※三人娘がセフィーロの住人設定・クレ海


碧の瞳


 白い纏を忌々しく翻し、ランティスは中庭に続く階段を降りる。
 豊かな水を湛えた噴水を中心とした庭は、しかし先までの内乱で荒れていた。多様の美しい花を咲かせていた場所は抉られた茶色い土を見せていたし、そこにある柱や壁は焼け焦げた跡を残している。元々の素材が白色の石材なのでそれは痛々しく目立つ。ただ、常緑の葉を茂らせた木々だけが枝葉を広げ、かろうじて庭園としての体裁を保っていた。
 足を留め、周囲を見つめるランティスの碧眼が細められる。
 ただ、場に留まる彼の姿を目にした者は全て、胸に手を当て一礼を置いた。そんな事ですら酷く鬱陶しいとランティスは思う。
 今着ている神官用の正装がその鬱陶しさに拍車を掛ける。己を取り巻く全てがランティスの心を苛立たせていた。

間違っている。

 それが正直な気持だ。全ての事柄が間違っているとしか思えない。
 階段を下まで降り、柱と同じ素材で敷きつめられた庭園に歩を進める。行き止まりは噴水をしつらえた豊かな水量を湛えた泉。戦乱期に止められた噴水は未だ水を吐きだそうとはしてないかった。
 風もない今は、表面は穏やかで太陽の光を反射した水鏡となっていた。
 そこに映る我が姿が、余りにも滑稽だ。黒く短い髪は、衣装に似つかわしくなかったし、そもそも、こんな衣装では剣を携える事も出来はしない。
 腰に信頼の物がない状態など、剣士として最低だ。いや、最悪だと言っても良い。
無表情な自分の顔が苛立ちに強張る。じっと見つめていれば、自分の名が呼ばれた。
 この城で、今敬称もなく我が名を呼ぶ人物はひとりしかいない。
重厚な黒衣を纏い威圧的な鎧を着たザガートの姿に、ランティスは眉を顰めた。
 
「兄上…。」

 しかし、弟の不機嫌な様子を気にすることもなく、ザガートは笑う。

「良く似合っているな。」
 ハッとランティスは息を吐いた。
「…兄上の方が似合っていた。俺は鎧を纏う方が性にあっている。」
「相変わらずだな、お前は。」
 クスリと笑う兄の表情は、まるで変わっていないようにも見える。セフィーロと同盟関係にあった祖国に戻る度、兄はそうして自分を歓迎してくれた。
 敬愛する兄のはずだった。聡明で温厚な国王。国は豊で、彼は国民の幸せを願う良い王だったはずだ。
 ジッと自分を見つめている兄に気付き、ランティスは何だと聞いた。
「お前の瞳は、私と違いセフィーロに相応しい碧だな。」
 一瞬酷く寂しそうに見えた兄の顔は、それでも笑みを形作る。セフィーロに歓迎などされてはいない。その事を誰よりも知っているのは兄だろうにと、ランティスは思う。
 その原因も含め、兄は変わってしまった。

「兄上、貴方が(魔法騎士)を持つつもりだと従者が言っていた。」
 クスリとサガートは笑う。
「その通りだ。本国から導師クレフを呼び寄せた。私の(魔法騎士)を持つ日が待ち遠しい。」
 心に秘め事をしたまま笑う兄をランティスは見つめる。ああ、そうだな。思い出した様に、ザガートは嗤う。
「魔法騎士達の剣の指導はお前にまかせよう、ランティス。
魔法と剣で主を守るのが(魔法騎士)の役目だ。剣については失念していた。」
 思い切りよく顔を歪めた弟を見て、ザガートは声を上げて嗤った。周囲を警護する兵士達が何事かとこちらを見つめている。
「兄上…。」
 低く呻るようなランティスの呼び掛けを、しかしザガートは取り合おうとはしなかった。
「お前もいい気晴らしになるだろう。」
 そう告げて、ザガートは側にいた兵士に、導師クレフと(魔法騎士)の候補者を呼ぶよう告げる。
 似つかわしくない溜息がランティスの口から漏れた。
 人質同然でセフィーロに送られた自分に、エメロード姫を筆頭に、城の人間は皆優しかった。
 都での暮らしに辟易していたランティスにとって、此処セフィーロは第二の故郷と呼ぶに相応しい場所だったのだ。それは戦乱にまみえた時にも変わる事などなかった。
 なのに。
 どうしてこんな事になったのかと、ランティスは兄が揶揄した空を仰ぎ見る。雲ひとつない空が大きく広がっていた。
 娶るはずだったエメロード姫を失い、兄は豹変した。
同盟ではなく属国として扱い始めた此処で、自分の立場も変わった。国王を兄として持つ人物として、権力争いの真っ直中に放り込まれたと言っても過言ではない。
 そんな状況は、本国で十分に味わい、それ故にランティスにとって煩わしいだけの出来事だ。そんな事で右から左に尻尾を振る人間に興味もなければ、知りたいとも思わない。剣を磨き、強くなる事。
 それが今でもランティスにとって一番大切な事だった。

 そして、従者に先導されこちらへ赴く者達を見て、顔を大きく歪ませた。
難しい表情の導師は置いても、後はどうみても年端もいかない少女達だ。彼等を(魔法剣士)にするなどと、ただのおもちゃとして扱っていようにすら思えた。
 ランティスの心情を察しているのか、口端を上げるザガートに、再び大きく息を吐いた。
「兄上、俺はこんな事に向いているとは思わない。」
 弟の言葉を受けとめ、ザガートはまた嗤う。
「気晴らしだと言っただろう。
 元より…私だとてそう期待している訳でなないのでな。
 こんな田舎暮らしは退屈だ。戯れのひとつやふたつ、作っておかねば直ぐに飽きてしまう。」

 戯れ…まさにおもちゃのようだ。

 ランティスの心情は、彼の表情を険しいものにする。
それは、少女達を怯えさせるのには十分だった様子で、初対面の挨拶する滞る。ランティスもにこやかに微笑んで会話を交わす気分ではなかったし、元々そんな性格でもない。
 ただ、占領国の王に仕えようとする彼女達の真意を知りたいとランティスは思った。
「お前達は、どうしてこんな事をする?兄に仕える事の意味をわかっているのか?」
 黙り込む少女達を見かねて、導師が声を掛けようとした刹那に、赤毛の少女がランティスの前に歩み出る。
 胸元でギュッと両手を握り締め、見つめた。
「…貴方が私達の事を悪く思っているのはわかってる。私達…ううん。私は魔法も剣も上手じゃないし、どうして(魔法騎士)選ばれたのかわからないんだ。」
 ひとつ、ひとつの言葉を噛みしめるように、少女は言葉を続けた。
震える指先が、必死な顔色が彼女の真剣さを伝えてくる。
「でも、選ばれた以上やりたいんだ。
 (魔法騎士)になれるかどうかわからない。でも、そうすれば無駄な諍いがなくなるって、長老様に言われた。私頑張るから…。」
 よろしくお願いしますと深く頭を下げる。後のふたりも言葉はなかったが、同じ様に頭を垂れる。それを見遣り、口を開く。
「俺に頭を下げる必要はない。求めているのなら、剣術は教える。」
 ハッと顔を上げた少女を見据えて、ランティスはただ眉を顰めた。

「…お前のせいではないのだ。」

 ランティスは自分を見つめる緋石にそれだけをそれだけを伝えた。
そして、(魔法騎士)について思う。
 かつてセフィーロを救った英雄のように…けれど、その事が少女達を幸福にするとは、ランティスには考えられなかった。




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