ACT.1 伝説の始動


 伝説なんてありきたりの話など、ウミは信じてはいなかった。
人々の願望が生み出した物語に興味など無かったし、それを願いたいと思った事はない。
 欲しい事、やりたい事。それは全て自分の手で努力して初めて手に入るものだ。
運命とか定めなんて言葉も、諦めた人間がつかうものみたいで好ましいと思えないのだ。
 だから、これはきっと運命でも伝説でもないのだと、そうウミは呟いた。

 ◆ ◆ ◆

「あいったぁ===!」
 ゴインという鈍い音が響き、ウミは頭を抱えて座り込んだ。
澄んだ濃蒼色の瞳には涙の粒が浮かび、その一撃にどれほどの威力があったかをまざまざと見せつける。
 彼は導師なのだから、ただの権杖ではないだろうけれども、その先端に抱かれた宝玉といい、見事な細工といい、相当な重さを保持しているのが推察出来た。

「痛ったいじゃないの!酷いわ!」
 
 ウミの抗議に、クレフは冷ややかな視線を送る。
「お前の物覚えが悪いからだ。」
 斜めに落ちる薄紫の瞳は、どうにもザガート王を思わせてウミの気持ちを掻き乱すのだ。だから、魔法を修得する為の集中力が欠ける。
 こんなに物覚えが悪いはずも、反抗的な態度も普段ならば絶対に表になど出さないのに、とウミは呻った。
「ウミちゃん…。」
 離れて様子を見守っていたヒカルが、心配そうに表情を歪める。
 彼女は両手で拳を握りしめて、ずっと此方を見つめている。
 三つ編みにした赤毛が左右二本背中に垂れていて、まるで少女の姿そのものみたいにポンポンとよく弾む。大きな紅瞳が酷く子供っぽいのに、魔法騎士に選ばれた三人の中で一番年上なのが不思議だ。
 物怖じしない人懐っこい彼女の性格のお陰で、見ず知らずの三人だったはずが、とても仲良くなっていた。その彼女が本気で心配してる様子で眉を歪めている。
 ウミは片手では、頭をさすりながら大丈夫だと手を振ってみせた。
そうして立ち上がると、ウミの白い上着がひらりと風に舞う。

 魔法騎士の修業は嫌いだけれど、この衣装は可愛いとウミは思う。

 スッポリと被れば、膝上になる白い服は手でクシャッと皺を寄せたような布で出来ている。太陽を反射してキラキラ光る素材。袖の長さも七分で、その下につけている革製の防具が掌まで素肌を覆っている。其処には魔法道具であるオーブが髪と同じ、蒼を抱いて輝いていた。
 服の上から革製のシュルコ・トゥベールを重ねて、下地の白色を見せつつ、腰にベルトを巻きつけている。膝丈のブーツも白色だったけれど、素肌を晒さないのは、用向きが戦闘服なのだからだろうか。
 全体的に見れば、都で流行っていると貿易商である両親から聞いた服装だれども、セフィーロでは殆ど見かけないもの。
 身体の線がはっきりと出てしまう服は、田舎娘には荷が重い。
 城に呼ばれ、着替えろと手渡された時に、フウは顔を真っ赤にして硬直してしまった位だ。
 大人しい雰囲気の少女だったから、そんな闊達な服など見たこともなかったのだろう。(恥ずかしいですわ)を連発しながら着ていたのを記憶している。
 三人は殆ど同じ様子の服だったが、唯一掌のオーブが抱く色だけが違っていた。
ヒカルは緋色、フウは翠。
 導師クレフが寄越したものだから、強力な魔法器具らしく、それぞれに合ったものを使用するべきだとの配慮らしい。そこに、どんな意味があるのかウミにはわからなかった。
 もう一度、鉄拳制裁が来る前に、ウミは立ち上がりもう一度神経を集中する。心に浮かぶはずの、魔法を追った。

 なのに、渦巻くのは取り留めのない思考。

 いきなり城に連れて来られて、「魔法騎士」になれと告げられたって、納得出来るものでは無かった。戦争が終結したと胸を撫で下ろしていた両親は、突然の出来事に混乱していた。
 彼等はどうしているのだろう。どれ程に自分の事を心配しているのではないだろうか。
 だいたい、エメロード姫に選ばれたと言われたのだけれど、それだって怪しいものだ。自分は彼女にお会いした記憶がないし、集められたのは自分と同じ年頃の女の子。
 ヒカルの家は牧場だと言っていたし、フウは城仕えではあるが両親は下っ端の司書だと言っていた。有能な剣士だの立派な魔導師だのとご立派な方々は親戚にひとりだっていない、先祖にいたのかすら誰も知らなかった。
 きっと、ザガート王の配下が勝手に選んだ意味のないものに違いない。未だ、反乱の意志は色濃く残っていると聞いた。それを抑え、支配する為の道具に過ぎない。
 そんなものに、成りたいとも成れるとも思わない。
願いは家に帰る事。両親に自分の無事な様子を見せて安心させること。他には何も望んでいない…!

「そこまでだ!」

 ぴしゃりとクレフの声が響く。
ハッと我に還ったウミに、クレフの視線が刺ささった。真っ直ぐ自分を見つめる瞳に、居たたまれなさを感じて顔を逸らした。
 間近で聞いたように、溜息が耳につく。
「お前が望まぬ以上、教える事などなにもない。」
 トンと杖で軽く地を叩く音につられ、ウミは顔を戻す。しかし、クレフはそれよりも前に視線を外し、修練の場として設えられた場からセフィーロ城を見上げていた。
 此処からは、城の中で最も高い棟を臨める。
 視線の定まらぬクレフの瞳が、悲しげなものに思えて、ウミは思わず声を張った。
「何よ、どうせアナタだって、私に教えるのなんて嫌なんでしょ!」
 瞬時に戻ってきた瞳は、再びきつい光を持ってウミへと返される。怯むのが嫌で、後先考えずに、言葉を発した。
「違うなら、言ってみなさいよ!」
 半ば、ヤケを起こしていると自覚出来たが留められない。握りしめていた手が震えているのがわかる。そんな、怯えた小動物のような自分も嫌。認めたくない弱さを目の前の男が知ってしまうことも嫌だった。
「…魔法など使った事もなく。魔法道具を貸し与えて見れば、簡単な制御も出来ず何処へ飛んでいったかすらわからなくなる…。」
 ウミだけではなく、見守っていたヒカルとフウも顔を曇らせているだろう。
魔法の欠片を掴めないのは私なのに、やはりこの男は私達が嫌いなのだ。
 そう詰め寄ってやろうと身構えたウミは、クレフの言葉に目を丸くした。

「だがそんなことで、教える事が(嫌)だとは思った事はない。
 それに、どんな理由があったとしてもお前達が弟子である以上嫌う事もない。つまらない事を考えるな。」

 ハァと息を吐き、もう一度杖を地に付いた。
「今日の修業は此処までとする。
…ウミ。お前は何故此処で魔法騎士としての試練を受けなければならないのか、今一度考えてみると良い。」
 勢いにまかせたウミの言葉とは違い、クレフの声はあくまでも穏やかで静かなもの。先程、思慮のない己と比べてウミは小さく(はい)と返す。
 おや、と言った表情で、クレフが微かに笑みを浮かべる。柔らかな表情には、引き込まれるような深さがあった。
 ザガートと同じ色の瞳が、今だけは気にならなかった。
 立ち去る導師を待っていたかのように、城仕えの侍女が三人を呼びに、場に姿を見せる。
深くお辞儀をして、ウミ達を招いた。
「食事の用意が出来ております。どうぞ、こちらへ。」
 そつのない身のこなしは、城の暮らしに不慣れな少女達にとって有無を言わせなかった。



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