスッと嗤うイーグルは向かい腰掛け、笑顔をフェリオに向けた。 「いいんですか? こんな部下で。」 「いいも悪いも、これがランティスだろ?」 そう言うと、腕をくっと上に伸ばす。ううんと頭も仰け反らせてから、背に凭れ掛かる。首をぐるりと回して、片手で肩を揉んだ。 「おまけにこいつは怒っているんだよ。」 「ええ、そのようですね。」 旧友であるイーグルにはお見通しだったようで、食えない笑みを浮かべたまま視線だけランティスに送る。ランティスの鼻息が荒くなったような気がして、それはイーグルの笑みを誘った。 「彼女も一緒に来れば良かっただろう。」 王よりも偉そうに、ランティスは告げた。フェリオは、困ったように眉を顰める。 「俺もそうしたかったが、二人も国を長期間離れる訳にもいかないだろうと術者達に言われたし、俺もフウもそれで納得した。」 「一緒に来るべきだった。」 「…それは、俺だって…。なんでお前が怒るんだよ。」 流石のフェリオもムッとしてランティスを舐め付ける。琥珀の瞳は、切れ長の眼尻と相まって鋭く相手を睨んだ。 「自分がヒカルと一緒にいられないので、貴方の事を心配しているんですよ。」 ね。と、イーグルに首を傾げられても、ランティスは不動を貫きとおした。 フウと溜息を付き、フェリオは微苦笑を浮かべる。 「…わかってる。でも、今回の視察は強行軍になるのがわかっていたし、フウの体調も心配だったんだ。」 その言葉には、初めて気付いたようにランティスはフェリオを見た。 ぽりと頭を掻いて、フェリオは視線に応える。 「具合がってほどじゃあないんだが、何だか身体が怠そうに見えて。疲れているのかもしれない。そんな折りに無理はさせられないと、俺の判断だ。 医術者達は健康だと言っていたんだが。」 「お前がそうなら良い。」 ランティスはそう言い置くと視線をテーブルに戻し、ティーカップに手を伸ばす。 「なんで、こいつはこう…喧嘩腰なんだろうな。それで、ラファーガとも衝突をする。」 フェリオも同じ様にカップを手にして、その手で皿に盛られた菓子を二つ摘んだ。 「こういう人間を意志が強いと言うらしいですよ?」 クスクスっと笑ったイーグルに、フェリオは盛大に溜息を付いた。 脚立を据えると、上段の棚は楽に手が届いた。 数冊持って登り、棚に納めた。数回繰り返すと汗が出てくる。結構良い運動になりますわと、風は額の汗を拭った。 それにしても、結構な高さですわ。と風は、脚立の上に座って下を覗き込んだ。一瞬くらりと来て、慌てて棚に掴まる。 「フウ!?」 ふいに名を呼ばれ顔を向けると、眼を真ん丸にしたクレフが戸口に立っていた。 「何をしているんだ、フウ。」 「蔵書の整理をしようと思いまして、驚かせてしまいましたか?」 何度も眼を瞬かせてクレフは困った表情を浮かべてから、脚立の下へと歩き始めた。そして、頭上に視線を移し眉を顰める。 「驚いた。陛下が見たら、卒倒しそうな光景だ。」 「まぁ、フェリオはそんなに心配性ではありませんわ。一緒に、樹に登った事だって何度も。」 くすとクレフが笑う。 「それは、陛下がご一緒だったからだ。フウがひとりでこんな事をしていたら、ご心配されるに決まっている。今回の視察も、フウの体調を気になさって、一人で出向く事に決められたんですから。」 そうでしたの。今度は、風が吃驚したように眼を見開く。 「さ、降りて来て下さい。フウ。」 「はい。」 風は、棚についていた手をゆっくりと離した。完全に埋まっていなかった本棚の本達は斜めに傾いていて、風が手を離した拍子に倒れ、隣の本を押した。 あっと思う間もなく、将棋倒しになったそれらは、一番端の本を棚から押し出す。 それは、クレフの頭上を目掛けて落下した。 「危ないっ!」 咄嗟に伸ばした手に本は当たり、落下線を変えた。 風は体勢を戻せないまま、脚立に手をつく。しかし、脚立も体重の掛かる方向へと大きく傾ぐ。放り出される形で風はそこから落ちた。 床に叩き付けられる寸で、クレフの魔法が彼女を包み、緩やかに床へと降ろした。 「大丈夫か!? フウ!」 駆け寄ったクレフに、風はくの字に曲げていた身体から顔を持ち上げる。 「ええ、ちょっと驚きましたけれど、平気で、痛っ…。」 小さな悲鳴を上げて、風はもう一度お腹を抱え込むように身体を曲げる。余程痛いのか大きく顔を歪めた。 「何処か打ったのか? フウ。 お腹が痛いのか!?」 「いいえ、どこも…。でも、お腹が…。」 クレフが見守っている間に、どんどんと風の顔色が悪くなる。額に汗が滲んできた。気分も悪い様子で、大きく体を震わせる。 クレフの小さな手はゆっくりと背中をさすり、過呼吸になりがちな風を宥めてくれる。 「今、医術師を呼ぶ。もう少し我慢してくれ。」 クレフの呼び掛けに来てくれたのだろう廊下を走る音が聞こえ、風は申し訳ない事をしてしまったと、心の中で謝罪の言葉を告げた。 きっと、フェリオにも心配を掛けてしまうだろう。そのことは、身体に感じる痛みより風の心を締め付けた。 呆気にとられたフェリオは、ベッドに腰を降ろした。 風と向かい合い、彼女の頬に手を伸ばす。 「何でも…ないんだな?」 しかし、そう言われ風は目尻を赤く染めて俯いた。掛け布団の上で行儀良く重ねられている手がきゅっと強ばる。 「…違うのか?」 酷く不安そうなフェリオに、風はふわりと抱き付いた。首に腕を回し、耳元に唇を寄せる。 「フウ?」 「ご心配をお掛けしました。怪我などしておりませんわ。」 囁かれた言葉に、フェリオはやっと安堵の溜息を付いて、瞼を閉じる。改めて、風の背中に腕を回し抱き締めた。柔らかな金髪に、頬を埋める。 「驚いたが…良かった。」 「でも、私が全く気付かなかった事を指摘されてしまいました。」 はっと、フェリオは風から身体を離し、両肩に手置く。そうして、驚いた表情の風を覗き込んだ。 「怠そうにしていた事だろう? やはり何処か体調が崩れていたのか?」 瞬きを繰り返して、風は口元を抑えてクスクスと笑った。 「貴方がお気付きとは思ってもいませんでしたわ。私、疲れているんだとばかり思っていましたので…。」 「お腹に赤ちゃんがいるそうです。」 フェリオの瞳が真ん丸に見開かれる。 「…赤ちゃん…?」 変わらず頬は染まったまま、風は恥ずかしそうに頷いた。 「俺とフウの…?」 こくりとただ頷く。大きく見開かれた瞳が漸く普通に戻った頃、フェリオはもう一度、風の身体を抱き込んでいた。触れあう身体からは、未だに兆候を伺う事は出来ないけれど、彼女の中には大切なものを育んでいた。 「なんて言葉を掛けていいか分からないけど、ありがとうと言ってもいいか?」 「フェリオ。お礼なんて…。」 「ありがとう、フウ。本当に…。」 フェリオは風の頬に唇で触れて、どこか甘い溜息を付いた。のんびりと後を追うように登っていく暁が、ふたりを照らす。 祝福されているようだと、フェリオは思った。ああ、そうか…。 「姉上もきっと喜んでくださる。」 微笑んで伝えられた言葉に、風は目尻に溜まった涙を拭いた。 〜Fin
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