Red[9] 抱擁


 その国の王子が、魔物によって大怪我をした事は、その城内を騒然とさせるのに、充分な出来事だった。
 国内外からのお見舞や問い合わせはひっきり無しで、城仕えの者は一時みな多忙になったが、それも過去の事。そして仕事から手を放していた療養中の王子様は、滅多にとれない休暇とっていた。…これは、そんな時期のお話。



「いつまで、そんな湿った顔してるつもりや。王子さんも大事なかったんやし、ええやないの。」
カルディナはその艶やかな唇に、溜息を乗せながらそう言った。
 彼女に目の前には、ラファーガが両手組んでを膝の上に乗せて、座っている。暗い表情は、血塗れの王子様を城へ連れ帰って来た時から変化が無い。
 自分が護衛として付いていながら王子に怪我をさせてしまった事。真面目なラファーガにはそうとうこたえていることは傍目にも明らかで、カルディナ以外はその話を話題にすらのせない。
「しかし、それはランティスの助力や、王子の機転があっただけのことで、本来は起こってよいことではない。」
「あんなぁ。ランティスなんて、王子はんの修業たりひんから、怪我が治ったら手合わせの回数増やす言うとっただけで、ちーとも気にしてへんのに…。」
「彼は彼だ。私とは違う。」
 生真面目すぎるとカルディナは思う。それが彼の良さで、自分が惚れたところではあるのだけれど。
「王子はんかて、風が見舞いに来て部屋でいちゃついとる。熱風が吹き荒れててだあれも入れへんし、結果オーライ言うんとちゃうん?。」
「…。」
 どんな自分の言葉も、今のラファーガに届かない事を悟ったカルディナは黙って側の椅子に腰を降ろした。
 猫のように、肘掛けに身体を乗せると彼を見つめる。
 無言で、まるで像のように動かない彼は、ザガートに操られていた時の彼を思わせた。感情もない人形のような男など、当時のカルディナは全く興味は無かった。
『気の毒なこっちゃ…。』それくらは思ったような気もしたが、ただそれだけだ。
 それが今では、心配で心配で仕方ない。彼女らしからぬ溜息が、再びその唇から洩れた。



 カルディナの心遣いはわかっていたが、何度も浮かぶ光景が自分を掴まえて離さなかった。

 その名を呼んでも王子は目を開けず、その身体は冷えて、顔色は青ざめていく。
自分の腕の中でぐったりしていた彼の様子は、守りきれなかったエメロード姫を思い出させるのに充分すぎるものだった。

 自分の力が及ばないばかりに、余計な心労を彼女に与え、ザガートの所行を止める事もできなかった自分の不甲斐なさは、今でも忘れる事など出来はしない。日々に忙しさに紛れていたそれが、再燃していた。

「旅に出ようかと思う…。修行が、強さが足らないのだろう…。」
 ポツリと呟いたラファーガの言葉にカルディナは形相を変えた。
「はぁ!?なんやて!?」
 カルディナの叫びが部屋を包んだ。
「何言うてんの!?正気か、ラファーガ。」
「俺は、エメロード姫をお助け出来なかった時と変わりないと今度の事で思い知った。」
 俯いたまま話続けるラファーガ。カルディナは、立ち上がって拳を握り締めた。
そして、勢いはそのまま拳でラファーガの後頭部を殴りつける。
「カルディナ…。」
後頭部に手を当てて、彼女の方を振り向くと、褐色の頬をなお紅く染めたカルディナの姿。
しかし、その瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいた。
「何言うとるん?そんなん、あんらたらしないわ!過ぎた事ばっかり見んと、目の前にいるうちを見いや!うちが惚れたラファーガは、目の前の者を見ない男やないで!
 あ〜もう!!!!外出て頭冷やしてきいや!!!」
カルディナはそう言うと、ラファーガのマントを引っ掴むと、部屋から叩き出した。
 部屋を叩き出され、所作なく廊下を歩いていると庭園に出た。
 そして、そこから、花が咲き乱れる庭園に仲むつまじく歩く王子と風の姿が見えた。
 綺麗な花に興味を惹かれたのか風が腰を降ろすと、王子が膝を曲げて覗き込む。見つめ合う二人の顔からは微笑みが途切れる事は無かった。

 いつか、遠い過去にこんな光景を見た。…とラファーガは思う。
微笑むエメロード姫と、それを見つめる神官ザガート。
幸せそうに見えたあの二人に待っていた結末をこの城のものは知っている。それは、紛れもなく悲劇だった。
 終わってしまったのだから、もう悲劇としての事実は変わりようがない。しかし、今、目の前にある光景は、これから守っていけるものなのではないのだろうか。

『過ぎた事ばっかり見んと、目の前にいるうちを見いや!』

 自分を怒鳴ったカルディナの言葉が鮮明に浮かぶ。顔を紅潮させ、自分の事を本気で心配してくれる愛しい女。それを放り出して、一体なんの修業をしようと言うのか。

 踵を返して、部屋へ向かう。仏頂面で自分を迎えたカルディナの細い身体を抱き締めた。
 守るという思いは人それぞれにあるのだろうが、自分は目の前にある愛しい者達を守りたいと願う。この女の幸せを。主君である王子の幸せを。

「お前の言う通り、今守らなければならないものを守るのが私の役目だったのだ。」
「それやそれ!あんたがうちの惚れた男やで!」
 カルディナはラファーガの首ねっこにかじりつくと、その金髪に手を差入れ愛おしそうにかき抱いた。そして勢いのまま、唇を塞いだ。

 あまりにも視野の狭い主観であったとしても、遠い未来の為に、前にあるものを見捨てることなど出来はしないのだ。
この腕に抱くものを守りたいと願う。それが自分自身の嘘の無い思い。



〜fin



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