ACT.8魔法騎士


 廊下の先にキョロリと周囲に首を回して、ウミは人影を探した。
月が窓越しに落とした長い影が続く廊下には、巡回の兵士はいない。それを見遣り、ウミは胸を撫で下ろす。
 勝手に出歩いている事は知れれば、どうなるのだろうか。
 足音を忍ばせて部屋へと進みながら、ウミは思う。様々な想像が頭を巡ったけれども、愉快な未来はウミの中に浮かぶことは無かった。
 魔法騎士として集められたと言っても、何の力もないだたの子供なのだ。不要となれば、その処遇は決まったようなもの。
 
「ウミ。」

 考え事などしてしまったせいなのか、背後の気配に全く気付くことが出来ず、ウミはビクリと肩を震わせた。
 恐る恐る振り返った碧眼に、小柄な人物の姿が映る。大きく開いた窓の元にいるせいなのか、薄紫の髪が柔らかな光を帯びていた。手にした杖に奉じられたオーブも深い印影を見せてる。
 今は殆ど人の目に触れる事がないと言われる妖精達は、もしかしたらこんな姿なのではないのか、ウミはそんな事を思う。
 佇まいがとても綺麗で、何処か浮き離れして見える。彼が(導師)であることを、ウミは初めて感じ取ったような気がした。

「ウミ。」

 しかし、ぼんやりと見つめ返すウミの様子に怪訝そうに名を呼ぶ。思考を降り払いウミは慌てて彼の名で答えた。
「クレフ…。」
「こんな夜更け、何処へ行っていた。」
「そ、それは…。」
 言いよどむウミを見遣り、クレフは息を吐いた。
「言いたくないのなら、無理に聞くつもりはないが?」
 呆れ返った口調に、ウミは頬を赤らめた。
「別に、散歩よ、散歩。だって寝付けなかったんだもの。」
 悪い?
 腕組みをして、わざとそっぽを向けば溜息が聞こえてくる。
「悪い訳ではない。だが、無闇に歩き回る事はお前の身を危うくするのではないかと案じているだけだ。」
「もう充分に危うい気がしているわよ。」
 
 自分は役に立ちそうもない魔法騎士だ。
 お飾りでも充分という考え方もあったが、ザガートという、征服者である王に寛容さがあるとは思えない。足元が崩れ落ちてしまうような恐怖は、常に自分を取り巻いていて、だからこそ、強がらずにはいられないのだ。

「わかっている。」

 告げられたクレフの言葉は穏やかで、だからこそウミの心には波紋が広がっていく。

「なに、が、何がわかっているの、私の何がわかるっていうのよ!」

 言葉は水のようだ。
一度堰を切ってしまうと、留める事など出来はしない。荒れ狂う水の流れは、配慮もなく相手にぶつかっていく。
 そう、同じ境遇の、フウやヒカルには決して告げられない想い。
同じ恐怖を抱え、大丈夫だと笑うヒカルや、平静を装うフウに、これ以上負担など掛けられる訳がない。
 大切な友達に、この理不尽な怒りなどぶつけられようはずがないのだ。

「何もわからないわよ!私がどんなに怖くて、どんなに嫌で
 …貴方なんかに…!!!」

 抑えていて、抑えようと努力していた言葉や感情が、一息に膨れ上がって弾ける。

「クレフなんて嫌い、ザガートなんて、この城の人間なんて、みんな大嫌いよ…!!!」

 頬が熱くなっているのに気付いたのは、続かない言葉に整わない呼吸をした時だった。最後には、本当に訳のわからない言葉を叫んでいた。
 自分でもわからないうちに流れる涙も、ただ悔しい。本当に自分は無力で、ちっぽけで、つまらない存在なのではないかと思えた。
 幼い子供みたいに、ただ憤りを吐き出す事しか出来はしないのかと。
 正面に立つクレフは、ただウミを見つめる。
 こんな大声を出しても、兵士のひとりも飛んでくることは無く。叫ぶのを止めた後は、沈黙が残った。
 夜の帳だけが持つ、密やかな静寂。
 
「わかってる。」

 クレフは静かに、しかし確かな響きを持った声で同じ言葉を繰り返した。ウミも反論の言葉は無く、見つめ返した。
 ウミに返される表情が歪んだ。
「それでも、お前は(魔法騎士)に選ばれたのだ。そのことから逃れる術など、ありはしないだろう?
 私はお前達が愛おしい。誰にも幸せになって欲しいと願っている。だからこそ、お前を死なせるような事をしたくはないのだ。」

 クレフがゆっくりと翳していた杖を降ろし、それによって静寂が消えた事をウミは気付いた。
 兵士の足音、ざわめく声。密やかではあるが、確かに音が戻って来ていた。

「結界…?」
「此処で(ザガート大嫌い)は不味い。」
 困った表情で、クレフは笑う。思わず、ウミは頬を染めた。
「あ、あれは、もう言わないわよ。」
「助かる。」
 今度は微笑んだクレフは、部屋へウミを送り扉を閉める前に、(何処へ行っていたのだ)ともう一度問い掛ける。
「森の奥にある建物、よ。」
 観念したウミは溜息と共に返した言葉に、クレフはやはりと呟く。
「誰に導かれるでもなく(魔法騎士)と逢うか…それもまた運命なのかもしれんな。」
「何のこと?」
 ウミの質問には答えず、クレフは柔らかな表情を引き締めた。

「明日は、エテルナの泉に行ってみよう。ヒカルやフウにもそう伝えておいてくれ。」


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