貴方の願いが叶う時


 彼は自分の行動をそう言った。頬を染めて、照れたような笑みを浮かべながら。
自分にだけ見せてくれた仕草は、いつしか心を捕らえていた。いつの間にか誰よりも大切な人になっていた。
 あの時と同じで、けれどあの時と違う彼がいて、でも同じ様に受け入れてしまう自分がいた。幻想を追うのでも無く、夢を見ているのでもなく、自分はフェリオが好きなのだ。

   息を飲む。

 見る間に風の綺麗な瞳から涙が湧いたかと思うと、それははらはらと零れ落ちた。
 綺麗な翡翠から生まれる綺麗な雫。まるで、奇蹟のような光景だった。手を触れると、消えてしまう幻のようにも思えて、一瞬躊躇する。しかし、フェリオは意を決して彼女の腕を引き胸元に抱き締めた。
 ふわりと香る風の髪が、両手で抱き締めてもなお腕が余るその細さも何もかもが、違和感無く胸にすとんと落ちてくる。

愛しい。

 胸に浮かんだ形を言葉にすれば、そうに違いなかった。
出会ってたかだか数日なのに? 
いずれセフィーロに戻らなければならない自分が?
しかしそれは言い訳だ。不条理なこの思いに対する言い訳。

「泣くな…変な事を言ったのなら、謝るから…。」
 腕の中で、風が頭を横に振る。それ以上の拒絶がなかったのを良いことにフェリオは腕の力を緩めなかった。
「すみません。何でも無いですから。」
 放して下さい…と口にしない風と、放せないフェリオはただの抱き合う恋人同士にしか見えない。ゆっくりとなごり惜しそうに身体を放す様子は、まさにそのものだった。

「な、な、な、な何してんですか。侑子さん。」
 庭に向いた大きな窓から覗いていた侑子は、四月一日の方を振り返りにやりと嗤う。
「覗き。」
「ついに人としての尊厳も溝に捨てたんですかー!!!!!」
 顔を真っ赤にして抗議する四月一日をさも面白そうに眺めてから、侑子はついと彼の顎を撫で上げた。
 一瞬言葉に詰まった四月一日に、侑子はこう問い掛ける。
「自分の願いを叶える時の必須条件がわかる?」
「なぞなぞですか?」
「そうねえ、問答に近いかしら?正解しなかったら、今夜の酒の肴、四月一日に作ってもらおうかしら。」
 四月一日は、むうっとして彼女を見る。正解しょうと、そうでなかろうと肴は自分が作るに決まっている。
「それ以外の願いを顧みない事ですか?。」
 此処を訪れて、少女の命乞いをした少年の様子が四月一日の脳裏に浮かんだ。彼は守るべきものだけを掴み、異世界へ旅立って行ったのだ。
「それもあるけど、実はもうひとつだけあるのよ。」
 侑子は、ふふんと意味深に口角を上げて『明日までの宿題ね』と言葉を続けた。



 東京という都市は、観光をするのに事欠かない場所なのには間違いない。あちこち周り、東京タワーに着いた頃には、日もかなり暮れていた。幸せな一日だったと風は思った。
 永遠など望むべくもないが、本当に夢を見ているようだった。
自分の隣にはフェリオがいて、同じ様に笑っている。
 しかし、東京タワーに着いた頃には、醒めない夢を無理矢理眼醒めさせているような不快感が胸が圧迫していた。
 建物の中に入ると、珍しく夜景を見る人々の数も疎ら。展望台は自分達だけしかいない。
そし、真っ黒な空の上には他の人には見る事の出来ない蒼く輝く星が浮かんでいる。
 それを見つめてフェリオは息を飲んだ。
「…セ、セフィーロ…?」
「はい。」
 風は、ゆっくりと頷いた。
「どうして、此処からは見えるんだ?」
「それはわかりませんが、セフィーロへ魔法騎士が召還された場所だからなのではないでしょうか?」
「おっどろいたな…でも、ありがとうフウ、これで何とかなるかもしれない。」
「それは、良かったですわ。」
 綺麗に微笑む風に、フェリオは頬を染めた。
 動悸と息切れと目眩がして柵に手を掛けたと同時にジーンズのポケットから1個オーブが転がり落ちた。形も丸いそれは、遠くへと転がって行く。
「あっ…。」
「私が拾いますから。」
 彼女が追いつきそれを拾い上げると同時に、フェリオの瞼がゆっくりと降りた。
 再び瞼を上げた時、フェリオの目が風から反らされる事はなく、口元には柔らかな笑みを浮かべている。
 「フェリオさん?」
 風がオーブを手渡そうとするのを、フェリオは手で制した。
そして、そのまま腕を持ち上げてが風の髪を撫でる。頬から顎のラインに沿うように手を滑らした。
「…フウ…少し見ない間に、随分綺麗になったんだな。」
 感心したような呟きに、風は驚き声を詰まらせた。
「フェリオ…記憶が…!?」
 それには答えず、深い色を讃えた琥珀の瞳がゆっくりと近付く。即されるように風も瞼を閉じた。
 しかし、触れ合うかと思われた唇は重なる感覚が無く、彼が呟くのが聞こえた。
「…残念…時間切れだ…。」
 目を開けると微笑む彼の姿。背景に溶け込む様に実態を失っていく。
「フェリオ!」
 風の呼び掛けに、彼女の手を指さして微笑んだ。
『持っていてくれ…。必ず…。』
 光の余韻のみが残る空間。そして風の手にはオーブが残される。
「フェリオ…。」

   必ず会えるから。



  「あ〜いなくなっちゃたのか〜王子君〜。」
 バイトが楽で良かったのに〜と嘆く四月一日を侑子はふふんと鼻で笑った。
「仕方ないじゃない。『オーブを彼女に手渡す』彼の願いは叶っちゃったんだから。」
 髪を両手で掻き乱しながら、四月一日は叫んだ。
「あ〜でも何でそんなまどろっこしい願い事なんて『鳳凰寺さんとずっと一緒にいたい』でいいじゃないすか〜〜!!」
「昨日の宿題を忘れたわね。願いを叶えるもうひとつの方法。」
「へ?」
「王子君は、願いを捨てたのよ。彼女の為に。」

 どちらかが、片方の世界へと赴けば、自分の世界との断絶を意味する。彼女に強いても辛く、自分が選んでも優しい風は自分を責めるだろう。それ故にフェリオは本当の願いを捨てて、彼女の為に出来る事のみを選んだ。
 恐らく自分の一番大切なものが、彼女との思い出だということも知っていて、敢えてそれを手放さない方法も探したのだろう。
 彼の対価は『彼女との思い出を失う時間』だったのだから。
それが蘇りそうになると意識を失うのは、彼女と少しでも一緒にいたいという本能的なものだったに違いない。

 そして、セフィーロに彼が帰る前の僅かな時間ではあったが、二人は本当に『再会』を果たしていた。

  「そして、彼女も王子君の為に願いを捨てた。お互いが、お互いを思っているときにだけ起こる奇跡みたいなものね。」
 四月一日はぽかんと侑子の顔を見つめている。
「……なんかあり得ないけど、今日の侑子さんがいい人に見えてきた。王子君の宿泊代とかまだ残ってるのに、行かせてあげたりとか…。」
 しかし、四月一日の感心したような表情を見ると、侑子はいつもの笑顔を浮かべた。ふふんと口角を上げる。
「何言ってるのよ。王子様の服が一式残ってるじゃないの。ヤフオクでマニアに高く売れるわよ!!!」
 マルとモロにカメラを頼む侑子の後ろ姿に、四月一日が叫ぶ。
「おっ、鬼−−−−!!!俺の感動を返せ!!!!!」
その声を背中に心地よく聞きながら、侑子は空を見上げる。彼女の瞳には、セフィーロの姿がはっきりと写っていた。

 東京タワーに佇む風にも同じ様にそれは見えていて…。
「私、大好きですを言い損ねてしまいましたわ。」
風はクスリと笑う。また、伝えれば良いことですわ。心のなかでそう呟いた。



〜fin



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