Red[5] 紅玉 「フェリオは童夢に行かれたのですか?」 「ああ…そうらしい。」 導師クレフは、術師の伝言をまま伝えた。 「らしい?ですか?」 不思議そうに首を傾げた風にクレフが困ったように笑った。代わりに壁際に立っていたランティスが答える。 「会議室で対談のはずだったんだが、気が付いたらいなくなっていた。ファーレンの方々もいない。」 クスクスと風が笑う。 「思い立ったら…ですわね。一言おっしゃってお出になれば宜しいのに。」 「まあ、いい。ファーレンの方々とご一緒ならば問題はないだろうしな。」 しかし、そう言ったクレフに、海は抗議の声を上げた。 「大ありよ!今日は、折角ケーキを焼いてきたのに!」 「ひょっとしてこれ!?」 大きな瞳を更に丸くして光が言う。彼女の指は、テーブルの上に置いてある大きなバスケットを差していた。 「勿論よ。皆で食べるつもりだったから、頑張って焼いてきたのに。」 頬をぷっくりと膨らませる海を後目に、光は開けてもいいと聞いてからそのバスケットの蓋を大きく開いた。 直径40センチはありそうな。巨大なケーキ。生クリームとフルーツでこれでもかとデコレートしてある。 「一番食べてくれる人がいないなら、もう少し小さ目でも良かったかしら。」 海は大きなタメ息をついた。光と風も顔を見合わせて苦笑いをする。ランティスはあからさまに嫌な顔を見せた。 実際、海のお菓子を一番好んで食べるのは、フェリオで、ランティスやラファーガなどは一口食べて逃げ出してしまう。クレフやアスコットも比較的食べる方だか、二人前をぺロリと平らげるフェリオには足元にも及ばない。 「では、私が届けてきますわ。海さんのケーキが食べられないのは残念でしょうから。」 「そう?悪いわね、風。残ってももったいないし。」 海はそういいながら、ケーキを半分に切ってバスケットに入れはじめた。 「それは、多すぎではないでしょうか?」 「大丈夫。大丈夫。フェリオなら食べるわよ。」 生クリームがたっぷりのったケーキを前にして、流石の風も苦笑いをしてしまう。 「誰かに送らせよう。」 バスケットを持って立ち上がった風にクレフが声を掛ける。 「ランティスはどうだ?」 彼は指名されて無言で頷いた。風は、彼と光に目をやってから首を横に振る。 「光さんとお話しがあるでしょうから、悪いですわ。」 「私はイーグルにも話しがあるから、調度いいよ。ランティス、風ちゃんをヨロシクネ。」 「わかった。」 少し複雑な顔をしてからだったが、ランティスは扉に向かって歩き始めた。風は皆に一礼すると後を追った。 廊下を歩いていると甘い匂いのするバスケットが気になるらしく、ランティスが横目でちらちらと見る。 風がクスリと笑うとボソリと呟いた。 「王子は、昔から甘いものが好きだった。」 「そうですの?」 無口な剣士から、世間話が出てくると思わず風は吃驚した表情でランティスを見つめた。 「…持っていけば喜ぶだろう。」 「はい。」 そこで会話は途切れ、二人は城にエントランスに出た。精獣を呼び出して、少女を背に乗せようと手を伸ばすと、「光さんは、皆さんが大好きなのですね。」と風が微笑んだ。察しの良い少女はランティスの気持ちがわかったのだろう。 「お前は王子が好きなのだろう?」 その問いに頬を染めて風は頷いた。少女の左手には、王子がしているものと同じリングが輝いている。 「そういえば、もう少しお話しを聞かせていただけませんか?」 少女の話にランティスは首を傾げる。「何の話だ?」 「フェリオの子供の頃のお話しですわ。」 「…あれは、お子様だった頃から変わらない。」 「好きな方のお話は幾らでもお伺いしたいと思うのはおかしいでしょうか?」 少女の願いにランティスも微笑を浮べた。「いいや、お前の言うとおりだな。」 「でね…。」 ずっと話を続けていた光に、イーグルの声が重なる。 『何かあったんですか?』 そう言われて、光は言葉をとぎらせた。小さく手を握りこみ口元に当てて俯く。そうやっていると、緋色の瞳に睫毛で深い影が出来て、彼女を急に大人びてみせた。 「何もない…と思う。」 『思う?ですか。』 クスリと笑うような語尾でイーグルの言葉が途切れた。 「ランティスと風ちゃんが出掛けた。」 『それは、珍しいですね。』 「フェリオが童夢に行ってて、風ちゃんがケーキを…さっき話した海ちゃんが作ったものだけど…を届けに行ったんだ。」 『そうですか。ランティスにしては、気の効いた事をしたんですね。』 「うん。ランティスって本当に優しいんだ。なのに、私ちょっとだけ変なの。」 光は、頬杖をついてイーグルの寝顔を見つめた。 「優しいランティスを見たのに、心が嬉しくならなかったの。こんなの変…だよね。今行ったばっかりなのに、ランティスに早く帰って来て欲しいなんて思ってもいる。絶対変だよね。イーグルもそう思うよね?」 きっと彼が目を覚ましていれば、彼女の頭を撫でながら話しをしたのだろう。そう思わせるほどに、イーグルの声は優しく穏やかだった。 『いいえ、いつでも貴方の心は強く願う事を知っています。自分が今したいと思う事をおやりなさい。僕が言ってあげられるのはこれだけですけどね。』 降り立ったエントランスに佇む少女の頬も姿も、全て夕焼けに照らされている。燃えるような夕日は、可愛らしいだけではない彼女の内面を現しているようだった。 「お帰りなさい。ランティス。」 夕日を映した緋色の瞳が、柔らかな光を宿す。 「ヒカル。」 名前を呼ぶと、いつものような全開の笑顔ではなく微笑んで返す。彼女は、こんな表情をみせる女性だっただろうか? ランティスは、微かに目を見開いた。 その場に立ったまま、動かないランティスに、少しだけ不思議そうな表情を見せてから自分の方に歩き出した。 先程会っていた彼女は今いる彼女と少しだけ違って見える。 何故と思うのと同時に、ふいに自分がこの少女の全てを知りたいと感じている事にも気が付いた。 過去のヒカルも 今のヒカルも 未来のヒカルも。 全て自分の中に留めていたいという思い。 何故と問うてみても、答えの出るものではない。 強いて言うのなら、魔法騎士の言っていた言葉なのだろう。 『好きな方のお話は幾らでもお伺いしたい』 小さな変化のひとつひとつが全て彼女なのだから、知りたいのだ。案外それは(独占欲)という代物なのかもしれないが…。 ただひとつ言えるのは、ヒカルがどんなに成長していっても、その紅玉に宿る強い輝きが変わることがないだろうと感じられる事だけだ。 「行こう。ランティス」 ヒカルはそう言うと、自分よりもはるかに大きな手に自分の手を重ねた。彼女の手が少し冷たい。高いところにあるエントランスは、風が吹き抜けていくせいもあり冷える。 ランティスは光がずっと自分を待っていてくれた事を感じた。 「待たせて、悪かった。」 「絶対に帰って来てくれる人を待ってるのは大好きだ。それに…。」 そう言うと、俯いた。 「こうやって、手を繋ぐとランティスの手が温かいの、よく分かるから。」 頬は赤く染まっているのだろうか?視覚全部が夕日に染まって、判別できない。ランティスは、小さな少女の肩を抱き寄せると、纏にかこう。光は少しだけ恥ずかしそうに、けれど纏を両手でギュッと掴んで、胸元で合わせた。 「温かいか?」 「うん。」 素直に頷き、ランティスを見上げた光の瞳に魅せられたように二人のシルエットはゆっくりと重なった。 〜fin
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