All You Need Is Love.[rayearth OVA]


 部屋へ運ばれてきた料理は、光にとって馴染みのあるものではなかった。
 外見は洋食なのだが、材料の特定がよくわからない。馬鈴薯に似た食材が、セロリの味だった等の違いはざらなのだ。
 フォークを伸ばす手に少々の緊張感が漂うのは仕方ないよねと言い聞かせる。
 それでも、湯気がたっている温かな食事は美味しそうだったし、香辛料の効いた香りは食欲を擽った。
 『頂きます!』
 と元気に声を上げて、スプーンとフォークをとったものの、行動は途切れ途切れで、ふっとした瞬間に物思いに耽ってしまう。
 スプーンの先からこぼれ落ちたスープが小さな音を立てて跳ねる。

「あっ、…。」

 我に還り、光は強張った表情で食事が置かれたテーブルを見つめた。
本当は空腹感は遠かった。お腹はきっとすいているのだとわかるけれど、食事をするという行為も、今の光には億劫に思える。
 おかしい、という自覚はある。
でも、おかしくならないはずが無いだろうという自覚もあった。
 親友は消え、海は倒れたのだとクレフから聞いた。
 彼女の体調は心配ではあったが、眠っているのでそっとしておいてくれないかと、クレフに頼まれ、直接彼女には会っていなかった。
 まるで、あの時のようだ。
 光はきゅっと唇を噛みしめる。中学の別れ、そこで自分の全てが終わってしまう気までしていた親友達との『離別』を再び強く感じた。
 不安がじわりと心を占領していくのがわかる。不安だけが心に浮かんで、だから全てが潰れそうに感じる。こんなに弱かったのだろうか。
 
 何を考えても、行動しようと試みても、全く心が動かない。

 どうしたことだろうと、光自身も戸惑う。
こんなの自分じゃない。諦めるという態度をとるまでもなく、自分自身が全てを諦めてしまっている。
 こんなの嫌なのに、どうしていいのかわからない。

「どうして…。」

 ポツンと呟き胸元に指先を引き込むと、鳩尾の辺りが痛む。
ワフン…。
 か細い声が、机の下から聞こえた。
 其処に腕を折って座っていたヒカリは立ち上がると、光の身体に鼻先を擦りつける。漆黒の瞳が、色はまるで違うのに、ランティスが自分を見つめてたように光を捕らえる。
「心配してくれてるの?」
 そうだ、と。
 言葉にして伝えてはくれなかった彼と同じく、ヒカリは伸ばした光の掌を一度だけ舐めると、顔を見上げた。
「大丈夫だよ。色々あって、まだ気持ちがキチンとしていないだけなんだ。」
 微笑んでみてもヒカリの眼差しは変わらない。そうして、廊下へと続く扉の前に寄り、何度か扉を開ける欲しいと仕草をした。
「外、出たいの?」
 ヒカリの行動に、光は一瞬戸惑った。
 フェリオの件を発端として、城内は厳戒態勢が敷かれている。客人として扱われている光達も部屋から出歩くのは控えて欲しいと兵士に告げられていた。
 少しだけ迷い、けれど光は立ち上がってドアノブに手を掛けた。
「外は危ないかもしれないの、いい?」
 戸惑いも含めて問いかけた光を見つめてから、ヒカリは扉を前足で何度も引っ掻いた。
 彼はどうしても外へ、光を連れ出したいらしい。
 犬は元々賢い生き物だ。その上、ヒカリは精獣、自分が思っている以上に頭が良いのかもしれない。ヒカリの行動を信じてみよう。
 光はそう考えを纏めて、ヒカリに頷いて見せる。
開いた扉をスルリと抜けて歩き出したヒカリの後を、光も早足で追い掛けた。

 巡回している筈の兵士に擦れ違う事もなく、ヒカリは廊下を歩く。時々振り返って、光が付いてきているか確認してまた先を急いだ。
 蝋燭に似た照明が照らす廊下は、東京に比べると薄暗い。
けれど、その反面。素通しの窓から見える星空は息を飲む程に綺麗なものだった。
 輝きに濃淡があるのだと、光は初めて知った気がする。
 プラネタリウムで世界屈指の星空というのを見たことがあるが、それが現実に目の前にあった。美しい輝きを漆黒が抱いている様子は、どこか胸を熱くするモノを秘めているようだった。
 今にも降り注ぐのではないかと感じる空の迫力に押されているのかもしれない。

「ワフン…!」

 ヒカリの鳴き声を追い、扉を潜った光の頭上は煌めきで溢れていた。
バルコニーに佇む彼女を取り囲むように、星が輝く。
 綺麗…。
 思わず呟いてしまった光の声を聞きとがめ、振り返る人影。
 建物から外へと大きく迫り出したバルコニー。手摺に両手を添えて夜風に髪を揺らす青年に、光は息を飲んだ。 

「イーグル…。」

 細い銀糸が風に舞う様子は酷く綺麗に見えて、光は言葉を失う。
黙ったまま見つめる光に対し、イーグルは苦笑した様子で手摺から躯を起こす。光に向き合うように体勢を変えた。
「ヒカル、ですか。」
 白銀の瞳を細め、微笑む。
「どうしたんですか? こんなところに。」
「…ヒカリが、」
 言い淀む光に小首を傾げ、彼女に足元で両足を折っている精獣に気が付いた。愛想よく尾を振るなどという事をしない獣に、イーグルはクスリと笑う。
「彼が貴女を此処に?」
「うん。綺麗な星空だから、見せてくれようとしたんだと思う。」
「彼が?」
 イーグルが見せた驚きの表情。
 東京で会った彼は無表情で冷たさしか宿してはいなかった。死を司るとランティスが告げていたらしいが、暖かみなど欠片もなく、圧倒的な力は、圧倒的な悲しみでしかなかった。

 違うのだ。
 
 光は改めて、イーグルを見つめた。
 何故だかヒカリとにらめっこをしているイーグルは酷く近しい存在に思えた。けれども、自分の感覚をどう受けとめていいのかわからず、光はただ彼を見た。
 イーグルは漸くヒカリから光に視線を戻すとしきりに首を捻っている。
「…確かにそうみたいですね…。」
 そう告げる、ヒカルと呼び掛ける。
「セフィーロと東京の空とは、まるで違っていませんか?」
「そうだね。でも、いまにも星が落ちきそうで、ちょっと怖いかな。」
 頭上に輝く星があまりにも圧倒的すぎて、綺麗すぎて、自分が酷くちっぽけに見えるせいなのかもしれない。身震いするほど美しいというもの揶揄ではない。
 実際自分は震えている。
 恐怖ではない。人智を越えたモノはいつも圧倒的すぎて、自分独りでは受けとめきれない、そんな気がした。
 ふいに、肩にふわりと白い纏が巻かれ、光は彼を見上げる。
「震えているように見えたので、寒いですか?」
 きょとんと見つめる光に、イーグルは困った表情で眉を下げた。
 反応が無い、のだ。嫌がられるなら仕方ないと思っていた行為だったが、光は喜びも嫌がりもしない。

「ヒカル?」

 名を呼ばれ、光はあっと声を上げた。取り繕う様な、照れた笑顔を浮かべて纏を翻してみせる。
「嫌ならそう言って下さい。」
「ううん、ごめんなさい。そうじゃないんだ。あのね、…。」
 光は口籠り、ほんのりと頬を染める。
 そして、白い纏の先が床に落ちているのに気付き持ち上げようとして、万歳をしているような格好になった。それでも、身長の低い光では全く状況は変わらない。
「あの、汚れちゃうから…。」
 イーグルに戻そうと肩から外したところで、イーグルに止められた。
「気にしなくていいんですよ。
 そうじゃない…って、どうしてですか?」
 再び問いかけられ、光はもう一度頬を赤くする。
「ランティスもね、あの時私に纏を掛けてくれたんだ。それを思い出したから。
 凄く、寂しそうな目をしてて、でもゆっくりと話しなんてしてられなくて。でも、もっと早く色んな事わかりたかったなぁって思ったの。」
 そして、微笑む。
「ありがとう、イーグル。」
 ふんわりとした笑みを送られ、イーグルは瞠目したまま光を見つめる。

 彼女達と、その世界に自分は酷い仕打ちをした。その思いが、イーグルに居心地の悪さを感じさせる。
 なのに、光は真っ直ぐに自分を見つめ、微笑む。
 
「フェリオのところで私を庇ってくれたことも、ベッドから落ちそうになった時に助けてくれた事も、キチンとお礼が言いたかった。
 私ね、遅くなった、なんて後悔はもうしたくないんだ。だから、お礼を言うね。
 あ、これもありがとう。私、部屋へ戻らなくちゃ。食事の途中で抜け出してきちゃったんだ。」
 光は纏を畳んで、イーグルに差し出した。まま、受け取ったイーグルに光はもう一度お礼の言葉を告げると、クルリと来た方向へと歩き始める。
 
 声を掛ける事も出来ず、イーグルは彼女の後ろ姿を見送った。

 後悔をさせてしまったは自分で、彼女から永遠にランティスという存在を奪ってしまったのは自分で、それは確かな事実なのに。
 何故彼女はそんな事が出来るのだろうか。

 イーグルの思考を遮るように、ヒカリが尾で脚を打つ。ハッと見遣る視線を受けとめて、ヒカリは光の後ろ姿を追った。
 
「貴方が未来を託した女性…という事ですね。」

 見送ったイーグルの表情は、泣いているのか笑っているのか、それともただ歪んだだけだったのか、理解しがたいものだった。


content/ next