All You Need Is Love.[rayearth OVA]


 テーブルの上のお茶はすでに冷めきっていた。
 湯気がたたなくなって久しいカップを、所作なく眺めながら海は溜息をつく。
「クレフ遅いわね…。」
「うん。」
 光は隣に座る海に返事をかえしながら、視線を風から反らすことはなかった。
 風は二人から離れ、窓辺の椅子に両手を膝に俯いたまま座っている。彼女はそうしたまま動かない。

 あれから、フェリオは目覚める事は無かった。

 その事実だけは、三人の心に重くのしかかっている。
 風の声にも彼はその目を開けることなく、精獣は彼女達が触れることを許さなかった。

 海がもう一度溜息を付くのが聞こえた。
 随分待っている気がすると光も思う。
 地下室からこの貴賓室(とお茶を運んできた者は言っていた)に移動して、『待っていてくれ』とクレフが部屋を出でからもかなり時間が経っている。
 クレフにそう言われなくても、自分達はこの世界では異邦人だ。
 出来る事なら、もう一度あの地下室へ行って再度彼に呼び掛けてもみたいと願ってみても、もう自分達だけでは部屋へ入る事すら不可能なのだ。
 沸き上がってくる無力感と、焦燥感を紛らわす様に、光はふるふると頭を振った。
 そっと海の顔が光の耳に近付く。そして小さな声で話し掛けてきた。

「…フェリオって眠っているだけなのよね?私は側には行かなかったからわからなかったけれど…。」
「…ううん。私にもよくわからなかった。
 でも、親戚の人が亡くなった時に見た時とは違って見えたから、多分眠ってるだけなんだと思う。」

「そう…。」海は、微かに眉を潜める。
「でも、どういう事なのかしら。病気とかなら看病とかしなきゃいけない気がするのにあんなとこに放っておくなんて…。」

「…ねぇ海ちゃん。あの場所、前に来た時も思っていたんだけど、なんだかとても清々しい気持ちがするんだ。」
 光は自分の中の言葉でどう表現していいかわからず、考えこむ。それから言葉を続ける。

「ほら、神社とか教会とかで静かで空気が澄んでいる感じがするところがあるよね。そういう場所と感じが似ていると思う。」
「そうね。そう言われると…神聖な感じがするかも…。あそこで嫌な気分にはならなかったわ。」
 頷く海に光はう〜んと首を傾げて両手を握り締めて力説する。
「だから、ひょっとしたら、あそこはセフィーロの病室なのかもしれない!」

「あそこは、この城に造られた結界だ。」

 とんと軽く床を杖で叩く音ともにその声がした。
「クレフ!」
 声を上げた海にクレフは笑みを見せる。
「すまない。待たせてしまったな。」
「ううん…あっ!?」
 海は口元を手で抑え、光も大きな瞳をさらに見開いた。

「申し訳ありませんでした。」

 そう言い、胸に手をあて頭を下げた女性に海も光も息を飲んだ。
 長い金色の髪は、光をはらんできらきらと輝き、長い睫に縁取られた翠の瞳が少女達を見つめる。
 ほっそりとした肢体を純白のドレスで包み、小さなしかし美しいつくりの顔は折れそうなほど華奢な首から滑らかな肌をみせる肩につながっていた。

「エメロード姫…。」

 見惚れてしまう。禁断だろうとなんだろうと惹かれずにはいられなかったザガートの気持ちが光には良くわかった。言葉を失った少女に軽く一例するとエメロードは彼女達の横を通り過ぎ、その足は風の元へ向かう。
 椅子に座り込んだままの風の両手にエメロードはそっと手を添える。
 ハッと風が顔を上げた。

「…貴方は…。」

 エメロードは優雅に頷くと、風の顔を覗き込んだ。
「私達の力が及ばないばかりに、こんなところにまで来て頂いて申し訳ありません。」
「いいえ、いいえ。」
 風は激しく左右に頭を振ると、エメロードの言葉を否定した。
「私が自分で来ると申しあげたんです。…でも…フェリオを…私…。」
 そうして、両手で顔を覆う。
 やっと止まっていたのであろう彼女の涙は、再び頬を濡らし初めていた。愛しい人を救えない無力感は、容赦なく彼女を責め立てているに違いない。どんな慰めの言葉も彼女の中を素通りしていくだろう。
 エメロードは、何も言う事なく肩を震わせている風の髪をゆっくりと撫でる。
その瞳はただ優しく。しかし、微かに細められた瞳が少しだけ辛そうに見えた。

『愛しい者を失う悲しみを彼女は誰よりも知っている。』

 そして、そこから逃げる事無く自分の負の心を受け入れたエメロード姫は以前よりも遙かに美しく見えた。
 光の思い出のなかにある、イーグルに操られ自分の心に閉じこもっていた彼女など別人のようだ。

 そうした彼女の様子に、光は改めて自分の胸に問い掛ける。
 自分は何の為にセフィーロまで付いてきたのだ。
 風を悲しませたくなくて、彼女の力になりたかったのではないのか…と。
 風の悲しみは、今エメロード姫が癒そうしてくれている。
 ならば、自分に出来る事はなんなのか。

 光の顔がクレフに向けられる。落胆の色が隠せない表情の彼は、エメロード姫と風の様子を見つめていた。
「クレフ、フェリオは一体どうしたんだ?」
 光の言葉に、クレフがはっと彼女の顔を見る。光の瞳は決意に満ちていてた。
「私は、風ちゃんの手助けをしたいと思って此処へ来た。だから、わけを話して欲しい。」
 クレフの横で海も大きく頷いた。
「私も知りたいわ。怪我人だか、病人だかしらないけれど、フェリオをあの場所に置いておかなかればいけない理由…話してくれるわよね。」
「そうだな…。理由も言わずに異世界から迎えた客人に対して非礼が過ぎたかもしれんな。」
 いかにも堅い言い様のクレフの袖を海はギュッと掴む。そして、驚いたクレフの目を正面から見つめた。 「ちょっと、待ってよ、非礼とかなんとか関係ないわ。フェリオは風の大事な人だけど、私達の友人よ。特に私にとっては貴方と会う事が出来るようにしてくれた大大大恩人なのよ。ああ、違うわよ。それもあるけど、私が一番言いたい事はね。」
 ぶんぶんと頭を左右に振ると、すうっと大きく息を吸い込んで海はその澄んだ瞳で射るようにクレフを見つめ続ける。
「貴方にもそんな辛そうな顔して欲しくないのよ!」
「ウミ…。」

「フェリオは、怪我をしているわけでも、もちろん、病気でもありません。」

 エメロードの声が響いて、光や海はハッと彼女の方を向いた。
 彼女は風の肩に手を置き二人の方に顔を向けている。風も覆っていた両手を下ろし彼女の顔を見つめていた。
「…フウの声にも目覚めない…と私は言った。」
 エメロードに続くようにクレフが話始める。
「彼は…ただ眠っているだけだ…。恐らくは永遠に目覚める事が無いかもしれないという事実を覗いてな…。」

 一瞬の沈黙。光が叫ぶ「なんで!?」

「…フェリオが元々精獣使いなのは知っているな。
 召喚という魔法は、自分の魔力を糧として異なる次元からより強い魔力を持った精獣を呼び寄せ契約を結び自らの力とする魔法だ。つまり、自分の持つ魔力にみあった精獣以外との契約は、自分の寿命を縮める事になる。彼は今その状態だ。」
 海が問う。
「フェリオの契約している精獣って、虫みたいな形のよね。違うの?」
「そうだ。それが本来フェリオが契約していた精獣だ。…だがもう一頭、お前達も目にした精獣がいたはずだ。」

 主を守るようにフェリオの側を離れない黒い精獣。

「あれは、元々ランティスが契約していた精獣だ。」

 その言葉に光は息を飲んだ。
「…あの時の精獣って…消滅しちゃったんじゃ…。」
 微かに声が震えた。
「そうではない。ランティスの死によって支える魔力を失い、元いた次元に戻ったにすぎない。ああやって再び契約を結べばまた姿を見せる。」

『ランティスの死。』

 はっきりとクレフの口に出されて言葉に、光は言葉を失う。わかっていたことではあっても、ただ胸が苦しい。

「それで…なんですね。」

 ふいに呟いた風の言葉に光は顔を向ける。
「何がそう…なの?風ちゃん。」
「フェリオのオーブの色がいつもの翠色ではありませんでした。深蒼と渦を巻いているような初めて見た色で…そういう事だったんですね。」
 風は、目尻の涙を指で押さえながらクレフを見つめた。
「そう…だった?」
 その場にはいたものの、不思議そうに首を傾げた海を見やって、クレフは大きく頷く。
 慌てたように海が言う。
「でも、クレフだって二頭の精獣と契約しているって前に言ってたでしょう?どうしてフェリオは、眠ったままなの?」
「ウミ、私とフェリオの精獣では必要とする魔力が違いすぎる。彼が契約していたのは元々『魔神』となれるほどの力を持つ精獣だ。それが二頭分…お前にも容易に想像がつくだろう?」
「…それは…。」
 言葉を濁して海は黙った。
「フェリオは…。」
 風はそこで言葉を切り、意を決したように話続ける。

「フェリオは、このままではどうなるのですか?」

「魔力を全て失った時点で死ぬ。」
 光はその言葉に、風が再び泣き崩れるかと思った。しかし、風は真っ直ぐにクレフを見つめている。そして、彼女の瞳もまた絶望を映し出してはいなかった。
「それはいつ…ですか?」
「わからん。今はまだフェリオの魔力は二頭の精獣をもってしても尽きてはいない。しかしいつまで持つかは、誰にもわからない。」
「私は…フェリオを信じています。ですから私も諦めたり致しません。」


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