Rayearth story〈f〉


 穏やかな日差しが降り注ぐセフィーロ城の中庭。囲むように設えられた廊下には白亜の柱が並んでいた。
 その中にあるひとつがきらりと光をはらんだと思うと、三人の少女が空間に姿を見せる。一様に瞼を落とし俯いていた顔を上げるとふふっと笑う。
 (久しぶりね、セフィーロ)
 三人は、口々にそう告げてからゆっくりと繋いでいた手を解いた。
「ま、何にせよ。城の中と入り口が繋がってて良かったわね。」
 龍咲海は右手で髪を掻き上げる仕草をしながら、ぐるりと周囲を見回す。鳳凰寺風は中庭から空を見上げて、陽光に左手を翳した。
 キラリと薬指が輝く。
「そうですわね。毎回空に放り出されても困りますものね。」
「そうなんだ? 私は今度はフューラかな? それともアスコットのお友達かもって楽しかったんだけな。」
 獅子堂光はふたりの言葉に首を傾げた。
 空中に投げ出されたのちに落下するという事実も、彼女の中ではアトラクションと化しているのだと気付き、海と風は目を丸くしてから(光らしい)という言葉でくくった。
「でも、うっかり気付いて頂けなかったら私たち全員頭に輪っかをのせる事になってしまいますので、こちらがよろしいかと思いますわ。」
「そうよね、クレフも良い歳だから。いつボケてうっかりするかわからないものね。」
 セフィーロの導師様を近所のお爺ちゃん扱いをしつつ、海は両手を持ち上げ肩を竦める。ふいに、周囲を見回していた光がふたりを呼んだ。
「ねえ、海ちゃん、風ちゃん。本当に人いないよ?」
「え?」
 顔を見合わせた海と風もそう言えばと周囲を見る。
普段ならば、誰かしら声を掛けてくる城内はしんと静まりかえっていた。  

 ■
 
「見つけたわよ、アスコット!!!」
「うわぁああ、ウ、ウミ!?」
 何故か、彼女よりも上背があるはずのアスコットが中庭を囲む城壁へ壁ドンされて膝を折った。
 状況を把握する事も出来ずに、肩を掴まれ前後に揺さぶられる。
「何処に隠れてたのよ!」
「え、あの、僕、条例の配布物を届けに外に行ってて、」
 左手に持った洋紙がひらひらと床に散るに至って、海の手はやっとアスコットを開放した。綺麗な眉毛が上がり、脅迫の表情になるのをアスコットは頬を赤らめて眺めてしまう。美人は怒ると迫力を増すというが、今の海にこれほどピッタリの表現は無いはずだ。
「あの、折角来てくれたのに、迎えに出れなくてごめん、ウミ。」
「え、? 仕事なんだから仕方無いじゃない。それより、原因はなんなのよ?」
「原因って、何の…?」
 アスコットが問い返せば、散らばった洋紙を拾っていた光があのね、と言葉を続けた。
「ビックリさせちゃってごめんね。
 今日セフィーロに来たら出迎えに誰も来なくって、たまたま通りがかった衛兵さんがいたんで風ちゃんが話を聞いてくれたんだけど、フェリオが部屋から出て来ないし、ランティスも出掛けたっきりでなかなか戻って来ないんだって?」
 最後は疑問系になり、光は小首を傾げる。
「…あ、うん。」
 コクリと頷いたアスコットに、だからね。と海が告げる。
「一体どうしてそんな事になったのか知りたいのよ。」
「衛兵の方も、それ以上詳しい事をご存じない様子で…。もしかしたら他の方に言ってはいけないように口止めされていらっしゃるのかとも思ったのですが。」

 心配で、

 と付け加えた風の顔があからさまに曇った事で、アスコットはぶんぶんと首を横に振る。
「そう言う訳じゃないんだけど…。」
 それでも躊躇いがちな声に風は膝を屈めて、視線を合わせる。
「でしたら、何があったのか教えていただけませんか?
 カーテンも閉め切って外が見えないようにして閉じこもっていらっしゃるなんて、余りにもありえませんわ。それで余計に気になって…。」
「うんそうだよね。
 この間フェリオとランティスが会議で言い争いをしたんだ。」
 まあと風は口元を押さえ、海と光は顔を見合わせる。(喧嘩なの?)と海は言い、なんでだろうと呟いたのは光だった。
「ランティスは意地悪をするような人じゃないよ。」
「フェリオも根に持って意固地になるような方ではないと思うのですが。」
「そもそもよ?
 ランティスとフェリオってそんなに仲が悪かったかしら?」
 二人の言葉を聞き、海は細い指を形の良い唇に当てて記憶を探るように、瞼を落とした。
 その場にいた人間も、明確が返事が出来ない。そうして助け船が出るなどと期待していた訳でも無かったが、答は端的にかえってきた。

「そんなことはない。」

「クレフ!?」
 声がする方向へ振り返えれば、直ぐ側までクレフが近付いていた事に驚く。
三人がセフィーロに降り立った気配に気付き、執務室から迎えに出てきた事は確かなのだろう。
そうして、成り行きを見守っていたに違いなかった。
「そんな事はないの?」
 海の復唱に頷いたクレフは、問い掛けに応じるよう話し始めた。

「今では、時々手合わせをする程度だが、セフィーロ城に来た頃の王子は、ランティスによく懐いていた。ランティスにしても気には掛けていたと思う。
 ランティスが城を訪れなくなり、王子も出奔なさった事で会う機会はほぼ無かったと思うが、もともと仲が悪いわけではない。」
 クレフは思いを巡らせ瞳を細める。そして、こう付け足した。
「オートザムから戻ったランティスを王子は非難することもなかったしな。」
 アスコットはえっと言って身を乗り出す。
「僕もそんな話知らないよ。そうだったんだ?」
「そうだ。」
「…ならなんで、喧嘩なんかしてるんだ?」
 光は風の顔を見上げる。風は小鳥のように小首を傾げると、困ったように眉を下げた。
「よくはわかりませんが、会議の内容に原因があったとしか考えられませんわね。
 クレフさん、御教え願えないでしょうか?」
「いいだろう、まんざらお前達に無関係なわけでもないからな。長い話になる、まあ座れお前達。」
 くるりと回したクレフの杖の下に、テーブルと椅子が出現する。三人は頷いて、クレフを囲んでテーブルにつき、アスコットはクレフの後ろに立った。

 ■

「このセフィーロが長い間『柱』制度を踏襲していたのは、お前達には周知の事実だ。だが、それを補佐する『王』という制度もある。」
「『王』制度ってファーレンやチゼータのように、王様の一族が国を治める…というものよね。」
 海の言葉に頷き、クレフは話を続けた。
「当然だが、『柱』が治めるこの国では他国と同じではない。
 血族で縛られる事はなく、力の弱い『柱』を補佐し人民の統制を図る者を言う。
 また、必ず起こるだろう(柱交代時の混乱)から民衆を守るのことも役割だ。
 『柱』が、創造主が見出し天地を司る者であるのなら、『王』は民衆が選び、人を束ねる者だという比喩が成り立つだろう。」
「…でも、導師。
 僕も(王族)の存在なんて王子に逢うまでは知らなかったし、見たことも話に聞いた事だってなくて…。」
 アスコットの問いに、クレフもそうだろうと頷いた。
「『王』の存在自体が表に出てこなかったのは、一重にエメロード姫の力が歴代の『柱』の中でも、最も強いものだったからだろう。
 彼女が、統治していたセフィーロはほぼ完璧で補佐の必要性もないものだった。
 しかし、それ故にあれだけの崩壊と混乱を引き起こしたのだ。」
 
 少しの間瞼を閉じ、クレフは言葉を切る。
話をせかす者がいないのは、皆が思い出す苦い記憶のせいだろう。しかし、再び話始めたクレフの声には暗さは無かった。

「『柱』制度はもう無い。」
 そう告げて、もう一度だけ言葉を止めた。
「だが、この国は存在し、この国を統治するものは必要だ。
 先の会議はその為のものだ。誰かを『統治者』として正式に選出しなければならない。
 本来ならばこの国を変えてくれた(柱である)ヒカルがその任を負うのが最も正当なのだが。」
「ええ!?」
 クレフの言葉を遮り、光が声を上げる。
 驚愕に大きな瞳がより一層見開かれ、ただでさえ幼い風貌がより子供っぽく変わっった。
「私には無理だよ。だって色々と、学校とかもあるし、…!皆に迷惑をかけちゃうよ!!」
 バタバタと両手を振りながら必死で言葉を続ける光にクレフはにっこりと笑った。わかっていると声を掛けられ、光の表情はホッとしたものに変わる。
 何で私がではなく、一国なんて責任が重いでもなく(皆が困る)と理由をつけた光に風がらしいですわと笑う。
「私は、『王子』を押した。(王)の称号とは、柱不在時に人々を纏める者。解釈としても特別に間違っているとは私は思わなかった。」
「そうね。こうして話を聞いてるとそんなに不自然なことではない感じよね。
 じゃあ、どうして喧嘩になったのかしら…あ、フェリオがそんなこと面倒だってごねたとか?」
 執務をよく抜け出すと噂に名高い人物だ。冗談まじりではあったが、海の告げた言葉にクレフが首を横に振り、大きな溜息をつく。
「王子は自分ではなく、ランティスが相応しいと思っていたようだ。」
「ランティス…?」
 思わぬ名前に光が目を瞬かせる。
「そうだ。
 ランティスは『柱』選びの時に、セフィーロで一番心強き者となっている。王子はそういう者がなるべきだと主張された。」
「でも、ランティスさんは『王子』がなるべきだと譲らなかった。
 いえ、諍いにまでなってしまったという事は、ランティスさんが聞く耳すらお持ちにならず否定なさったのでしょうか?」
 眼鏡の奥の聡明な瞳には、真実は良く見えているらしい。クレフは苦笑して話を続けた。
「以前私は(統治者)について彼の意見を聞いた事がある。
 その時もランティスは王子が相応しい言っていた。容易く心を変える男ではない。
 意見を譲るなどという芸当はそもそもランティスには出来かねる。常ならば妥協点を探す王子が心強き者でなければ、勤めを果たせないと突っぱねた事で激化したのだ。」
 同意を求めるように自分を見たクレフに、アスコットは頷いた。
「僕らが止めに入ることも出来ないくらい凄い言合いだったんだ。最後は王子が席を立ってお仕舞いになった。」
 アスコットは寂しそうに笑った。海も眉を潜める。
「こういうの困ったわよね。結局二人とも国の為を思って言ってるのよね。
 何とかならないの…、あっ、じゃあクレフが代理をするってどうかしら?ちっちゃいけど無駄に威厳もあるし!」
 両手をパンと合わせて良い案でしょう?と告げる海に、クレフはやれやれと首を振る。
「私はただの導師に過ぎない。それに、ウミ、無駄に威厳とはなんだ。」
 ぱこんと軽い音が海の額ですれば、(もう、冗談じゃないのクレフの意地悪)と海が声を張った。
あわわと海を宥めるアスコットと、(では、導師というのはどのような職種なのでしょうか?)とクレフに尋ねる風の間にいた光が眉を落とす。

「でも、いっつも笑顔で迎えてくれるふたりがいないと、やっぱり寂しいよ。」 

 しょんぼりと呟いた光の言葉が三人の少女達の総意であり、この世界に変化をもたらした少女の言葉として相応しいものだった。


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