※続きになります。



1 同時に響く二つ以上の音が、協和融合しない状態にある和音。
2 不調和な関係のたとえ。

 国語の勉強で引いた辞書には、確かそう記されていた。
 風は改めて思い出した言葉に、ふふと笑みを浮かべた。
 フェリオに告げた言葉に、その(意味)を持たなかったとは言わない。でも、風が企んでいたのは、別。
 きっと、彼にはわからないだろう。
 
「風ちゃん、ありがとう。」
 分厚い書籍を手にした光は、風に満面の笑みを浮かべた。そうして、両手で天に捧げる如くに持ち上げると、祈るように目蓋を落とす。
「図書にも無いし、廃版だって言われたのに風ちゃん凄いね。」
「そこまで仰られると恐縮しますわ。父の所蔵で見かけた事があったので…。ですが、光さんはそんなに園芸にご興味が?」
 光が読みたがっていた本は古く彼女の学部とは関係性も薄い。
「あのね、少しでもセフィーロの役に立ちたいんだ。」
 風の問いに光はサラリと本の表紙をなぞる。化学肥料や農薬の無かった時代の作農について書かれた本。
「セフィーロは精霊達に守られた国だけど、人は人として努力していかなげればならないのはわかるんだ。
 無理をしてるんじゃないかって思うとじっとしていられなくて。私も出来る限り協力していきたいんだ。何が必要なのか色々調べてみようと思って。」
「光さんらしい、素敵なお考えですね。」
「皆のお陰だよ。この本だって風ちゃんが探してくれたんだもの。」
  そうして、光は笑みを崩す。

「あのね、海ちゃんから伝言なんだけど…。」

 光は音を立てないよう慎重に本を机に降ろすと、眉尻を大きく下げた。
「『フェリオが来ても簡単に許しちゃ駄目よ』って…。」
「まぁ、海さんたら。」
 風は口元を指先で隠して喉で笑う。反対に、光は空想のケモ耳が萎れてくるような表情へと変わる。
「私はフェリオが浮気なんてしないと思ってるよ?」
「フェリオは光さんからの人望がおありなんですね、お伝えしておきますわ。」
「風ちゃ〜ん。」
 両手を胸元で握りしめると光は懇願するように風の名を呼ぶ。その事に、風は吹き出しそうになった。
「教えて頂いた事、余計な事だなんて思っておりませんし、フェリオは少し迂闊でしたわね。」

 フェリオが女性と手を繋いでいた理由はわからない。
 けれど、その姿を見掛けた学生達が噂を広げた。二股、浮気、はたまた、定期的に恋人を入れ替えているなど好き放題に騒ぎ立て、噂を耳にした海が激昂したのも無理はない。
 けれどもフェリオに直接話を付けると意気込んだ海を止めたのは風だ。
風だとて心を痛めなかった訳でなく、新しい恋人だと噂された人物も酷く気にもなった。直ぐ問い掛ける事も出来ない距離がもどかしく苦しい。
 なのに、その距離と時間が風を冷静にしてくれた。意趣返しと言うには、少しだけ悪戯めいた事を思い付く程には。
 
「風ちゃん、怒ってないんだ。」
 光は風が座っている傍らに置かれたケーキ箱を見つけて目を丸くする。素朴な味わいが売りの洋菓子屋は、親友の大切な人が好きなケーキ屋だ。
「約束して出てまいりましたので、」
 ふふっと微笑んだ風に、光はあと上げた声を掌で塞いだ。


 
 扉を開けると、うつ伏せになり眠っているフェリオの姿を見つけ、枕元に散らばっている本に、風はまぁと声を上げた。
 読みかけの頁を開いてベッドに伏せると本が傷むからやめて欲しいと言っているのに直らない。
 (まったく)と零して、風は本に手を伸ばす。けれども、すうすうと規則正しい寝息に誘われて頬に触れた。
 無造作に落ちた髪は柔らかく風の手を撫でる。ん、と鼻にかかる声はするけれど目蓋は上がらない。無意識に頬を擦り寄せてくる仕草に胸がトクと鳴る。とんとんと高鳴ってくる心臓の音は、喜びを奏でる音楽のようだ。

不協和音が、不穏を運ぶ序章のように。

「フ、ウ…?」
 半身を起こし、ベッドに仰向けになってからギュと眉尻を寄せ目蓋が引き上げられる。幼子に似たあどけなさのある寝顔から、精悍で印象的な瞳が風を見つめた。
「はい、戻りました。」
「ん、そうか。」
 もう一度、ギュッと閉じた目蓋の上を掌でゴシゴシと擦った。まま、手を風に伸ばすと、巻き毛の先に指先を絡める。
「おかえり。」
 通った鼻筋が幾分長めの睫毛に囲まれた琥珀が、ぼんやりとした視界に隠れていった。触れ逢った唇をそっと離し、表情によって酷く冷酷に見える薄い唇は緩やかな弧を描いて微笑む。
「良い子にしてたぞ、お土産は?」
「お好きなケーキは買い求めてまいりましたわ。」
「う〜ん、フウは?」
「昨夜お好きになさったのでは?」
 悪戯めいた風の返しに、フェリオはムっとした表情を隠さない。
「反論の言葉は無いんだが、あれじゃ(自慰)と一緒だからな。独りよがりだった事は反省するさ。」

 なぁ
 
「…手を繋いだ訳を知りたいか?」
 フェリオの問いに、風はふるりと首を横に振った。
「必要、ありませんわ。」
 
 迂闊だった事も、本を雑に扱うのも、フェリオの欠点なのかもしれない。直して欲しいと願うのも本心だ。光の言っていた、セフィーロ復興に対してもフェリオは無茶をするのだろう。それは、きっと、風の全てを潰してしまう想いを味合わせるに違いない。
 けれど、風は知っている。それは風がすることでフェリオには関係ない。ただ、心を燃やし、愛するだけだ。

 風は髪を弄ぶフェリオの指先を己の指に絡め、そのままベッドに押し付ける。

「手を繋いでいるのは私ですもの。」

 もう片方の腕もフェリオの肩越しに降ろして、腕の中に囲い込む。元々寝転んではいたものの、押し倒された体勢になった事に、フェリオは目を瞬かせる。
 それを見下ろし、風はとびっきりの笑顔を浮かべた。
「今日の私は苛烈ですのよ。覚悟は宜しくて?」
「望むところなんだが、ケーキも気になるんだよな、レイアースでしか食べられない。」

  フェリオの返事に、風はまぁと声を上げた。
「今度は私が待たされる順番ですのね。」
 そう告げて風が嘆くの喉を鳴らし、フェリオが笑った。


〜fin



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