Rayearth story〈f〉


 シュンと両耳を垂らした光に、風は腕を組み考え込むような仕草をつくる。
そうして、柔らかな笑みを浮かべ立ち上がった。

「私、フェリオに会ってまいりますわ。」

 言い置くと、風はクルリと踵を返し足早に城内へと戻っていく。
「風ちゃん!?」
 思わず呼びかけた光には、にこりと微笑んで返した。 
 テーブルに肘をついたまま、海は、あららと声を漏らす。そうして、僅かに眉を潜めて笑った。
「ま、フェリオの事は風がまかせるのが一番良いかもね。」
「そ…だね。」
 頷く光に元気がないのは、諍いの原因に自分が関与しているからだろう。海は勤めて声を張った。

「で、ランティスは光の出番よ!」

 ぴこんと耳を立てた光に「これからが勝負よ!」と握りこぶしを見せれば、光は(うん)と素直な言葉を返した。
 アスコットの(まだ戻ってない)の一言で肩を竦める事にはなったが、手間の掛かる男達よね。と呆れたように呟いてから海は、あれ?と頭を捻る。

「ねえ、ちょっと待ってよ。
 だったら、フェリオが王子なのは、エメロード姫の弟だからじゃないの?」
 海の驚きの声に、クレフはただ首を捻った。
「誰がそんな事を言った。
 王子は幼くして『王』の称号を得て、城に迎え入れられたにすぎない。」
 何を当たり前の、というクレフの態度が海の気に触る。
「すぎないって…普通は、そう思うのよ!
 フェリオのお父さんが王様でお母さんが女王様で、だからエメロードは姫でって、そう思うものなの!」

 それが地球の常識で、少なくともセフィーロ以外の国では常識よ!

 セフィーロの常識は、概ね地球では非常識なのだという事実すら、海の頭から抜けていた。だが、聡明な道師は可愛い弟子に間違った情報を訂正し、正しい知識を伝達しておく事を忘れない。
「姫は敬称だ。
 それならば、もうひとつ追加しておく。
 王子という称号は、他国では王の子供を呼ぶが、この国では小さき(王)を呼ぶ。
 一族と付けるのは、王候補の者達を呼ぶのだ。」
「誰もそんなセフィーロ豆知識、聞いてないわよ!!」
 おじいちゃんの知恵袋を聞きたい訳じゃないわ、と勢い込む海と、弟子に指導したのに何故怒り出すのかと、こちらも頭に血が上りかけたクレフの間で、アスコットが必死にふたりを宥めす。
 場に取り残された光も賑やかな声に仲良しだなどど、場にそぐわない感想を持ちながら、海の言葉を思い返していた。

「確か、沈黙の森でフェリオは(柱)に近しいって言ってたよね…。」

 一体それは、どういう意味だったのだろうか?

 姉が柱だという事なのか、自分が王子で柱に近づける身分だと言いたかったのか。
「…後でランティスにも聞いてみようかな…。」
 結論の出ない答えに、光はぽつりと呟いた。

 ■

 白亜の廊下を進みながら、風の視線は窓に向かう。
 青い空、城内の庭園、吹き渡る爽やかな風、いつも通りに美しいセフィーロ。

なのに、今日はいつもと違って見えた。

 フェリオが笑顔で出迎えてくれなかったという事実は心を曇らせた。それを否定はしない。
 彼の事を愛おしいと思い、だからこそ逢えないのは哀しい。

 けれど、風の危惧はそこでは無かった。

 セフィーロが崩壊の危機であった時ですら笑みを絶やさず、人々が不安がる程に(大丈夫)だと口にしてくれていた彼は、確かに強い心を持っているのだろう。
 なのに、今は部屋に閉じこもって出てこないという。
 先程クレフに聞いた話が、そこまで彼を鬱ぎ込ませる内容だったという事実が風には納得出来なかった。
 国の代表になるのは、生半可な覚悟で出来るものではないだろうし、ランティスが引き受けると思っていたことが覆され、驚き憤ったのかもしれない。
 それでも違和感が滲む。
 そもそも、部屋に閉じこもるという姿がいつもの彼からは考え難い。拗ねて自身の殻に隠れてしまう態度もを見たのも初めてだろう。
 闘いの中にあって、前線に出てはいなかった彼の言葉が自分を奮い立たせてくれたのは、彼自身も諦めたり投げ出す事をせず、立ち向かっていたからだろう。上辺だけの文字で、心が震えるはずもない。

 庭を通り過ぎ、階段を上がって廊下を進んだ先にある扉、それがフェリオの自室だった。
 高い両開きの扉を前に風は左手をそっと胸の前に置く。右手で包み込む薬指のリングが彼女の背中を押した。
 どんな理由があるにせよ、合わなければ始まらない。
 三回ノックをすると、中から応えがある。
(鍵は掛かってない)と告げる声は低く暗い。不安を掻き立てられているのか、扉を開けるギイという音がやけに響いた。
 室内は暗く、カーテンは全て閉じられているのだろう。
 微かに洩れている光で、フェリオがベッドの上に片膝をついて座っているのが見えた。マントはその横にある椅子に無造作に掛けられている。

「…フェリオ?」

 風の声でハッとフェリオが顔を上げる。

「フウ…来て…、そうか今日は…出迎えにいかずにすまない。」
 
 風はふるりと首を横に振り、フェリオを見つめた。
 彼の顔色が悪く見えるのは、部屋の中が闇になっているせいだけではないのだろう。
 自分の横にあるテーブルの上に手付かずの料理が置いてあることに風は気付いた。

「皆さん心配していらっしゃいましたよ。」
「…ああ、悪いとは思ってる。」
「せめてカーテンを開けられては…。」
 部屋の奥に進み、カーテンに手を掛けかけた風にフェリオは(待ってくれ)と声を掛けた。
「開けないでくれないか…、今セフィーロを見たくないんだ。」
 その言葉に風は不安をつのらせる。
 彼は何よりこのセフィーロの風景が好きだったはずだ。崩壊から復興に尽力をつくしている今は特に思いは強いはずなのに。

「すまんフウ…。俺は本当に情けないよな。」

 寂しそうに笑顔をつくり風を見遣る。
 風は一瞬息を呑んだ。それは思い出の中にある笑顔であり、風にも、そして光や海のとっても特別な笑みだろうと思えた。
 笑み、それは常日頃から似ていないと豪語する彼の姉『エメロード姫』の笑顔に良く似ていた。

 ■

 柔らかに降り注ぐ月光を遮る影が、ランティスを覆った。
跨がっていた黒馬に似た精獣が驚いたように屈とうし、操る手綱を引き空に留まる。
 大きく鼻の穴を開いて、フウフウと鳴らすのをいなし顔を上げれば、純白の巨大な羽根を四枚持ち、交互に上下させながら鳥の精獣が通り過ぎていくところだった。
 それは魔法騎士のひとり、王子と恋仲である少女が纏っていた魔神の伝承に描かれる姿に良く似ていた。一瞥すらくれていかない様子は、ランティスの存在など気にもしていない。其れほどの力と大きさだろう。
 邪魔にならないよう場に止まり、ゆっくりと通り過ぎる大きな影が通り過ぎていくのを見つめながら、ランティスはふと息を吐いた。憤りが沸き上がり、セフィーロの空の色と評される碧眼が曇る。

「王子の分からず屋め。」

 罵られた相手が聞けば、眼を向いて(お前の方がよっぽどだ!)と激怒しそうな台詞を呟くと、唇を引き結ぶ。癖の無い黒髪が、柔らかな夜風にふわりふわりと揺れた。
 穏やかな夜だとランティスは感じる。
 後悔などした事は無い。それでも、ヒカル達がこの地に降り立つ事も無く、己が親友を打倒した未来。ただ闇雲に柱を破壊しただろうこの国は、こんなに穏やかであっただろうかと。
 ふっと影が消え、夜を明るく照らす光に目を細める。
騎乗していた精獣の嘶く声に視線を戻せば、巨大な鳥が降下している姿に気が付いた。その目指す先が己と同じであることに、ランティスは驚きに目を瞬かせた。

「セフィーロ城に、」

 城内にしつらえられた森と呼んでも差し支えない庭へと、吸い込まれるように降りていく精獣を追う為に、ランティスは踝で黒馬に合図を与える。 
 歩幅を大きく歩き出すとぐいと手綱を緊張させ一気に襲歩させていくが、速さに勝る精獣には追い付けない。
 すうと漆黒の森へと消えていく精獣の姿を探そうと視線を走らせ、ランティスは飛行系の精獣たちが頻繁に出入りしている出入口の一つに目を止める。
 暗闇の中に浮かび上がるように輝く城のエントランスを囲む柵に少女が頬を付いて空を見上げていた。
 気付いた途端、ランティスは大きく迂回して方向を変えた。近づくほどに、そこで手を振る少女がしっかりと目に映る。
 紅い髪と大きな瞳。背中の三つ編みが手を振るたび大きく揺れる。想い人の姿にランティスの胸は躍った。
 ふわりと着地した黒馬に駆け寄る光も嬉しそうに笑っている。
 下馬したランティスは、少女と視線を合わせるように膝を折った。笑顔を浮べる少女にランティスの目が細められる。
 それが見る者が少ない柔らかな笑みであることに、ランティス自身は気付かない。
「今日は来る日だったか?」
「うん。でもランティスが夜まで帰ってこないって聞いたんだ。それで、今日は泊まる事にした。海ちゃんや風ちゃんもそうしたいって言ってくれたから。」
「そうか、すまないな。」
 ランティスが精獣を褒めるようにその背を軽く叩くと、軽く鳴いてそれは姿を消す。それを見送って、光はランティスに問い掛けた。
「何処へ行ってたの?」
「オートザムだ。」
 見知った国の名に、光はパッと顔を輝かせた。両手を胸元に引き寄せ、勢いのままランティスに顔を近付ける。
「じゃあ、イーグル達に会って来たんだね、ザズやジェオは元気だった?
勿論イーグルも。私も会いたかったなぁ。」
 小柄な光の全身から、かの国に対しての話題を期待するワクワクが感じられ、ランティスは(否)の返事をするまでの間を置いてしまったほどだった。
 セフィーロでの治療が功を奏し、イーグルは全快とは言い難いとは言え目を覚まし、オートザムへ帰還している。それまでは、いつセフィーロを訪れても逢う事が出来た相手や、その友人であるオートザムの人々と逢えなくなってしまった事を光は寂しがっていた。
「いや、会う事は出来なかった。」
「そうなんだ。」
 ふいに光が足を止め、ランティスは後ろを振り返った。
 俯いている様子に、やはり落胆させてしまったのかと何か掛ける言葉を探し始めたランティスに向かい、光は意を決したように顔を上げる。大きな緋色の瞳が真っすぐにランティスを映すと、コクリと喉を鳴らし唇を開いた。

「あのね。ランティス、私クレフに聞いたんだけど…。」

 言葉が躊躇い勝ちになってしまうのは、仕方ないと光は思う。
喧嘩が良くない事でも、ランティスがただ理由もなくそんな事をするはずが無いと光にはわかるのだ。そして、理由をふれて回るような人間では無い事もよくわかっている。
 だから、敢えて彼が理由を口にしない事を聞くのはどうなんだろうかと考えてしまうからで、自分でも歯切れが悪いと思う。
 これが海ちゃんならズバリと切り込むであろうし、風ちゃんならば上手く自分の気持ちを伝えるのだろう。
 

「『王』の事か…。」

 コクンと光は頷く。
「風ちゃんがフェリオのとこへ行ったんだけど、やっぱり変だったって。
 私ね。フェリオの事も好きだから、元気が無いのはやっぱり心配なんだ。何かしてあげられたらって思うけど、何したらいいかわからないくて。」
 他の男を好きと言われるのに多少抵抗があるものの、そこが光のやさしさである事は十分承知している。
 ランティスは、大きな手を光の頭に乗せると、さっき精獣にしたようにポンポンと叩いた。(心配するな)ランティスの瞳がそう言っているのを感じると光は頬を染めた。
 胸の奥で痛痒いような感覚が生れる。(また、お腹すいてるのかな…。でも、ランティスを見ているといつもお腹がすくなんて変だよね。)
「どうした?」
「ううん…あ、そう言えば、ランティスはフェリオの小さい頃からの知り合いだったんだね。」
「導師クレフに魔法を師事していたから、正式にエメロード姫に仕える前から王子の事も知っている。」
 ランティスは手を光の腰の辺りを示した。
「確か、これ位の大きさだった。」
 大きさを言われて大きく目を見開いてから、光はクスクスと笑う。ランティスは、少女の顔を不思議そうに眺めた。
「ランティスらしいって思って。そうか、本当に昔からフェリオの事を知ってるんだね。」
「ああ。」
 自分の腰を眺め、自宅の道場に通う子供達の可愛らしい様子を思い浮かべた光はふふっと笑った。
「きっと可愛らしかったんだろうな。見てみたいけど、セフィーロには写真が無いから無理だよね。…ランティスの小さかった頃ってどうだったの?」
「俺の小さな頃…。」
 むっつりと黙ったままのランティスに、頭に疑問符を浮べる光。しかし、彼がそうとうに困っている事に気がついた。
「私、変な事きいちゃた?」
「いや…そんな事は無い。…が、よく覚えてはいない。」
「覚えていないんだ?」
「多分、小さかった。」
 さっきと同じように光の腰を示したランティスの返事に、光は目を丸くしてクスクスと笑った。柔らかな光の笑顔にランティスも頬を緩ませる。ふいに浮かんだ想いに、ランティスは踵を帰すと城の中に歩き出した。
 光が慌てて後を追う。 
「どうしたんだ?」
「さっき精獣が庭に降下していったのを見た。一応確認しに行く。」
「私も行くよ。」
「万が一もある。武器を持たないお前には危険だ、待っていてくれ。」
歩き出そうとして、ランティスは再び脚を留めた。
「…それが終わったら、王子ともう一度話をしよう。」
「ありがとう、ランティス。」
 ランティスの手が光の頭を撫で、指先が頬を掠める。温かい…光は自分の頬にそっと手を当てた。鼓動の早さの意味するもの、光はそれを知りたいと確かに思った。



content/ next