All You Need Is Love.[rayearth OVA]


「イーグル。」
 扉を開けば、エメロードは彼の名を呼んだ。言葉で返事をすることなく、イーグルはエメロードの横に歩み寄る。

「説明はしてきました。また、貴女にも迷惑を掛けてしまうんでしょうね。」
「元々私達はひとりです。感情をふたつに分けたのですもの、貴方がどうして黙っていたのか私にはわかりますわ。」
「…すみません。貴女と違って、私はやはり人間を信じる事が下手ですね。」
「私とて、サガートを死に追いやった者達を安穏と許すような事はもう出来ません。…フェリオの命で同じ事を繰り返そうとした者達にも、憤りを感じます。貴方はこんな辛い気持ちをずっとひとりで引き受けてくれていたのね。
 ごめんなさい、イーグル。」

 脆く弱い姉を操って、自らの消滅を願った。
 それは忘却を許されず、永遠に絶望だけを抱えて存在する事のつらさに耐えられなかったからだ。

「けれど私達ばかりが甘える訳にはまいりませんわ。人は皆相反する感情をその身に宿して生きています。」
 柔らかく微笑み、エメロードはそっと少女の髪を撫でつける。イーグルは光の存在に気付き、ふっと顔を綻ばせる。そして、ベッドから姉の膝に乗り出すようにしてる少女を見つめた。
 光は両手でエメロードを抱き締めるように抱え、そこに頭を乗せている。
 イーグルからは彼女の表情は見えない。
「眠っているんですか?」
「ええ、一度目を覚ましてくれたのだけれど、泣き疲れてしまったみたいですわ。」
 エメロードは光の頬に残る涙の後をそっと拭う。
「自分を責める必要はないと思うのだけれど、感情とは難しいものですね。」
「あれ…?」
 イーグルが驚きを声にする。いつからいたものか、床の上に精獣が丸くなって眠っていた。イーグルの声を耳にすると、ぴくりと耳だけが動いている。
「此処にいたんですね。」
 クスリとイーグルが笑えば、ようやくに顔を上げた。
 犬に似た精獣は黒目がちの瞳でジッとイーグルを見つめ、けれども興味がなさそうに再び頭を床に落とした。今の主であるフェリオを見失い、慌てふためくのが本当だろうにと、イーグルは忍び笑いを漏らした。
 それでも、ヒカルの側にいる精獣に(何処までも、我が侭な方ですね。)と呟くと、咎める用に尾でイーグルの脚を打ちつけた。
 ぱさぱさと布の擦れる音に、光はうっすらと瞼を上げる。
 泣き腫らした瞳が痛がゆく感じて、無意識に腕を持ち上げようと身体を起こそうとして、ガクンと身体が落ちた。
「あっ…!」
 ふいに床が近くに見えて、思わず眼を閉じたが、身体はそれ以上落下しなかった。
誰かの腕が自分を支えている。
 恐る恐る眼を開くと、自分を抱き留めているイーグルの顔がすぐ目の前にあった。

「やっ…!!」

 思わず、身体を突き飛ばし、ベッドの角に身体を寄せると両手を胸元に引き寄せた。イーグルはそのまま体勢を崩して、床へ尻餅をついていた。
 我に返り、光は眉を寄せた悲しげな表情に変わる。
「ご、ごめんなさい…私。」
 また、助けて貰ったのに…と、光が唇を噛みしめる。しかし、服の埃を払って立ち上がったイーグルは、ニコリと微笑んだ。
「いいんですよ。
 貴方がそんな顔をする必要はありません。それだけの事を私は貴方達にしているんですから。」
 僅かに眉を寄せるエメロードの表情を見遣って、光は勢い良く首を横に振った。
「違う…貴方はあの時のイーグルじゃない。もう、私達に酷い事をしないんだってわかってるんだ。
 なのに…私…。」
 イーグルを突き飛ばした両手が、何か非道な物だったかのように見つめる光に、イーグルはただ穏やかな笑みを浮かべる。
 貴女は何も悪くないのだと、もう一度繰り返した。
「フェリオの事も、私の事も、貴女が罪悪感を持つ必要など何処にもないのですよ?自分を責めるのはやめましょう。
 そこから何も生み出すことは出来ないと、貴女は知っているのだから。」
 今にも涙が溢れそうな光に、イーグルは一瞬手を伸ばしかけ、苦笑と共に押しとどめる。
 彼女に触れる事は、光を怖がらせる事でしかない。彼女を慰めるには、自分の罪は確かに重すぎるはずだとイーグルは思う。
「エメロード、戻ります。」
 イーグルがエメロードの背に向かい歩き出すのと同時、彼の姿は消えていた。
光は彼を押しとどめる言葉を探し、何故彼を留めたと願ったのかと戸惑った。助けてくれたのに、酷い事をしてしまったせいだと思うのだけれど、何故か違う想いが浮かぶ。
 確かな言葉になりはしないけれど、想いは胸を締め付けた。光はもう一度両手を胸元に引き寄せたまま、ギュッと強く握り込んだ。
「オン!」
 俯く光の顔を下から覗き込む様にして、精獣が啼く。光は眼をパチパチッとさせ、黒い瞳を覗き込んだ。
「…ランティスの、精獣…?」
 話し掛けるように、オンオンと低い声で何度も啼いた。
「この子は貴女を気に入ったようですよ?」
 クスクスとエメロードが笑う。
「私、が?」
 きょとんとする光の手をそっと握って、エメロードは彼女の手を精獣の背中に導いた。温かく柔らかな毛触りが、光の唇に笑みを戻す。
「本来の主であるフェリオがセフィーロから消えてしまって、彼は拠を失ってしまっているのです。注ぎ込まれている魔力が無くならない限り、彼はひとりぼっちでセフィーロにいなければならない運命。
 もしも、ヒカルが受け入れてくださるのなら、側に置いてやってくださいますか?」
「いいの?」
 光を見つめ、ハタハタと尾を振る精獣の姿は、地球の犬と何ら変わりなく思えた。背から頭へゆっくりと指先を滑らせれば、うっとりと眼を細める。幾度か繰り返すと、礼を告げるように光の掌をぺろりと舐めた。
 くすぐったくて、手を引いた光の姿を今度は小首を傾げて見つめている。
「気持ち良かったのかな?」
「ええ、とても喜んでいるようですわ。呼んでやってくださいますか?」
 エメロードに即され、光はハタと思い立つ。
 この精獣をランティスは何と呼んでいただろうか? 思い出そうとしてみるものの、そもそも名前で呼んでいたのだろうか?
 無口な剣士は、視線だけで精獣を従わせていたようにも思う。
「ヒカル、貴女の心に浮かぶ名で呼んでやってください。この子は、それを願っているようです。」
 ジッと見つめる黒い瞳に、光はひとつの名しか浮かばなかった。
「ヒカリ。」
 そう口にして、エメロードを見る。
「私が小さい時に飼ってた犬の名前なんだ。死んでしまったけど、大好きだったから…駄目かな?」
「呼んでご覧なさい。」
 エメロードに告げられるまま、精獣に(ヒカリ)と呼び掛ける。小首を傾げ、光を見つめていた精獣はゆっくりと彼女に近付き、膝の上に両前脚を置いた。
「ヒカリでいいの?」
 問いかけに、オンと鳴き声を上げる。いいんだね。と光は両手でヒカリの前脚を握って、満面の笑みを浮かべた。
「貴女が本当の主でない以上、ヒカリは(剣)として具現化する事はありません。けれど、ヒカルと共にいたいと彼が願っていることを忘れないでやってくださいね。」



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