All You Need Is Love.[rayearth OVA]


 柔らかく額の髪が撫で上げられる。
 母親のような気もしたが、そんな幼子にする仕草は随分としてもらっていない。ふんわりと触れるたおやかなな指先に、光は風を思った。
 海ちゃんだったら、肩を掴まれてゆさゆさ揺らされている。『もう、光、起きて!講義はとっくに終わっちゃったわよ!』などと、耳元で怒鳴られたに違いない。
 
『起きてください、光さん。』

 優しい風の声が聞こえた気がして、光はジンと瞼の奥が熱くなった。
 良かった、あれは夢だったんだ。フェリオと風は闇の中に消えていった。辛くて、悲しくてどうすることも出来なくて、私涙が出そうになったんだと、そう話をしてよう。
 きっと風は困った笑みを浮かべて、話を聞いてくれるに違いない。フェリオに言えば、(何だ俺達が邪魔だったのか)なんて拗ねた答えが返ってくるだろう。
 だって、それが今までの現実だった。

「ヒカル…気分は如何ですか?」

 けれど、声も光の目が捉えた姿も風ではなかった。
 白鳥が優雅に首を曲げる仕草で覗き込んでいたのは、エメロードの姿。声の出ない光を瞳に写し、悲しげな笑みを浮かべた。
「怪我はクレフの魔法で治癒してありますが、痛みますか?」
「エメロード姫、私…。」
 起きあがろうとして、其処が自分に宛われた部屋のベッドであることに気がついた。と同時に、全ての記憶が鮮明になる。
 光は身体を覆う上掛けの布を、放り投げる勢いで上体を跳ね上げた。鈍い痛みが頭を捉えたけれど、光の声を遮る事は無い。

「風ちゃんは…!、フェリオは一体…!!!」

 椅子に腰掛けていたエメロードは、危うく前に倒れそうになった光の身体を支え、そして首を横に振る。
 光の中がすっと冷えたのがわかった。

「彼等の身体は、セフィーロにはないでしょう。」
「どう、いう事?」

 震える身体に、声が途切れる。

 フェリオが目覚めれば解決するのだと、最初は思っていた。精獣を引き離せば、何の問題も無いのだと信じていた。

 なのに、この現実は何なのだろう。

(フェリオを目覚めさせてはいけなかった)

 酷く矛盾した自分の言葉が、心臓の鼓動を早める。まさか、本当にそれが真実だったのか?

「レイアースとは別の異世界、セフィーロ創生よりその力を持って世界を支えていた(精獣)の世界に。
フェリオと契約を結ぶ事が目的なのでしょう。」
 今はまだ、セフィーロに魔法が満ちた様子がないので契約が行われてはいないのでしょう、と続けられた言葉に光は、問題が何一つ解決されていないどころか、悪化している事に気付き声を上げた。
「やだ…そんなのやだよ!どうして…!!」
 取り乱す光に対し、エメロードは毅然とした様子を崩さない。
 しっかりと彼女を抱きしめるエメロードに、光は大きくしゃくり上げ、息を吐いた。
「私がいたらないばかりに、フェリオばかりかフウさんまで…。本当にごめんなさい。」
 背中を何度も撫でる指先が、眠っていた光を労っていた手だとわかる。自分が倒れてからエメロードはずっと付き添っていてくれたのだろう。
 やさしくたおやかな、それが本当のエメロード姫だったのだ。
「ううん、エメロード姫が悪いんじゃない。私だって、絶対に風ちゃんもフェリオも守りたいって、思ってたのに…!!」


 思っていた、決意した。何度も何度も、繰り返した。
失いたくない。終わりにしたくない。大切なものであればこそ…なのに。
 向かった事態は絶望的なものだったなんて。
 
「私、私…!悔しいよ!」
 
 ポタポタッと涙がこぼれ落ちて、エメロードのドレスを濡らした。それでも涙が止まらない。何度後悔すれば悟るのだろうと光は思う。
どれだけの力不足を自覚できれば、大切なものを守れるのだろう。
「ヒカル。」
 泣き続ける光の背中を再び撫でる感覚。これ以上エメロードに迷惑を明ける訳にはいかないと顔を上げた光に彼女はやさしく微笑んだ。
「人の為に涙することの出来る貴女が私には羨ましい。
 だから、無理に押さえつけずに、ヒカルの気持ちが納まるまで待ちましょう。
 大丈夫ですよ、ヒカル。」
「あり、がとう…。」
 しゃくり上げる光に、エメロードは頷いた。



 全ての処理を済ませたと報告に来た術師を労ってから、クレフは自室の扉に鍵を掛けた。部屋の中には、海とイーグル、先程の一件に関わりない高位の人間だけが残る。
 クレフや老齢の術師は椅子に座り、海や剣士達はイーグルを囲むように立った。何かあれば切り捨てるつもりで、剣の柄に手を置く者もいる。

 皆を見回し、「さて」とイーグルは声を出した。

 落ち着き払った様子や姿は、何度見たところで以前のイーグルと変わりはない。
醜悪なまでに、己の欲望のみを追求し、自分達やその世界を苦しめた相手に、海はギュッと拳を握りしめる。そうしていないと、自分の感情を制御することなど到底かないそうになかった。

「どうして私が存在するのか、皆さんの疑問はそこからですよね?」
「そうだ。レイアースでの戦いの後に姫の元へ戻り、お前は消えた。あれが茶番だった訳ではあるまい?」
 クレフの問いに勿論ですよ。とイーグルは笑う。
「ただ、エメロードとあまりにも長い間離れていたので、私の自我が消えなかったんですよ。」
 両手を上げ、イーグルは肩を竦めてみせる。

 その仕草、こちらの心情を嘲笑うかのような態度が、海の感情を刺激する。
「だからって、貴方が悪さをしてないなんて誰が証明するって言うの?」
「まあ、そう言われてしまえば、返す言葉はありませんが…。」
 困った様に笑い、イーグルは次ぎの科白を待っているようだった。海は挑むように言葉を重ねる。
「フェリオや風が消えてしまったことと、本当に貴方は関係がないの!?」
「何度も言いますが、私には魔力がないんです。悪さをしようにも力不足ですね。」
「その言い方、気に入らないのよ。」
 のらりくらりと尋問をかわしているようにも見えるが、イーグルの態度は一貫しており、海への答えに矛盾はない。クレフはそう感じ、立ち上がると同時に海の肩を抱いて、椅子に座るよう促した。
 どんなに気丈にみせても、海の心も光同様追いつめられたものに違いなく、ただ性格上、表に出さないよう振る舞っているだけだ。気遣うクレフに対し、何か言いたげに口を開いたが、項垂れた様子で椅子に座った。
 その様子を見遣るイーグルもまた、痛ましものを見るような表情を見せる。
 彼の変化を感じ、クレフは内心驚いた。
 感情を素直に表に出すなど、いままでのイーグルでは有り得なかった事。我々を騙すつもりがないのなら、この変化はどういう意味を持つのだろうか。
「イーグル、お前はあの者達が最初からフェリオを人柱にしようと企てていたのを知っていたのか?」
 ええ、まぁと苦笑混じりに答え、口元に拳をあてコホンと咳をする。
「まがりなりにも、精霊ですので。」
「人、柱?」
 眉を顰めて呟いた海に、クレフは頷いた。
「ウミにも前に話したはずだ。
 精霊達と契約する太古の昔に、大きな力を持つ精獣と契約を結ばせて世界を保っていた時代があったと。」
「ええ、確かに聞いた…。でも、だったら、どうしてクレフに教えてくれなかったの?こんな事になる前に…!」
 震える唇を噛みしめる海を見るイーグルの表情は硬い。海の心情に心を寄せているのが伺える彼の様子は、やはりクレフにとって驚きだった。

「セフィーロとレイアースを混乱に貶めた私が出ていっても、誰も信じはしないでしょう? 
それ以上に、いたずらに混乱を招く可能性もありましたから、確かな解決の糸口が見つかるまでフェリオには眠って貰うつもりでした。」



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