All You Need Is Love.[rayearth OVA]


「ウミ、少しはジッとしてみないか?」

 決して狭くはないその部屋を円を描くように歩き回っているのは、蒼い髪の少女。
「無理よ。」
 海は短く答えて、なお足を進めた。
「ウミ!」
「嫌よ!」
 ウミは、長い髪をサラリとなびかせたかと思うと、クレフの横にツカツカと歩み寄ってくる。そして自分の胸に手を当てるとこう言い放つ。
「ジッと考え事なんかしてたら、ここが一杯になって潰れちゃうわ!」
 クレフはその様子を見て、深く溜息を付いた。
「お前が心配しているはわかるが、そうしていたからと言ってどうなるものでもないだろう?」

「どうなるものでもないだろう?」

 殆ど身長の変わらないクレフに海は顔面すれすれまで自分の顔を近付かせ、語尾を繰り返す。
「だったら、もう一度フェリオのところに行かせてよ。こんなところでジッとしているより数倍いいわ。」
「お前をそんな危険な目に合わせる訳にいかない。」
「だったら、風は危険な目に合わせても良かったって言うの!?」
 海はそう言ってから、苦い顔で口元を覆った。斜めに視線を外したクレフは、辛そうな表情で黙り込んでしまう。
「ごめんなさい。」
 両手を胸の前に当ててクレフの肩に頭を預ける。
「ごめんなさい。
 東京に来ていた貴方は、本当に切羽詰まっていたようすで辛そうだったのに…私…酷いことを言ったわ…。」
 クレフは、少女の肩を杖を持っていない方の手で優しく抱き留めた。
「力が及ばないのは、私の責任だ。お前の気持ちは良分かっている。」
「…一体どうしてこんな事になったの?」
 クレフの肩に頭を埋めたまま、ぽつりと海が問う。
 唇を軽く噛み締め、悔しそうな表情を見せた。
「自分の技量も弁えないほどの莫迦なの?
 フェリオは。風の事を考えもしないで、なんで死ぬかもしれないような事しちゃったのよ!」

 その言葉に、クレフは苦笑いを浮かべる。

「恐らくは、フェリオに契約の意思は無かったのだと思う。」
「どういう事?」
 海は両手をクレフの胸元に添えて、身体を起こす。そしてクレフの淡い色の瞳を覗き込んだ。
 聡明な瞳が海を見つめ返す。
 穏やかな眼差しは、海の心の細波を少しだけ凪ぎに変えていく。
「…力を持つ精獣ほど、異空間に一人で暮らすものが多い。たったひとりで永劫に近い時間を過ごす。その孤独を考えるのはさほど難しい事ではないだろう?」
「それはわかるわ。でも、だから何なの?」 「契約を結べば、このセフィーロに降り立つ事が可能になる。稀な事ではあるが、魔力の強い者を操って契約を結ぶ精獣もいる。
 その者の魔力が尽きるまでは、とりあえず此処にいられるわけだからな。」
 海は柳眉を逆立てる。理不尽すぎると声を張ったあの時のように。
「何よそれ!自分勝手にもほどがあるわ!とり憑かれた人は死んじゃうんでしょう。
 フェリオだって!  ねえ、このままなの!?どうすることも出来なくて、ただ魔力が尽きるのを見てろって言うの!?」
「ほんの僅かな時間でもいい精獣をフェリオから引き離し、彼の目を覚まさせる事が出来れば契約を破棄する事だって可能だ。…ただ、それには力が必要なのだ。」

「…力とは何ですの?」

 澄んだ声に、クレフと海が振り返る。
 そこには、両手を前に重ねて二人を見つめている風の姿があった。
「ごめんね。ノックはしたんだけど、返事がなくて…。」
 横で申し訳なさそうに光が言う。話しに夢中で周りへの注意が怠っていたらしい。
 クレフは自分らしからぬ失態に苦笑いを浮かべた。

 海だけなのだ。自分を乱す事が出来る女性は。

 その事を再確認してしまった。
「あやまる必要はない。本来お前達にも聞いてもらわなければならない話しなのだから。」
 クレフはそう言ってから、窓辺にある椅子に三人を招いた。

「お前達には、礼を言っていなかった。こんな異世界にまで来てくれて本当にすまなかった。」
 そう告げると、片手を胸元にあてて深く頭を下げる。
「それは…無しに致しましょう。クレフさん。」
 彼を見やって風が言う。口元に微かな笑みを浮かべながら。
「私はフェリオを目覚めさせたいと思っております。それは貴方と同じ願いではないのですか?」
「…そうだ。目覚めさせたい。」
 少しだけ首を傾げたクレフに、風がそっと笑みを作る。
「けれど、それはこの国の為ではなく、貴方の友人としてフェリオの事を心配していると思っております。ならば、私達の立場は同じです、クレフさん。」
「フウ…。」
 なき濡れた瞳に笑みを浮かべてみせる風の姿に、クレフは一瞬顔を歪める。
「…フェリオは莫迦な奴だ。こんなにフウに心配を掛けて…。」
 そして、三人の顔を見回すと微笑んだ。

「早く叩き起こして、文句を言ってやらないとな。」

「そうよ。起きたら只じゃ済まさないわよ。」
 海も同調して声を合わせた。光と風は顔を見合わせて肩をすくめる。
「フェリオは起きても大変だ。」
 そう言って光が笑う。そうですわね。と風も微笑んだ。

「力とは文字通り、精獣を圧する力だ。何の制約もない今の状態なら、私の魔力でも互角には対峙する事は可能だろう。しかし、そうではない、精獣を超える圧倒的なものでなければならない。
 そして、それは今セフィーロには無い。」

 クレフは、少女達にそう告げると風の方に顔を向けた。
 彼女はクレフの告げたい事を直ぐに察したらしく、彼が口を開く前にこう口にする。
「クレフさんは、フェリオ自身はがその力を保有していたのかもしれないとおっしゃりたいのですか?。」
「そうだ。皮肉な事だが、魔神となる精獣二頭と契約し、なお魔力を保っているフェリオなら有り得る話だ。」
 苦笑しながらクレフは続ける。
「それならば、とお前達は考えるのではないか?エメロード姫達精霊にはその力は無いのか…と。」
「ええ、私はそれを聞きたいと思っていたわ。」
 大きく頷いた海には首を横に振る。
「彼女達精霊の魔力は、セフィーロを維持する為のもの。巨大ではあっても、精獣の脅威にはなり得ない。…対抗出来るのは人間の力だけなのだ。」
 がっがりした顔の海を辛そうに見やるクレフを、光はじっと見つめていたが、ふと緋色の瞳を見開いた。
それは、記憶の奥に眠っていたものがふいに浮かんできた感覚だった。

「…レクサス…。」

「何と言った?ヒカル。」
 はっとクレフの顔も光に向く。風や海の視線も光の顔を凝視した。
 光は自分の言葉をひとつひとつ確認するかのように、ゆっくりと言葉を紡いだ。そうしていると、あの日の出来事が鮮明に蘇ってくる。
 黒衣の剣士が(風がいつも見守ってくれているかもしれないと言ってくれた男)が、自分達を助けてくれようとしているのかもしれない…そう感じた。

「この世界のものでは無い。大きな力…レクサスやウインダムやセレスの力は、この世界のものじゃくて、それでもって…。」
「伝説のレイアースの力…ね。」
 光の言葉を海が続ける。風もそれを見つめていた。


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