Rayearth story〈f〉


 そこで、翼の民は手渡した。
ひとつの剣を。
ひとつの鏡を。
ひとつの玉を。
 どうしても、どうしても悲しい時はお使いください。どうか、アナタの涙で牢が溢れてしまう前に。


 幼い頃に聞いた御伽噺を思い出してしまうのは、仕様が無いとジェオは溜息をついた。現実逃避をしている事にも自覚がある。
 いやいや、全く関係が無い訳じゃない、大いに関係はある。確かにあるのだ。

 けれど、どうしてこんな事になっているんだ。

 額に巻かれた機器を通して、搭乗している機体の数値を追いながら、ジェオは送られてくるもう一つの数値に注視する。
 自席の隣に据えられた操縦席に座るイーグルのバイタルデータ。
 白銀の髪に包まれた細面の顔には、満面の笑顔が浮かんでいる。薄い唇が優雅に弧を描く様子は優美そのものだが、その数値は異なっていた。
 機体限界ギリギリまで酷使され引き出された速度は通常の倍以上で、反してイーグルの数値は地を這うように低い。
 きっとザズも機関室で顔色を変え喚いているに違いない。悲鳴が聞こえてこないのは、イーグルが内部放送のチャンネルをオフにしたからだ。
 
「あーもう、お前どんだけランティスが好きなんだよ!」

 思わず零れた台詞に、イーグルの笑みが深まるのがわかる。

「なんの事ですか、ジェオ。これはれっきとした任務でしょう?」
 唇だけが紡ぐ言葉に何の意味も無い事をジェオは知っている。
「嘘つけ、国の最高司令官が血相変えて飛び出すような案件じゃあないよな。」
「いえ、いえ、国宝ですよ? 大事です。」
 しれっ、という台詞が何よりも相応しい態度に、ジェオは額の怒りマークを点灯させる。
「じゃあ、行先がセフィーロじゃなくてもお前は出撃したか!?」
 座席から乗り出し、イーグルに指先を突き出すジェオに(危ないですよ)とイーグルが嗤う。
 グンと上がった速度に、ジェオは座席に引き戻される。

「イーグル…、テメェ…!!!!」
 
 ジェオの罵倒に、イーグルは初めて声を出して笑った。
 楽し気な声に、まあ良いかと思ってしまうのが悪い癖である事もジェオは自覚している。
 ただ、数年前、彼を永遠に失ってしまっていたのだという想いは、そもそもイーグルに対して過保護気味だった自分の思考に加算されている事は否定できない。
 イーグルの病が回復の兆しを見せ、職務に復帰したのは僅か一年前の事だ。その間代行として同じ職務についていたジェオにとって、それが容易いものでは無い事を知っている。心の限界を超えれば、眠り続ける病は簡単に彼を捉えてしまうのだろう。
 無理をさせたくないと思うのだけれど、イーグルの意志はいつも固い。
 いまだとて、ランティスまっしぐらだ。

 ぞれでも、嬢ちゃんのお陰で周囲の想いを取り込む変化も僅かながら見えるんだけどな。
 (もう、誰かを悲しませるにはいやだ。愛する人を失って泣く人たちを見るのはいやだ。)
 強い願いは、時に己の周囲にある全ての想いを切り捨てて行く。残された者達に、癒えない傷痕を残していくのだ。
 ただ、自分達の事など気にせずに、思うままに生きて欲しいという願いもジェオにはある。それは、一般的に告げられる(惚れた弱味)に近しい感情なのかもしれない。

「…ったく、報われねぇな。」

 肉眼でセフィーロの星影を確認し、ジェオはつぶやいた。

 ■

「お前が『王』になるなら、俺は『王子』を廃してもいい。」
「誰も資格の無いものを『王子』とは呼ばない。」

 あの場で二人の言い合いを聞きながら、クレフは確かに引っ掛かりを感じていた。しかし、それは喉に刺さった棘のように出てはこない。

 訪れた魔法騎士達と応対した事で、より鮮明に蘇った記憶にクレフはふと息を吐いた。
 プレセアが置いてくれたカップに注がれた茶は、その半分も減ってはいないだろう。根を詰めると休憩無になさるのが心配ですからと告げられたのだから、あれは昼の日が僅かに傾いた頃だ。それが、景色は夜へと移っている。
 
「…今日もお出にならなかったか…。」

 城内の気配は直ぐに察する事は可能であったが、魔法騎士達が出向いたこの機会では、野暮というものだ。彼女が訪れた事で、事態が動くのではないかと期待もあった。
 しかし、どうやら叶わなかったようだ。

 何故という言葉は、何度かクレフの中で繰り返されている。

 そう、ランティスの言う通り、『王子』の名前だけなら、彼を選出などしない。
 セフィ−ロ崩壊後の混乱の中、長い間城から離れていたにも関わらず、王子の助力は申し分なかった。有能で頭も切れる上に、城下にくだり、大衆と共に暮らした経験を持つ彼は人心を掴む事にも長けているのだろう。
 だが、と改めてクレフは思う。それは彼の一部で、自分はどれだけ彼を知っているのだろうか…と。
 幼い頃から王子の側にはいたが、自分はエメロード姫につきっきりで、彼の事は良くは知らない。魔法を使わない王子は勿論弟子でも無い。
 今回の『王位継承』を王子がすんなりと受けていれば、こうして彼の事を深く考える事もなかったのではないだろうか。
 それ故にか、王子があれほどに『王』になる事を拒むのか、その理由がわからない。   自由がなくなるとか、重荷だなどと言う理由では無い気がして、クレフは考え込んでしまう。強く言えないのもその所為だ。
 しかし、王子が部屋に閉じこもってから随分と日数を数える。どう考えても尋常では無い。城内の者からも心配する声も上がっていた。
「…今日こそは、理由を伺わなければなるまい。」
 
 そう呟いて、クレフは愛用の杖を手に取り部屋を出た。



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