Rayearth story〈f〉


 廊下に高い靴音が響く。それをもう一つの足音が追っていた。
チゼータの民族衣装である露出の多い服に巻かれた飾り布が、カルディナ心象の様に忙しなくふわふわと揺れる。
 遥かに上背のあるラファーガが彼女に追いつけないのは、その勢いと先の口喧嘩で既に彼女に負けているからだ。
 彼女の饒舌に勝てる者は城内でも数少ないが、常に勝てない者の中にラファーガは数えられていた。所謂、惚れた弱みという動かしがたい事実のせいだ。

「拗ねているにも程があるっちゅうねん! 王子はんに意見してくるわ。」
「まあ、待てカルディナ。」

 廊下を渡れば王子の部屋の前だという場所で、何とか追いついたラファーガに片腕を捕まれ、カルディナは艶っぽい唇を突き出した。
「せやけどラファーガ、王子も喧嘩したぐらいで、なんやの!?
 折角お嬢様方が来てくれてるっちゅうのに、我侭にもほどがあるやろ!!ここは一発ガツンと言うてやらんと気いおさまらんわ!」
 案の定、勢いよく続く言葉にラファーガは眉間に皺をよせた。

 ああ、困難だ。

 一応『王子』付きの親衛隊である彼は、フェリオを守る義務もある。彼女の口達者で容赦ない会話を身を持って知っていて、止めない訳にはいかなかった。
 例え、フェリオが城内でカルディアに口喧嘩で対抗出来うる人物だとしても、それが務めというものだろう。
 真面目なラファーガには、窮地なので逃げ出そうという思考は無い。
 それに、王子が部屋に閉じこもっている事実、そして原因について、ラファーガも憂慮していた。ただ、闇雲に彼の部屋へ出向き、言葉を交わそうとしないのにも理由はある。
 それを伝えれば、少しはカルディナの不安を減らせないだろうか。

「しかし、カルディナ、本当に我侭を言われているだけなら、まず導師がお諌めになるだろう。
 礼節に厳しい導師が静観していらっしゃるのだ。きっと何かお考えがある。
 性急に物事を進めて先の二の舞になる事を案じていらっしゃるのかもしれない。時には時間が必要な事もある。」
 ラファーガの言い分は理にかなっていて、カルディナは一瞬怯むものの、感情は別。おまけにラファーガに最後の一言がカチンと来た。
 
「何言うてんの、時は金なりや!!」

 ラファーガの耳元に強烈無比の一言を投げつけ、続けて苦情を口にしようとした時背後から声がした。

「カルディナ。あんまり王子を悪く言わないであげてよ。」
「アスコット、ウミ。」
 フェリオの自室である部屋の扉を挟んで、反対側に海とアスコットの姿を認め、カルディナは名を呼ぶ。
 想い人に寄り添う時のアスコットは、いつもなら嬉しそうに頬を染めているのだが、今日は真剣な眼差しでカルディナとラファーガを見つめていた。
 近しいふたりに咎められる形になったカルディナは、ばつが悪そうに視線を反らす。それでも、素直に引き下がるには納得がいかなかったのだろう。
 今度は、アスコットに向かいツンと唇を尖らせる。
「おふたりさんも、こないなとこ来てどうしたん?」
「アスコット話をしてたんだけど、やっぱり心配だって言うから様子を見に来たの。」
 そう海が答えたところで、パタパタとまた足音が聞こえてきた。

「皆集まってどうしたんだ?」

 お下げを揺らし、今度はカルディナ達の背後から光が走り寄ってくる。
「光こそどうしたのよ、ランティスを迎えに行くって言っていなかった?
 逢えなかったの?」
 海の問い掛けに、光はふるふると首を振る。
「変ね〜。」
 生粋の天然が混じる光は気が付いていないようだけれど、ランティスが光に好意を持ち特別扱いをしている様子はあからさまで、こういう場合、背後霊のように光の後にくっついてくる。
 まるで(ふさふさと尻尾を振っていらっしゃるようですわね。)と言うのが風の感想だ。
「ランティスは中庭に行ったんだ。精獣が降りたみたいだから様子を見に行ってくるって。」
「精獣が?」
 光の言葉にラファーガが眉を顰めるが、光は再び首を横に振った。
「万が一って言っていたから、危なくはないと思う。
 だから、私もフェリオと話をしようと思って。ランティスも話をしてくれるって言ってくれたけど、気になっちゃって。
 海ちゃん達は何してるの?」
「皆もそんなとこよ。」
 海は、両手を腰に当てたポーズでそう答えた。
 ラファーガとアスコットは互いに視線を交わし、一瞬詰めた息を吐き出す。どちらも少々顔が強張って見えた事に、光と海は首を傾げる。
 
 ランティスとフェリオが顔を合わせたところで、会議の二の舞になるだけなのでは?

 二人の懸念が手を取るようにわかったカルディナも苦笑が隠せない。
「ところで、扉の前でこれだけ騒げば、普通顔ぐらい出すわよね。」
…と、まるでその声が聞こえたように扉が開く。
「王子?」
 アスコットが顔を向けたが、扉から出て来たのは、風だった。怪訝そうな表情で、廊下に立ち並ぶ人々を見ると、こう尋ねた。
「皆さんお揃いでどうかなさったんですか?」
「別にないわよ。自然に集まっちゃっただけで。」
「風ちゃんもどうしたの?フェリオは中にいる?」
 光がそう言うと、風は首を横に振った。
「いいえ、私が来たときはいらっしゃいませんでした。」
「王子はいらっしゃらないのですか?」
 ラファーガの問い掛けに、風は大きく頷いた。

「いったい何処へ行かれたのだ?」



 城内に広がる庭園をフェリオは足早に通り過ぎる。
 クスクスと笑う精霊達の声や月だけが照らす樹々の影は濃く、不慣れな者ならゆっくりと歩を進めていただろう。
 けれど、勝手知ったるセフィーロ城の庭。ひと際高く地を遮る林を抜ければ、そこは小高い丘になっている事をフェリオは知っていた。

「やっぱり!」
 
 柔らかな金色の光の下、巨大な鳥の姿をした精獣を見つけて顔を綻ばせて声を上げる。駆け寄ったフェリオに向かい、精獣は掲げていた長い首をゆっくりと落とした。
「久し振りだな…元気だったか?」
 フェリオが両手を回しても届かない程の大きな頭が何度も身体に擦り付けられる。頭の付け根の部分を撫で付けると、気持ち良さげに黒目がちの大きな瞳を半分落とした。
 閉じこもっていた部屋に羽音が聞こえたような気がして、執務以外の用事で久しぶりに部屋を抜け出した。
 きっかけが欲しかったのでもないのだろうが、外に出てみると開放された気分になった。やっぱり、部屋に閉じこもっているのは性に合わない。 ただ、今の美しいセフィーロの景色が無性に怖いと感じる気持ちに変わりがなかった。

(姉上も『柱』になる時はこんなお気持ちだったのか…。)

ふとそんな思いにもかられる。
 けれど、フェリオはふるりと首を横に振った。今の自分の弱さと国を背負うと決めた姉の決意が同じはずなどないと打ち消した。
 
 そう、弱いのだ。嫌になるほど些細な、それでいて身震いするほどの恐怖を感じて考える事を放棄しているだけだ。
 表情を落とし、俯いたフェリオの様子に精獣は再び瞼を上げる。柔らかな光を湛えて自分を見つめる大きな瞳に、フェリオは彼女の面影を想う。
 助けを求めるように、何かを掴み取ろうとするように、フェリオは精獣へゆっくりと右手を上げる。 
刹那、森に声が響いた。

「ランティス〜、ランティス〜ど〜こ〜。」

 甲高い声はランティスに纏わりついている妖精の声で、フェリオは目を瞬かせる。
徐々に近付いて来る声の主は、横の茂みから姿を見せた。
 ふらふらと、飛行するプリメーラは両手をだらりと下げ、顔にはどっぷりと疲労がこびりついていた。

「プリメーラじゃないか、お前、妖精の森に戻ってたんじゃないのか?」
「…王子、それよ!!」
 フェリオの顔を見た途端、プリメーラはぱっと顔を上げる。
「ランティスったら、森に戻ったら寂しくなってすぐに私を迎えに来てくれると思ってたのに、ちっとも来てくれないのよ!?
 だからこうして、私からランティスに会いに来たのに、ランティスったら何処にもいないの!」
「あ〜…。」

 彼女がランティスにご執心で、彼の心を手に入れる為あの手この手で熱心に働きかけているのはセフィーロ城では有名な話だが、ランティスが光に結婚を申し込んだのもまた、城内では誰もが知っている事実だ。
 光自身からは明確な返答を貰い受けてはいないだろうが、そんな些末な事で諦める魔法騎士殿である訳も無く、プリメーラの目論見は悉く泡沫と化していた。

 ふら〜りとフェリオの鼻先にプリメーラが止まる。片方の手を腰に当て、もう一方の手でビシッとフェリオを指差すと、鬼の形相で言葉を紡いだ。
「知ってるなら私に言うのよ!」
「あ…え〜と、今日は魔法騎士達が来ているから、彼女達と一緒じゃないのか?」
「なんですって〜!!!ヒカルが来てるの!?ランティスは私のものなんだからぜーったい邪魔するんだからねっっ!!」

 小さな拳を振り回しながら叫ぶ妖精に、フェリオは苦笑いをする。そうして、プリメーラは、フェリオの傍らにいる精獣の姿に改めて気が付いた。

「あれ、王子が召喚したの?」
「いや、俺は魔法は使えない。しっているだろう?」
「ふうん。」
 プリメーラはもの珍しそうに精獣の回りをくるくると飛ぶと、鬱陶しげに精獣は首を振った。
 大きな羽を四枚持つ巨大な鳥型の精獣。夜間でも自由に飛びまわれるというのは強い力を持つ証でもある。

「この子は魔法力の強い者にしか懐かないのになぁ。」

 呟いた言葉はフェリオには聞こえなかった。
「何か言ったか?プリメーラ」
「ううん。…そうよ。こんな事してられないのよっっ!早く邪魔しなきゃ!!」
 フェリオは城内に向って飛び去るプリメーラを見送ってから、精獣を振り返った。
「合いに来てくれてありがとう。でも、もうお帰った方が良い。」
 しかしまだ遊んで欲しいのか、精獣は飛び立とうとはせず、ただ羽根を一、二度羽ばたかせた。
 甘えるように喉を馴らし、フェリオの手を頭で押す。
「このままじゃ駄目だろう…。」
 困ったように笑って、させるままにしていたが小さくそう呟いた。それは、精獣に向かってというより独り言に近い。

「あ〜ランティスぅ!!」

 妖精の叫びに再び振り返ったフェリオは、剣の柄に手を掛けたまま自分を見ているランティスに気が付いた。
「やっぱり、私を選んでくれたのね〜。」
 嬉しそうにランティスに近寄ったプリメーラを手で制して、彼はフェリオの側に歩を進めた。
「…庭に降りていくのが見えた。」
「旅をしてた時に怪我をしていたのを助けた事があるんだ。さあ、帰るんだ。」
 精獣は一度大きく咆哮すると、名残惜し気に何度も振り返ってから夜空に吸い込まれていく。
 フェリオはそれを見上げ、ランティスもまた空を仰いだ。しばらく星空を眺めてから、フェリオはおもむろに口を開いた。

「この間は済まなかった。つい感情的になってしまって…。でも俺は自分では無理だと思っている。それは本当だ。」
「…『柱』は創造主が決めた。だが、『王』は皆が決めるものだ。相応しいか、そうでないかも。」   
 ランティスはそこまで言うと、背中を見せていたフェリオの左手を掴んで引寄せた。バランスを崩して倒れそうになり、フェリオは空いている手でランティスのマントを掴み、体勢を整えるとランティスを睨みつける。
「何するっ…「皆が俺を選ぶのならそれに逆らうつもりは無い。…だが、あの場にいた者はお前を除いて全て王子を選んだ。なら、王子にも逆らわせるつもりは無い。」」
「なんだよそれは、随分勝手だな。」
 低く唸るような声にもランティスは表情を変えない。
 昔からそうだとフェリオは思う。ランティスは一度決意すれば揺るぐ事など無い。もっとも、(何を考えているのか)はひどく判り難い。

 フッと息を吐き、フェリオはランティスのマントから手を放した。自分の腕を掴んだままのランティスを見上げると、再度溜息を付く。
「お前もいい加減離せ。」
 不貞腐れた声に、ランティスはやっとフェリオの腕から手を離す。フェリオは自由になった左腕を振った。
「純粋に一つのことを思い、願う心は確かに強い。
 だが、相容れる事のない願いは必ず悲劇を生む。今のセフィーロに必要なのはそんなものでは無い。
 この国に必要なのは王子だ。」
「馬鹿な事を言うな、この国に必要のない奴などいない。」
 ぎっと睨んだフェリオを、ランティスも見つめた。
再び言い争いになりそうな様子に、プリメーラは両手を震わせる。

「駄目ぇええ〜!!!」

 二人の間に飛び込み叫び声を上げる。
「究極の求愛みたいで嫌〜!!!!」

(はい?)二人の目は点になり、そして無言になった。

 緊迫した雰囲気は粉々に砕け飛び、沈黙だけが残る。そのまま、回れ右をして部屋に向う二人の背中にプリメーラは叫び続けた。

「ライバルは、ヒカルだけじゃなかったのね!!王子負けないわよ!!!」



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