Red[8] 首飾


「それ、なあに?」
 ザガートがランティスに手渡した首飾りを見て、王子がそう問い掛けた。
「これは、私達の母上が、私達兄弟を守ってくれるようにと託したもの。ランティスに譲ろうと思って持ってきたのですよ。」
ふうん。そう言ったものの、彼は興味はなさそうに少し離れたところにある椅子までパタパタと走っていく。
「お元気だな。」
 ザガートの言葉にも、無愛想きわまりない弟の表情は変わらない。部屋の整理をしていた時、ふいにこの事を思い立ち、弟を捜した。そして、庭園で幼い王子と遊んでいのを見つけたのだ。
「…。」
 ランティスはもちろん礼を言うわけでも、かといって不機嫌になるわけでもなく手渡された首飾を見つめている。
「お前に持っていて欲しいとは思うが、守りたいと思った人が出来た時には、譲り渡してもかまわないと思う。」
 ザガートの言葉に、ランティスはますます額に皺を寄せて、訝しげに兄を見つめた。
「母上が俺達兄弟にくれたものだ。誰が持っていても変わりないと思うが?」
 兄の急な申し出に戸惑っている、そう見えた。
 何か意味があるのかと、瞳が問うているのがわかる。
ザガートは苦笑しながら首を横に振った。理由などないというように。
「…どうしてだろうな。上のものは下の兄弟に何かを託そうとしてしまう。」

 その視線の先には王子の耳で踊っている二つのリング。
 二人の視線を浴びて、少しだけ不思議そうな顔で振り向いた。

「申し訳ありません。なんでもないのですよ。」
 ザガート柔らかく微笑んで、その碧の髪を撫でてやる。
「ザガートはまだ、ランティスと話があるの?」
まだまだ弟と遊んで欲しそうな彼に苦笑する。
彼を見つけた時、ランティスは元気な王子様に少々うんざり…な表情になっていたのだから…。
「いいえ、もうお仕舞いです。お話は終わりました。」
「じゃあ!遊んでいいの?」
「………いいや、昼寝だ。」
王子の喜びを後目に、そう言うとンティスは歩き出す。しかし王子が子犬のようにまとわりついた。
「え〜!もっと遊ぼうよ!」
 ランティスは自分の足元を走り暴れる小さな身体につまずきそうになり、不機嫌そうに眉を歪める。犬か猫の仔を持ち上げるように、ひょいと肩の上に乗せた。
「鬱陶しい。俺は寝る。」
 そう宣言され、王子は頬を膨らませたが仕方なさそうにに大人しくなった。

 ザガートはやれやれと笑みを浮かべる。彼が何処に向かうのかは分かっている。
城の中で一番陽の当たる場所。弟はいつもそこで眠っていた。

 もっとも、このセフィーロで快適でない場所などない。可愛らしい少女の姿をした強い心の持ち主が、全てを慈しみ包んでいるのだから。
 その少女に仕える事の出来る喜びは確かに感じてはいた。

しかし、胸に沸き上がるものを否定する事は出来ない。

 母親から譲り受けた首飾を弟に譲ったのは、漠然とした何かから弟を守りたいと思ったからに他ならない。
自分の願いを託す…その行為はまるで遺言のようだとふいに思う。ならば、エメロード姫も…?

『そんなこと…。』

ふるっとザガートは首を横に振った。

『考えすぎだ。』

 他人に相談などと言う気の効いた事をまるでしないで、師匠である導師の言葉も彼を留める事など出来ないと感じる弟の所行が、少々心配なだけなのだ。
ランティスの心が強いという事とそれは無関係で、母が見守ってくれていると思えば、少しは気が収まるというものだ。



 気付くと弟と王子の姿は見えなくなっていた。
「ザガート。」
 そして、鈴のような少女の声がした。
 何処か寂しそうだと感じる愛らしい笑顔の少女は、辺りを見回しながら彼の方に近付いてくる。
「どうなさいました?エメロード姫。」
 エメロードはほっそりとした指を頬に当てて、小首を傾げる。
「朝からフェリオの姿が見えないのです。世話人も姿を見ていないと言うので、少々心配になってしまって…。」
 それを聞くと、ザガートはクスリと笑った。
「王子はランティスとずっと一緒だったようですね。先程までこちらにいらっしゃいましたよ。」
「まぁ、ランティスと…。」
 正直驚いたというようにエメロードの瞳は大きく見開かれる。
「フェリオがランティスと一緒だなんて思ってもみませんでしたわ。」
 そう言うと、ふわりとまるで光が溢れるように微笑んだ。
 ザガートは思わず目を奪われ、そして禁忌に触れたように彼女からゆっくりと目を反らした。低い自分の声が重く感じる。
「……私もです。弟が王子に変な事を教えなければよいのですが…。」
フフと、普段とは違い年相応に感じる軽快な笑い声を上げてからエメロードはザガートを見つめた。
「そんな事あるはずがありませんわ。ランティスは貴方の弟ですもの。」
 彼女の信頼が胸を擽り、そして言いようのない憔悴感が胸に広がる。エメロードはいつもの穏やかな笑顔に戻り、ザガートを誘った。
「では、私達はお茶でも飲みませんか?」
「はい。」
 ザガートは、敬意を表するように軽く一礼すると彼女の後を追った。ランティスが首飾をどうするのか、少々気にはなったが、それは姫との会話の中で忘却していく。
弟に託した事はザガートの中で奇妙な安堵感を生んでいた。

 つれそうように歩く『柱』と『神官』の光景はいつもとかわるものではなく、それは永遠に続くかのようだった。
そして、ザガートが首飾の行方を知る事もまた、永遠にない。



〜fin



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