貴方の願いが叶う時 「バイト…ですか?」 彼の言葉を反覆して、風は瞬きを繰り返す。 しかし、風の驚きを気にも止めずにフェリオは『調度良かった』と言葉を続けた。 「光や海に伝えておいてくれないか?どうも暫くは此処にいなけりゃならないらしいけど、何とかなりそうだから心配するなって。」 「もう少し詳しくお伺いをしてもいいでしょうか?どうお二人にお話していいか困ってしまいますわ。」 あぁと苦笑いを浮かべて、玄関に立っている風に視線を合わせるようにフェリオがしゃがみ込んだ。 しかし、両手で狸を抱え込みながら自分に話し掛けてくる相手は余りにもコミカルだ。 「早急にセフィーロに帰る事は出来ないらしいと言ってくれればわかると思う。けど此処には置いて貰えるから、とりあえずは生きる為に食うことを考える事にした。」 それが『バイト?』。順応性が高いというのか、逞しいというべきか、ふっきった様子のフェリオに風は驚くしか無い。 「それで、何か思い出されましたか?」 その問いには、顔を顰めて首を横に振った。 「あ〜王子君こっち、こっち!」 廊下の向こうから、フェリオと同じ格好をした四月一日が手招きをした。二人でバイトをしているのだろう。 「わかった!じゃあ、よろしく頼むよ。」 フェリオは慌てて立ち上がり、風を振り返ってから四月一日が呼んでいた部屋へと姿を消した。小さな女の子達も、パタパタと走り去っていく。 セフィーロに召還された時にも感じたが、と風は頬に手を当てて小首を傾げた。「…展開が早急ですわね。」 切ったばかりの電話が直ぐに鳴りだした。 「きっと、海さんですわね。」 さっきまでの電話は光からのもの。きっと、もう一度同じ話をすることになるだろうと思うと可笑しかった。 『もしもし、風?それでどうなの!?」 社交辞令も、挨拶もなく飛び込んでくる海の声に、やっぱりと風は微笑んだ。 「フェリオはまだこちらにいらっしゃいます。「王子君」なんて呼ばれていらっしゃるんですよ。」 電話口で一瞬声に詰まる気配がしてから、海の声が聞こえた。 『それで、風の事を思いだしたの?』 「いいえ。私の事を思い出そうとなさると意識が飛ぶようですわ。『代価』として払ったモノは絶対に還らないとおっしゃった意味がわかったような気が致します。」 誰かが、自分との思い出を告げたとしても、それを再び記憶することすら許されない。絶対の掟。それが『代価』なのだろう。 『ごめんね。風』 急に黙り込んでしまった風は、海の言葉で慌てて話し始める。 「どうして、海さんが謝ったりなさるんですか?」 『だって、私。風の力になってあげられないわ。こうして電話で話をするだけなんて。』 「いいえ、お二人がいらっしゃらない代わりに私が伺っているこ事になっております。充分に助けて頂いてますわ。」 電話口から聞こえる風の声が意外に明るくて、海は不思議そうにその事を問い掛けた。 「楽しいんです。お掃除のお手伝いをしたりお料理をしたり、お話したりして、たわいない会話やふれあいが本当に嬉しくて。」 不謹慎だとは思ったが、セフィーロで彼と会った時は味わうことの出来なかったものだった。あの時は、いつも緊張し胸が支えるような圧迫感から逃れる事は無かった。 「…ただ、セフィーロに帰りたいと思っているフェリオの気持ちがわかっているのに、ずっとこのままでいて欲しいと願っている自分が我が儘で嫌になりますわ。」 『そんなの当たり前だわ。好きな人と一緒にいたいって思うの全然間違ってないわよ。寧ろ当然ね。』 海は、早口で捲し立ててからふうっと大きく溜息をついた。 『フェリオはフェリオって事なのよね。』 「え…?」 『記憶がなくても、何処にいても、フェリオはフェリオなんでしょ?だから、風は楽しいのね。やるじゃない王子様。見直したわ。』 受話器を耳に当てたまま、風は紅くなる。確かにその通りだった。彼は大人になった…けれど、変わっていない部分もあり、それは自分が惹かれていたところ…なのだろう。 『ねえ、風。あの時私達思ったわよね。もう後悔しないようにしたいって、今もきっとそうよね。』 「はい。」 海の言葉に、風はコクリと頷いた。 「もうそろそろ、来るんじゃない?」 白い割烹着を羽織ながら四月一日が、七輪に火を熾していたフェリオの方を振り返った。 「あぁ?」 生返事を返しながら、手際よく内輪で備長炭に火を回すと、道具を片付けるた為に立ち上がった。その後を引き継ぐように、四月一日は網に油を塗り、材料を並べていく。 「ごめんよく聞こえなかったなんだって?。」 「鳳凰寺さんだよ。」 その名前に、フェリオは一瞬息を飲み頬を赤らめた。 「…フウは…来るんじゃないか?」 「可愛いよね。彼女。」 四月一日は、切れ長の目をなお細めて視線を宙に浮かす。そして、両手を顔の横に持ってくる夢見る乙女のポーズ。顔の周りにハートを飛ばす。 「ひまわりちゃんも最高可愛いんだけどね〜。」 呆れた顔でそれを見ているフェリオに気付いているのか、いないのか四月一日は話し続ける。 「王子君が来てから毎日来てるよね。あの制服さ、王子君は知らないかもしれないけど有名な進学校のものなんだ。毎日補習とか大変だって聞いてるけどなんつーか健気だよね。」 「…そうなんだ。大変なのか…。」 フェリオの沈んだ表情に、四月一日は両手を大袈裟に振り回して慌て出す。 「ご、ごめん、そんなつもりじゃなくて、可愛いし、優しいし、手伝ってくれるし、大歓迎だってことで、王子君が気にすることじゃないよ。」 「…でも、迷惑をかけているのは本当だな。」 苦笑いを浮かべるフェリオに四月一日も言葉を失った。フェリオは、そんな四月一日の肩を軽く叩いて笑う。 「それこそ、お前のせいじゃないだろ?。じゃあ、これ片付けてくるから。」 道具を仕舞っている納戸に向かう廊下に、自分が寝起きしている部屋がある。 仕事をするのにも邪魔な上、着替えもないので王子服は壁にぶら下がったままになっていた。 今着ているのは、侑子から借りている東京の服。フェリオは王子服を手に取った。 掴んでいる腕にどんどん力が加わる。ギュっと皺が由るほど握る。 本当はいてもたってもいられない程の焦りを感じていた。それを何とか押し留めていられるのは、彼女のお陰だ。 フウ。 彼女が何かと自分を気遣い紛らわしてくれていた。四月一日に言われるまでもなく、彼女が来てくれるのは楽しみであり、しかし迷惑を掛けているという懸念は頭から離れない。 『俺は来てくれなくても大丈夫だから』 そんな言葉を何度飲み込んできたのだろう。 自分に対する苛立ちを紛らわせるように、服を力任せに壁に向かって放ると硬質のものが、当たった音がした。 「何だ…?」 懐を探ると、オーブが二つ。 「あぁ、姉上に頂いた…?」 ふいに、景色が浮かんだ。 雷が響き、地が波打つ。それが見える大きな窓。そこに佇む人影。 深い森、自分と共に敵にむかった人影。 様々な場面は浮かぶのに、それは影になっていて特定出来ない。 それを無理に見よう目を凝らそうとしても、白い霞のようなものが目を覆う。 何処か遠くで大きな音がして、それが自分の倒れた音だと気付く前に、フェリオは意識を失っていた。 content/ next |