All You Need Is Love.[rayearth OVA]


 肩を掴んでいる指先が温かい。
自分の良く知っているものだ、と風は微睡む思考が告げた。
 このまま躯が感じている甘美な睡魔に、もう一度身を委ねたい欲求に風は慌てて否を唱える。
 そうして、瞼を引き起こした。
 眼を開くと周囲は暗い。けれどオレンジ色の光が自分の周りにだけあり、仄かな灯りとなって後は闇に消えていた。
 床に座り込む体勢だが、上半身は床から起こされ支えられていた。

「目が覚めたか?」

 耳元で囁かれ、風は顔を上げる。眇めた瞳。口元が微笑みを象っている。
「フェリオ…!!」
 思わず声を上げ、相手の首へ両腕を回して飛び込んだ。背中を抱き締めてくれる腕が、胸を熱くする。
 しゃくり上げながら、何度も名を呼ぶ。風の頬にすり寄る顔が愛おしい。
「私、わたし…。」
 続ける言葉が、意味を成さない。それでも、想いを伝えたくて、喉を震わせた。

「すまない、こんな事に巻き込んでしまって…。」

 苦渋に満ちた声が風の耳に届き、抱きついていた身体を離せば、灯りの中で歪んだフェリオの表情が見える。
 片膝をつき自分を抱き締めていた。
「お前を、…こんな…。」
「おっしゃらないで下さい。私は、後悔しておりません。」
 クレフやエメロード姫の話から察するに、此処はフェリオと契約を結びたがっている精獣の住まう空間という事だろう。
 周囲の様子は漆黒の闇。まるで伺い知る事はできないけれど、低い獣の息遣いと生温かな体温が感じられた。
 それ以上の情報を知りたいと首を回し、風は思わず息を飲む。

「え、これは…?」

 二人を包む柔らかな光りは、地面に突き刺さった剣から放たれていた。それは、風がウインダムより授かった剣の姿だった。
 何もない空間に、泉の如く光りが湧き流れていく。

「これが無ければ、とっくの昔に俺の魔力は尽きていたよ。
 この空間に引き込まれた後、お前の身体から突然に現れたんだ。」
「ウインダムから頂いた剣ですわ。光さんや海さんもそれぞれの魔神から託されました。
 私達を守っていてくださったのですね。」

「…だが…。」
 くと表情を険しくするフェリオの額に汗が浮かび、息を荒くする。
「フェリオ!?」
 両手で頬を包む風に、微かに笑みを浮かべるものの苦痛の表情に変わりはない。
 彷徨うフェリオの両腕が再び抱き締める。縋り付く腕を抱いて、風はフェリオの名を幾度となく呼んだ。

「…すまない…。」
 再び告げられる謝罪の言葉に風は瞼を落とす。 
 どうしてあげることも出来はしないけれど、側にいて抱き締めて差し上げられる。ただそれだけが、風の全てだった。

 ◆ ◆ ◆ 

「ごめんね、光。こんな時に。」
 艶やかな海の髪が、ベッドの上に散っている。それは、なかなかに綺麗な光景ではあったけれど、彼女の顔色は酷く悪く、唇は青白い。なのに、頬だけは妙に赤みを帯びていた。吐き出す息は熱かった。
 ふるりと横に首を振って、光は眉を顰める。
「ううん、そんな事ないよ。でも海ちゃんは大丈夫?熱高いの?」
 瀕死の病人を見舞っているかのような光に、海はクスリと微笑えむ。いつも、他人を案じる友人は、別の意味で心配だと常に感じていた。
 もっと自分の事を考えても良いのに。
 だからこそ、光をひとりになんて出来ないなんて思うのだけれど。

「平気。色々あってやっぱり疲れちゃたのかなって思ってるわ。ね、クレフ。」
 海は首を曲げて、光と反対側に立つクレフに声を掛けた。彼はベッドの横においた水差しから、湯気の上がる液体を注いでいる。柔らかな香りが部屋へ広がっていた。
 少しだけ困った表情で、クレフは光に笑い掛ける。
 彼の着ているのは寝着だろうから、一晩中海に付き添ってくれていただろう。
 クレフはいつも穏やかだけれど、海ちゃんと一緒の彼は特別に優しい表情になるとフェリオが告げていたのを思い出した。

 皆で笑っていた時間は、そんな遠い昔ではなかったはずなのに…その事実が光の心をギュッと締め付けた。

「ああ、私がついていたのにウミに無理をさせてしまったようだ。」
 サラリと流された言葉に、そんなことないよ。と言いかけ、光は首を傾げた。
 海が布団の中に半分顔を埋めて、先程よりもずっと赤い頬をしている。自信満々に輝く瞳が揺れているのは気のせいだろうか?
「海ちゃんさっきより顔赤いけど、どうしたの?」
「え、ううん、何でもないの、そう、なんでもないのよ。」
 慌てぶりが明らかに何でもなくない。
 けれど、少しばかり天然の混じっている光は、海が慌てる原因を思い浮かべる事さえ出来なかった。
「なんでも、ないの?」
 もう一度、何でもなく見えない友人に問い掛けてみる。また少し、海の顔が赤くなった。
「なんでもない、もうクレフの意地悪。」
 可愛らしい怒りの声に、クレフはやはり困った表情で微笑んだ。
「やはり、私が悪いようだ。」
「そうなんだ?」
 光は小首を傾げる。大きな?マークが光の頭上で回転しているのが見えて、海はクスリと笑う。そうして話し掛けようとした海は、キュッと唇を真一文字に結んだ光の様子に眉を顰めた。
「どうしたの、光?」
「私、クレフにもお願いがあるんだ。」
 ぎゅうとスカートを握りしめ、顔を上げる。真っ直ぐにクレフの姿を映すと口を開いた。
「もっとこの国の事が知りたいの、だから色々な人達と話しがしたいんだ。だから、お願いクレフ…「私の一存で許可は出来ない。」」
 ふるりと首を横に振るクレフに、光は顔を顰めた。
「え?どういうこと、クレフ、光?」
 ふたりの遣り取りが言葉に発した部分のみでは構成されていないことに気付いて、海はそう問い掛ける。
 光は困った表情を崩さず、それでも海には笑顔を見せようと頑張ったので結果定には顔が強張るだけになった。
「…あのね、私ね。風ちゃんやフェリオを取り戻す方法を探したいんだ。だから、この国を知りたい。それで、城にいる色々な人と話がしたいし、城だけじゃなくて外に暮らしている人達とも話したいんだ。」
 それって…。
 思わず声を発して海は身体を起こす。しかし、体調の不調は彼女の動きを制限する。ふらりと前に倒れ込んだ海を光の腕が慌てて支えた。
 表情を険しくした海に、クレフとふたりになってからお願いするべきだったかと後悔した。焦る気持ちは、どうにも勇み足で心からドンドン飛び出してしまいそうだと光は思う。
「それって、牢屋にいる人達って事?」
 コクンと頷く光の腕を海がギュッと握り込んだ。
「あの人達はフェリオや風を殺そうとした人達なのよ?」
「わかってる。」
「わかってないわ。それに外に出るって、この国は私達の世界ではお伽噺みたいなモンスターがウロウロしてるって、光も聞いたでしょう?」
「うん。」
 もう一度、光はコクリと頷く。信じられないと告げるように海は大きく左右に頭を振った。
「わかってる。でもね、私、何でもしたいの。それに本当は聞きたいの。どうしてフェリオにあんな事をしようとしたのか、その理由が…。」
「理由があればいいの…!?」
 海の叫びに、光ははっと息を飲んだ。
「理由があれば、誰かを犠牲にしていいの!?私そんなのごめんだわ!
自分達のことは自分ですればいいじゃないの。」
 荒い息を紡ぎ、それでも海は話すのをやめようとはしなかった。
「そんな人達も、そんな国も私は大嫌いだわ!フェリオだって、そんな国さっさと見捨てて東京で風と暮らせば良かったのよ!」
「海ちゃん…。」
「…ウミ。」
 クレフは彼女の顔を覗き込むようにして、額に唇を落とした。そして、優しく肩を抱き、ベッドへ横になるように即す。
「ごめんなさい、私…。」
 不用意な事を言ってしまったのだと光は、謝罪の言葉すら口ごもる。風の気持ちを考えれば海の言う事は尤もであるし、その風すら消えてしまった。
 理由などと甘いことを、自分は確かに言っているのかもしれない。それでも、何も知らずに彼等を助けられるとは思えなかったし、自分の一方的な考えで何かが解決出来るようには光には思えなかった。
 そして、光には必ず問い糾したい事があった。
 (フェリオを尊敬している。)
 そう言ってくれた兵士が、どうして彼を殺そうとしたのかその理由も聞きたかったのだ。
「…ごめん、興奮しちゃったね。」
 海はベッドに横になるとペロリと舌を出した。「私もどうかしてるわね、本当に具合悪いんだわ。思考グチャグチャ。」
「うん、変な話してごめんなさい。」
 しょっぼりと頭を垂らした光に、海は違うわよと告げる。
「ああもう、光らしいわよね。だから、放っておけないの。」
 クスクスと笑う海の意図が分からず、キョトンと首を傾げる光からクレフへと視線を変える。そして、彼の袖を引いた。
「光を助けてあげて、本当は私が行きたいけど駄目でしょ?」
 そうだな。と苦笑するクレフの顔は光へと向けられた。
「お前を手助けする者達を姫にお願いしておこう。だから、ひとりで動くのだけが止めてくれないか。」


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