この距離越えて そう考えている予定に限って、邪魔が入るような気がするのは俺だけだろうか…。 どうにも納得のいかない出来事の連続に、ついつい愚痴を零しながら、フェリオは執務用の机に座って作業を続ける。フェリオの仕事用にと宛って貰った部屋の三分の一を占領している重厚な造りの机は、盛大に広げられた資料と書類に覆われている。 ちなみに、残りの三分の一は資料棚、後は内側に向けて開ける扉が引っ掛からないスペースがあるだけだ。ノックをせずにいきなり扉を開けた場合、フェリオが座る椅子との距離は僅かに指の長さ程度だろうか。仰け反っていれば、確実に後頭部を強打する隙間しかない。 元々実働部隊であるフェリオだが、自室で資料作成をするには仕事量と資料が増えすぎた。何とかならないかとクレフに相談したところ、資料庫の一部を部屋として譲り受けたという寸法だ。 こう言えばわかるように、フェリオが書類の作成をするという仕事自体が希有な事。なのに、今日に限って、明朝までに仕上げなければならないと半日前に告げられた。もっと早くにわかっていれば早目に取りかかったものをと、文句を言いただしても仕方ない。 レイアースに向かう旨は随分と前から伝えてあったから、それを宣告しに来たクレフも誠に申し訳ないという表情だったのだ。誰を恨みようもなくて、一刻も早く終わるようにペンを走らせる。 しかし、急ぐ余りに気が散漫になる。元々、注意深いとは言えない性格だ。紙のささくれに引っ掛かったペンからぼたりとインクが垂れてしまい、書きかけの文章は、インクの海に沈んで行った。 「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」 声にならない悲鳴を唇で噛んで、頭を抱えて机に突っ伏す。ひんやりとした机の板が、興奮して熱を上げている頬に心地良かった。思わず瞼を閉じて、再び開いた瞳にカードが映る。真っ白で艶々した紙は、可愛らしい花のイラストに彩られていた。其処に書かれた字は海のもの。 The birthday association is done on December 12. Participate absolutely. (12月12日は誕生日会。絶対参加するように!) お祝いをされる人間の名前など欠片も書かれていないのが海らしい。それは、フェリオが彼女の誕生日を知らないはずがないと知っているからだろうし、事実、海に教えて貰ったのだ。但し、レイアースの女性がプレゼントとして好むのは何なのだろうと聞いた時の答えは、目を剥くような代物ではあったのだけれど。 柔らかな風の笑みを思い浮かべ、切れそうになった緊張の糸を慌てて引き戻すと、身体も起こす。 終わらなければ逢いに行けないのだ。なんとしてでも、けりをつける必要があるのだと、再度言い聞かせて作業を再開した。 怖ず怖ずと、窓の外に姿を見せたフェリオに、風はクスリと微笑んだ。 彼女の部屋は常に訪れている状態と変わりなく、つまりは誕生会とやらはもうとっくの昔にお開きになっているのだとフェリオに教えてくれた。 余りの慌てっぷりに、フェリオはセフィーロでの衣裳のままだった。長い纏を夜風に揺らしながら、重力を無視した状態で風と視線を合わせた。 翠の瞳が優しく細められると、フェリオは躊躇いがちに口を開く。彼女は怒ってはいない。 そんな事は最初からわかっている。彼女は、こんな事で怒ったりする女性ではない。 「遅刻…だな。」 コクリと頷く風に、フェリオは申し訳なさげに後頭部を掻く。 「すまない。」 「急なお仕事だったのでしょう?」 「そうだけど、それは言い訳、だからな。」 窓の桟に両手を置いて見上げている風に、フェリオは両手を差し出した。 「歩いて、みないか?」 「空気が澄んでおりますから、星が綺麗なのでしょうね。」 クスクスっと風が笑う。そして、防寒着を着て参りますわと声を掛けて、真っ白なコートを羽織って、片手にブーツを持って出てくる。 「前にそのまま出てしまって、大層困りましたから。」 「ずっと横抱きしているのも、ナカナカ嬉しいものなんだがなぁ。」 風の差し出した手を取り緩く魔法をかけて浮遊させながら、靴を履く彼女を覗き込む。もう…と頬を赤らめる風は本当に可愛らしくて、もう少しからかってみたいとフェリオは思う。 「そんな事を仰るのなら参りませんから」 けれど、あくまでも主導権は風のもの。そんな言葉を口にされてしまえば、フェリオは再び頭を掻くしかない。 「お願い致します。」 そう風が声を掛けて、もう片方の手をフェリオに差し出す。きゅっと軽く握りしめ、フェリオは風の身体を引いた。 階段でも登るように、何も無いはずの空間を踏みしめて風は歩き始める。最初は、両手で、そして馴れてくれば互いの身体を挟んだ手のみ繋いだ。 「まるで、星の中を歩いているようですわ。」 足元に輝く街の灯りに、満天の星空に、風はホゥと感嘆の吐息をのせる。これが誕生日プレゼントだとしても、今の風には充分すぎる贈り物だ。 息を飲むような美しい景色は、いつも胸に迫る切なさを感じる。涙が自然と零れ落ちてしまいそうで目尻が熱くなるのが常だ。けれども、しっかりと握られた指先が胸を圧するような想いをも包み込む。 「フェリ…。」 お礼を言うつもりで呼ぶはずだった人物の名は風の唇から落ちなかった。 肩を抱き寄せられて、顔を上げれば、ゆっくりと彼の唇が落ちてくる。少しだけ固い、男のそれが風のものと重なる。 軽く触れあい、離れたかと思えば深く触れあう。一桁であろう外気温の為か、互いの体温だけで溶けてしまいそうに熱く感じた。 「どうして、俺はこんなにお前の事が好きなんだろう。」 ギュッと抱き締められて、耳元を掠める吐息はそんな言葉を伴っていて(私も)と告げられずに、けれどフェリオの腰に廻した指先に力を込めた。 火照る顔は、真っ赤になっているのだと風に感じさせ、フェリオの胸元に頬を埋めて隠した。普段以上に高鳴る心臓は、相手も同じで。安堵感とほほえましさと、甘い感情が風の胸を満たしていく。 このまま溶けて、ひとつになってしまいたいと願う心を見つけ、戸惑いに風は眉を潜めた。そんな大胆な事を欲する自分なんて、身体の何処に潜んでいたんだろうか。 「フウ、来年の誕生日は上手くやるから。その…愛想をつかしてくれるなよ?」 不可思議な問い掛けに、顔を上げた風は小首を傾げた。どうも、遅刻してきた事ではない気がして、何がですか?と問い掛ける。 「こちらでの特別な日の過ごし方は、高そうなレストランで食事をしてから、高級ホテルのスイートルームに部屋をとって一晩過ごすものだって…。」 そこまで聞けば理由は推し量れた。手を離す事が可能だったのなら、腕組みをしながら頬に指を当てつつ溜息を出したい心境だ。 「…あながち間違ってはおりませんけれど、困りましたわ。本当に海さんたら…。」 クスリと笑い、風はフェリオを見上げた。 予想はしていたのだろう、フェリオも苦笑いをしている。優しげに細められた琥珀の瞳は、それでも多少の熱情を残していた。 月明かりに濡れているように思えるのはそのせい。きっと、自分の瞳も同じ様にフェリオを見つめ、同じように潤む光を返しているに違いない。 それはとても気恥ずかしく、そしてとても嬉しい事だ。 想う方が側にいてくれて、そして確かに自分を想ってくれている。こんなにも熱い瞳で、自分が欲しいと告げてくれる。 「プレゼントも用意出来なかったから、俺の全てをフウにやる…ってのは、虫の良い話だろうか?」 私も。 今度はしっかりと言葉になった答えに、フェリオの頬が染まった。ふわりと風を巻く金の糸がフェリオの頬を撫で、握りしめた指先を絡める。 ふたりの間にある、様々な距離を、越えて。 I wish you many happy returns of the day. | Many happy returns! 〜fin
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