奇跡を呼ぶ人


※フェリオ×風(結婚設定)

 顔を上げると、柔らかな巻き毛がふんわりと揺れた。
ほう…と、謁見していた少女から溜息が漏れる。

「どうなさいましたか?」
 風は柔らかな笑みを形よい唇に乗せてそう問う。
翡翠の瞳に見つめられて向かい合っていた少女は頬を染めると、恥ずかしそうに俯いた。それ以上、どんなに風が声を掛けても顔を上げようとはしない。
 困ったような風に視線を向けられ、彼女の隣の王座に座っていた青年がクスリと笑う。琥珀の瞳を細めて、愛おしげにフウを見つめてから、少女の方を向いた。
「見惚れていたのさ…なぁ?。フウは綺麗だからな。」
 フェリオがそう言うと、俯きながら少女は小さく頷いた。
 今度は、風の頬がほんのりと赤く染まる。
 恥ずかしげもなく綴られる讃辞の言葉は、放っておくとこのまま続きそうだった。
「フェリオ…。」
 咎めるように、そっと名前を呼ぶ。
しかし、青年がいっそう眩しいものでも見るように、目を細めただけでその言葉を止めようとはしなかった。
「セフィーロの新たな王妃は、どんな宝玉よりも美しいと国中で評判だ。
俺は間違った事を言っているか?」
 青年も、その端正な顔立ちに優美な笑みを浮かべて少女を見る。
少女は顔を赤くしたままではあったが、顔を上げる。

「あの…王様も王妃様もとても素敵で、二人お揃いだと綺麗なお花が咲いているようです。私、こうやってお目にかかれて本当に嬉しいです。」
 つっかえ、つっかえそう言うと、再び少女は俯いた。フェリオの目が丸く見開かれる。
「俺も、綺麗か…これは参ったな…。」
 頭を掻きながら自分に向けられた苦笑いに、風はふふっと笑い。控えていた側近達も軽快な笑い声を上げる。謁見室は、なんとも柔らかな雰囲気に包まれた。

 そうして、もう一度、フェリオ−セフィーロの新たな王−は、苦笑した。


「いつも貴方に言われております私の気持ちがお分かりになりましたか?」
 連れ添って、謁見室から出てきたフェリオは、風にそう問われて笑う。
「俺は、嘘なんか言ってない。」
 立派な王としての風格を持つ男性に成長したとはいえ、本質的には変わらない。
そう返事を返して、フェリオは悪戯な笑みを浮かべた。
「まぁ…綺麗は驚いたがな。」
 クスリと風が笑う。胸元の大きく開いた純白のドレス。胸元の宝石が揺れた。
 きらきらと光を反射するそれを見つめていたフェリオの琥珀の瞳を瞼が覆う。
それは、眩しすぎれ見て入れられないとでも言うように、再度見開かれても細められたままだ。
 そっと、フェリオの手が風の頬に当てられる。ふんわりとした巻き毛をいらうと、風はフェリオを見上げた。優しい瞳が笑う。
「そうやって笑っていると、本当に花のようだな。フウは…。」
「フェリオ…。」
 近付いた二人の唇は触れて、しかしすぐに離れた。フェリオが少しだけ困った顔でそちらを向く。
 廊下の先。そこには、数名の術師とラファーガが立っていた。王の視線が自分達に向いたのを知ると、彼等は胸に手を当てて一礼をする。
「陛下。」
「そう、急かさなくても今行く。」
 ふうと大きく息を吐き出すと、王子だった頃よりも遙かに重く造りの豪華になった纏を翻す。そして、すっと背を伸ばすと、片手を上げた。
その動作に淀みは無く、一国を預かる身としての威厳に溢れている。
「また、後でな。」
「はい。」
 にっこりと微笑むフェリオを、風が笑顔で見送った。
素早く近付いて来た術師は、手にした書状をフェリオに見せながら話し出すと、歩きながらフェリオもそれに応じていく。そして早足で、その先の扉へと消えた。ラファーガは、再度風に一礼するとその後を付き従う。
 多忙な国王。それは、彼の日常を明確に表していた。



「随分と国王らしくなられましたな。」
「クレフさん。」
 フェリオが消えた扉を見つめていた風に、クレフが声を掛ける。
「幼き頃を思うと、感慨深いとさえ感じます。こうやって、王妃が陛下の横にいらっしゃるを見るとよけいにですね。」
「格式が必要で無い時には、今まで通りフウとお呼びくださいとお願いしておりますわ。クレフさん。」
 風の柔らかな笑みが導師に向けられると、彼の表情も困ったような笑みに変わっていく。
「それでは、いざと言うときにぼろが出てしまいそうですからね。日頃からの練習ということにしておいてください。…ところで、フウ?」
「はい。」
「時間が空いていらっしゃるのなら、自室でお茶でもいかがですか?」
 導師の誘いに、風は再びにっこりと微笑んだ。



 部屋に香るのは、ハーブ。
「心地良い香りですわね。お茶に入っているだけではないですわね。」
「此処に入れる前の葉が置いてありますから。」
 クレフは、部屋の棚に置いてある籠の中にある葉を指し示す。
「この間、森に行った際に採ってきた。色々効用はあるが、心を落ち着かせる効果が一番だな。」
 風は、クレフの言葉に口元を抑える。
「さ、お座り下さい。」
「あ、はい。」
 風はドレスの裾を気にしながら勧められた椅子に腰を下ろした。
白いカップに注がれた亜麻色のお茶を見つめながら、ほぅと溜息を付いた。
「お分かりになりましたか?」
「心配事があるのだろう?フウ。」
 クレフの口調が普段のものに変り、風が困ったような笑みを浮かべた。
返事をしようか迷っているように見えた風が、一口お茶を飲み干すとコクリと頷いた。
「クレフさんには、お見通しですわね。」
「フウの笑顔は輝くようだ…と王子が、いえ、陛下がいつもおっしゃていますからね。」
「陛下…ですわね。フェリオは…。」
 澄んだ翡翠の瞳は、若葉のように揺れる。
先程の光景が浮かぶ。少しの休憩も惜しんで、次の仕事へと向かうフェリオの様子は、頼もしいという言葉よりも、ただ心配だった。
「私は、こちらへ嫁いで参ります前は、いつでもフェリオと一緒だったわけではありませんでしたが、お忙しくしていらっしゃった事は知っておりましたわ。
 でも、あんなに休む暇のもないものとは思っておりませんでしたから…。」
 フウと再度溜め息を付く。
「陛下は、フウと会う時は前もって仕事を片付けていらっしゃいましたからね。」
 風の前に座り、同じようにハーブティを口にしながらクレフは柔らかな笑みを浮かべた。

「そうだったんですの?」
 驚きの次には『あれでも?』という問いが隠れていた。
 異世界へ出向いた自分と対面する時でさえ、彼はいつでも手放しではなかった。話している最中に、問い合わせが入るのは勿論のこと。
街に出掛けていても、城にとって返すよなこともあったのだから。

 それが、仕事を片付けた上での事だったとは、流石の風も思ってはいなかった。

「私が至らないということでしょうか?」
 頬に手を当てて、溜息を付く。憂う王妃に、クレフは首を横に振った。
「フウが嫁いで来てくれてから、陛下の表情が柔らかくなられた。一人で背負わなければと入っていた力が、フウのお陰で上手く抜けているのだろう。」
「そうだと、いいのですけれど。」
 手にしたカップを皿に戻すと、風は両手を膝の上に置く。
部屋の中を通り過ぎていく風が、彼女の髪を揺らした。
クレフも優しい眼差しで若き王妃を見つめる。そして、クスリと笑った。
「私は陛下が忙しすぎて、フウが寂しいのではないかと思っていたが、勘違いのようだな。」
「寂しくなんて…皆さんとても優しく接してくださいますし。家族からの手紙も光さん達が運んで来てくださいます。地球に住んでいても、もっと不便な場所はありますわ。」
 優しい笑みを浮かべる風は、ふっと表情に影を落とす。
「私は、フェリオの身体を心配しております。」



 『昨日の夕食に何を食べたか忘れたんじゃない?』

 からかうような海の言葉を思い出して、フェリオは深く凭れた椅子の中で溜息をついた。頭の働きを計るのだと彼女は言っていたが、昨日どころか今日何を食べたのかすら自信がない。
まるっきり頭が回っていないのは自覚出来る。
『え〜と、夕餉は食べた…よな…。』
 そんな事まで思い、そうそう食べたと思い直す。夕餉は風と一緒だった。
けれど、昼間に別れてからやっと合ったフウともロクに話もしないまま、まるで旅の途中で魔物に襲われて早々に逃げた時よりもきっと早く夕餉を掻き込むと執務室に戻った。部屋を出る時の寂しそうな風の顔が胸に残っていた。
 寂しいのだろうか…。自分の住み慣れた地を遠く離れて自分の元に来てくれた女性に対して、今、何もしてやれない。
 側にすらいてやれないとは、不甲斐ないにもほどがある。彼女にこんな表情をさせる為に結婚をしたわけではなかった。
 ずっと一緒にいて欲しいと告げた時の輝くような笑顔が過ぎる。あれが、風だ。花のように笑う彼女こそが、自分が愛した女性だ。

 それが…。もう一度大きな溜息を付くと、フェリオは手にした書類を机に放り投げた。整頓が行き届いたとは言いかねる、広い机に散らばる紙は乱雑な自分の気持ちのようで、フェリオの気持ちをますます不快なものに変えていく。
 聡明な琥珀の瞳が、苛立ち揺れた。

 多忙になるだろう事は王子から王へと変わった肩書に覚悟はしていた。
それなりにこなしてきたつもりだったし、自分自身がどれほど忙しくなろうと、身体を壊そうと自分にとってさしたる問題では無かった。
 けれど、たった一人、心から愛しいと感じる女性に、悲しげな表情をさせてしまう自分が何よりも嫌だ。
 胸を潰されるような感覚に、ただ不甲斐なさだけが募る。

 フェリオは、取りあえず朝一番で問題になりそうな仕事を終わらせた事を確認すると立ち上がる。気休めになってしまうのかもしれないが、部屋へ戻って風に会おうと思いたった。
 少しだけ話をしたら、すぐにまたこっちへ帰ってこなければならないけれど…。それでも、彼女の気休めになればいいし、何よりも自分も風に会いたかった。
 様々に浮かぶ心中の葛藤は置いて、フェリオは部屋を後にした。



「まぁ、フェリオ?」
 窓よりに置いてあるテーブルで書き物をしていた風が顔を上げた。
 彼女はもう寝着で、その上に薄物を羽織っている。
もうそんな時間だったかと、フェリオは自分の行動に溜息を付いた。途中で見きりをつけなかったのなら。彼女は一人、この広いベッドに眠るのか。
 彼女と共に暮らすようになってから、おやすみを言って共にここで眠った事は数えるほどしかない。

「お仕事の方は如何ですか?」
 笑みを浮かべながらそう問われて、フェリオは両手をあげて首を横に振ってみせた。
「まぁちょっと休憩だ。フウの顔を見ないとどうにも落ち着かないし…。
」 「まぁ…。」
 フェリオの言葉は風の頬を赤く染めた。その頬に軽い口付けを落とす。
「フウが眠る前で良かった。何をしてたんだ。」
 白い頬を紅に染めたまま、風は視線をテーブルに視線を戻す。フェリオもテーブルに手を置いてそれを覗き込む。
「ええ、家族に手紙を書いておりました。
 今度のお休みに海さんや、光さんがいらっしゃる事になっておりますから、届けて頂くつもりですわ。」
「そうか。」
 相槌を打ってから文字に視線を動かした。
 見慣れない字が几帳面に並んではいたが、合間に出てくる自分の名だけは判読出来る。けれど、内容は理解出来ない。

 寂しい想いをさせているという後ろめたさの分だけ、心に掛かる。

「この間、お姉様から頂いたお手紙には東京タワーが二本になると書いてありました。」
「それって、フウ達が行き来しているところだよな。」
「はい。それで出入口が二つになって便利になるんじゃないのかとか、他の者も通れるんじゃないかと書いてありましたので、どうなったのか伺うつもりですわ。」
 うふふと笑う風につられて、フェリオも笑う。
 いや、笑ったつもりだったのだが、何処かそれはぎこちなかった。
 ふいに、風の手はフェリオの頬に当てられる。
「顔色が悪いようですわ。…お疲れですものね。今日少しお休みになってから執務にお戻りになりませんか?」


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