All You Need Is Love.[rayearth OVA]


 『レイアースの魔神達に助力を請う事』を報告しに来た光の頬に、エメロード姫の手がそっと触れ離れていく。
 細くて長い指はとても温かかった。
 目の前にいる美女はまるで美術館で見た絵画のようなのに。光には、彼女が自分と同じ人間なのが不思議に思えたが、慌ててふるふると首を横に振る。

 違う、違う。エメロード姫は(精霊)、自分と同じ(人)じゃないんだ。

 それでも、こうして向き合える事が光には嬉しい。あの時、分かり合えると信じた自分思いは正しかったのだと、改めて感じられた。
 ただ、光に向けられた彼女の眉は顰められ、表情は曇っている。

「私達はまた、貴女方にご迷惑をお掛けしていますね。」

 エメロードの言葉と表情に、光は座っていた椅子から立ち上がると、両手で拳を握りしめる。大きく口を開いて声を発するのと同時にエメロード姫を勢いよく見上げた。

「ううん、迷惑なんか掛かってないよ。だって、フェリオは友達だもの!」

 必死な表情にエメロードは一瞬息を詰まらせ、そして瞳を細めて微笑む。細い指先が艶やかな唇に当てられふふと漏れる声まで澄んでいる。
「ありがとう、ヒカル。」
 輝くような笑顔で見つめられるとドキドキする心臓が落ち着かない。

「……エメロード姫は本当に綺麗だ。」

 思わず零れ落ちた光の言葉に、エメロードは目を見開いてからクスリと笑った。
「貴女も、とても可愛らしいですわ。」

 え? 可愛い??

 エメロードの言葉を脳内で再生させ、光はブンブンと首を振る。
「そんなことない。
 私…全然駄目なんだ。海ちゃんみたいに綺麗じゃないから、えと全然モテない?」
「モテ…な?なんですか?」
 不思議そうな表情になったエメロードに(モテる)は異世界の言葉だったと気付いた。
「あの、あのね。男に人に相手にされないっていう意味なんだ。私、子供だからってよく言われる。」
「それは、きっと違うと思いますわ。」
 エメロードはそう言うと、光の手を引いた。先程まで向かい合って座っていた長椅子ではなく、鏡の前に座らせる。そして髪を解いて、肩へと降ろす。
 腰まである光の長い髪は、緩くカールがかかっていて、こうしてみると普段の彼女よりも数倍女性らしく、美しく見えた。
「こうして髪を下ろしていれば、とてもお綺麗ですわ。でも男の方が貴方見つめていらっしゃらないのは、貴方がその方に恋をしていらっしゃらないせいなのでしょう。」
「私が、恋をしていない…?」
 コクリとエメロードが頷く。そして、光の肩に手を置いて共に鏡を覗き込んだ。
「貴方はまっすぐな心をしていらっしゃるようですわ。きっと本当の意味で貴方の心を捕らえた方の事だけ、貴方の紅玉の瞳は見つめるのでしょうね。」
「そう…なのかな…。」
 光は、緊張したまま両手を膝の上に置いて頬を赤くした。
 エメロードは光の髪を櫛ですくと、解いた髪はそのままで少しだけ後ろに髪を回した。
「結って差し上げたいのですけれど…お友達をお待たせしてしまいますか?」
 光は軽く髪を横に振った。エメロードは、微笑むと手を動かしはじめる。
 優雅な動きで、自分の髪を結っているエメロードを鏡越しに見つめながら、光は海や風と別行動をしているのだと告げた。
「海ちゃんはクレフと話をしているし、風ちゃんはフェリオの部屋にいるんだ…。」
 そして、大きな瞳を伏せる。
「…こんな事でもなかったら、こっちへ来る事なんかないだろうからって、クレフに頼んで部屋を開けてもらったんだって。」
「そうですか。」
 エメロードも手を止めて、寂しそうな笑顔を光に向けた。
「あの方は本当に心の強い方ですわね。」
「うん。風ちゃんは、ホントに頑張りやさんなんだ。」
 まるで、自分が褒められたような笑顔を見せた光にエメロードも優しく微笑んだ。



 机の上には、やりかけの仕事なのだろうか数枚の紙が乗っていた。
風にはわからない文字が綴られたそれに、そっと触れてから、部屋を見回した。

「思っておりましたより、お綺麗にしてらっしゃって驚きましたわ。」

くすっと笑い。誰に言うでもなく呟く。
 それでも、整理整頓が行き届いているのかと言えば、そうでは無い。
椅子に掛けられたままの服。封が切られてそのままになっているお茶。そして、洗われずに置いてあるコップ。
 すぐに戻ってくる。
 この部屋の主はそう思っていたのだろう。風は目頭を押さえた。止めようと思っても、流れ落ちる涙は止められない。両手で覆って嗚咽が漏れるのを隠した。

 いつか、訪れてみたいと思っていた。
 フェリオが生まれて育った場所。彼の生きている世界。
 来るべき約束が出来たなら…そうフェリオが言ってくれたのは、まだ親友にすら話してはいなかった。
「私、来てしまいましたわよ。」
 風は、涙を拭って笑みを浮かべる。
『結婚』と言う概念は、こちらの世界でもあるらしく、フェリオがその言葉を口にした時には少し驚いた事を覚えている。
 もっとも、神の前で誓う…という類では無く。お互いを伴侶だと認めあい、そして周囲に知らしめる。そういう行為なのだと言って笑っていた。
 独占欲の為す行為だと。
 彼の言葉を聞いたのが、つい昨日のように感じる。

『自分も果たしたい夢があり、彼にも為さなければならない仕事がある。』
 今が無理でもいつかはきっと。
 果てしない先にあると思っていたもの。けれど確実に訪れると信じていたそれが今、崩れ去ろうとしていた。

「フェリオ…。」
 口にした名前に、返事をする相手は此処にはいない。
 やさしく抱き締めてくれた腕もない。
 風は、小さくもう一度だけ名前を口にすると唇に手を当て俯いた。



「ウミ、あまり近付くな。」
 クレフの忠告の言葉にも、海の鼻息は荒い。
「でも、一言いってやらないと気がすまないのよ!」
 小さく拳を握ると、くるりとスカートを翻す。そのまま、ツカツカと近寄った。
 空間の中に現れたのは 光と風に襲いかかった精獣だった。
 眠っているフェリオと海の間に立ちはだかり、それ以上近寄るなとばかりに牙を剥く。
「あんたなんか怖く…ちょっと怖いけど。…えと、良く聞きなさいよね。」
 精獣は、海の言葉に耳を傾ける気などなかっただろが、立ち止まった海に対しては、飛び掛かる様子を見せなかった。
 それは、彼女の後ろにいる魔導師を警戒しての事なのかもしれず、その証拠に精獣は耳をクレフへ傾けている。
「ひとりぼっちで寂しいのはわかるけど、私達にも諸事情ってものがあるのよ。
 絶対に貴方を此処から遠ざけて、フェリオの目を覚まさせてもらうわ!」
 そう宣言すると、強い瞳で精獣を見つめた。そして、今度は一言々噛み締めるように言葉を紡ぐ。

「私、貴方みたいな自分勝手な奴嫌いなのよ。まるで、自分を見てるみたいじゃない、腹立ってくる。
 セレス達に頼んで絶対に追い出してあげるから、覚悟しときなさいよね。」

 話しかけていると、胸の奥から込み上げてくるものがあるのか、徐々に彼女の声は震えていく。ギュッと唇を噛み締めて、声を絞り出した。
「フェリオもそれまで頑張らなかったら許さないんだから…。」
 彼女の瑠璃の瞳は水の膜に揺れていた。
「ウミ…。」
 クレフの手が、海の肩に回されると、彼女はそのまま頭を預けた。そして、二人の影がこの部屋から消える。
 それを見送って、精獣も姿を消した。
 残されたのは、眠ったままのフェリオ。しかし…。

『…った…。』

それは何処か遠くから聞こえてきた低くて重い声。

『…困った娘達だ。』

 そして、微かに響いたその声は、今此処にいるはずのない人間の声に酷似していた。


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