「満月には魔力が宿る…と私達の世界では言われています。」

 空にかかるほど大きな満月を見て、風はそう教えてくれた。
 だからこそ、月にお供えをして崇めてみたり、美しい女性の横顔を垣間見て(死の女神)だと畏れたりしているんです。
「へえ。」
 フェリオは、風の話に相槌を打ちながら、同じように空を見上げる。
 城のバルコニーから抜け出し、城下町を散策したふたりは、休憩がてら草原に腰を降ろしていた。月は、まるでふたりを眺めているように大きく空に掛かっていた。

 セフィーロの月には風のいう伝承はない。元々、魔力が普通にある世界。空に浮かぶ丸い玉にその源を求めずとも、力は自らが内包している世界だ。
 けれど、漆黒の闇に浮かぶこの美しい光に、畏怖を感じないかと問われれば嘘になる。暗闇に浮かぶ蜜色の輝きは、何処か妖しく艶めいて、フェリオには見えた。

 女性に讃えられるとフウが言ったのは、そんな事からかもしれないな。

 フェリオは妙に感心しながら、両手を身体の脇に置いて熱心に空を見上げた。隣に座って、同じ様に夜空を見上げていた風だったのだが、あまりにも熱中しているフェリオに、何故だが胸が騒いだ。
 普段見開かれている瞳を、半ば閉じるようにして、夜空を見ているフェリオの様子が、そう、まるで月に魅入られているように見えたのだ。
 そんな童話がなかっただろうか。悪戯な王子が、うっかり城を抜け出した時、月の女神に魅入られて連れ去られる。そんなお話をどこかで読んだ気がした。
 自分の隣にいるのも、王子様、ではないだろうか。そんな、取り留めのない事を考えている風の目に、フェリオが身体を起こして、右手を空に伸ばすのが見えた。

 あっ…。

 咄嗟に、ギュッと纏を握りしめた風に、フェリオは驚いた表情を向ける。何かに差し伸べようとしていた腕は、風の肩に降ろされた。
「…? どうした。」
 普段と変わらぬ視線を自分に返してきたフェリオに、風はほっと安堵の息を吐き、そして盛大に頬を赤らめた。
 何を考えていたのでしょう、私。まるで、月に嫉妬していたようじゃありませんか?ドキドキと早くなってしまった鼓動に戸惑いながら、風は言葉を無くしてしまう。
「え、あの…。私…。」
 真っ赤になったまま、俯いてしまった風をフェリオは瞠目したまま見つめる。普段でも、確かに風は可愛らしい女性なのだが、何処か冷静で落ち着いた様子なのが常だ。
 それが、何か些細な事で動揺して恥ずかしそうに俯いてしまう彼女は、ことさらに可愛らしかった。
 
 人の心を掻き乱す…か?。フェリオは、ふいに浮かんだ事柄にクスクスと笑いだした。

「笑わないで下さい。恥ずかしいですわ。」
 両手を頬に当てて、伏し目がちにフェリオを見上げる風は、雲の影に見え隠れする月に似た恥じらいを感じさせる。そういえば、風の髪は、ほんのりと蜜色だ。
 
 俺が惑わされる魔力なら…。

 肩に置いた手に力を込めて、そっと抱き寄せて蜜色に頬を寄せる。柔らかな巻き毛が幾重にもかさなり深い色を創りだす。手の届かない輝きなど、呆気なく魅力を失っていく。
「フェリオ?」
「俺以外の奴にフウが心を乱されるのは酌にさわる…なんてね」
「いえ、そんな私は…。」
 あと唇を抑えて風はもっと顔を赤くする。
「貴方以外の方に、なんて…。」
 思わず赤面してしまう風の告白に、フェリオは息を飲む。

月の魔力…本当にあるかもしれない。

〜Fin



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