All You Need Is Love.[rayearth OVA] それは以外な程あっさりと終わってしまった。 現実は小説より奇なり。という言葉があるが、様々な小説で読むような、黒いトンネルを何処までも歩いただの、身体がぐにゃりと折れ曲がったような感覚だの、穴に落ちて落下しただの…ということは何一つ無く、ある意味拍子抜けしてしまったというのが光の感想だった。 台風の目の中で、一歩だけ足を前に進めたら、景色が変わっていた。そんな感想しか出てこない。風も海も未だに手は繋いだままだが、変わったところは見られず、きょとんとしている。 しかし、それは自分達三人だけの事。同じ場にいたクレフの様子は全く違っていた。 額には脂汗を滲ませて、顔色は土気色。俯いたままの彼は、今にも倒れるのでは無いかと思われた。 「クレ…。」 思わず、クレフに駆け寄りそうになった海に彼は叱咤する。 「まだ、手を放すな!まだ、扉が閉じきっていない。」 それは風がおさまっていない事を言っているのだろうか? 光達には、わからない。お互いに顔を見合わせ、そして周りに目を凝らした。 薄れていく風の壁から現れ、鮮明になっていく景色はあきらかに今までいた大学の校舎ではありえなかった。 まず、空が見えた。 所々、青空が見えるが全体に厚い灰色の雲が覆り、下は遥か遠くまで見渡せる。高い建物は一つも無い。 遠く見える山並みは小さな壁のようだけれど、本当は大きいに違いないと光は思った。 そして、茶色が目立つ大地と点在する緑。 荒野。 それが最初の印象だった。 「ここが…セフィーロ…。」 光はそう呟いた。 彼の瞳のような青空を何処か自分は期待していたのかもしれない。落胆している自分の気持ちをそう解釈して、改めて自分のいる場所を見回した。 「なんだか凄いところね。」 隣で海が呟くのが聞こえた。 荒野と反対側に視線を移すと、見上げるほどの高さがある城壁。 ところどころ崩れてはいたが、その重厚さには圧巻される。視界の左右に長く伸びているそれの更に奥には、一番高い塔を中心にいくつもの高さの塔が集まっている。その高さは、高層ビル郡に匹敵するほどの高さがあった。 足元に目をやると、そこも土ではなく石畳が広がっている。此処はどうやら、その城(セフィーロ城)の外壁。 本来なら外庭だったり、掘りがあったりするような場所ではないかと思われた。 「…以前こちらにお伺いした時とは、やはり雰囲気が違いますわね。」 風も辺りを見回してそう言う。光も確かにそう思った。 一度、此処を訪れた時の廃墟のような感じは今はない。 壁も手入れが施されて、こざっぱりとしているし、人がここに住んでいる気配がした。 「もう手を離してもいいぞ。お前達。」 クレフは、そう言うとガクリと膝をつく。杖を持つ手にすら力が入らないらしく、それが音をたてて地に転がった。 「クレフ!」 駆け寄った海が、苦しそうに蹲っている彼の背中を何度も摩る。 「しっかりしてクレフ!」 「…魔力を少々使い過ぎただけだ。大事は無い…。」 眉を寄せて自分の顔を見つめる海に、クレフは微かに微笑んでみせた。 「お前達は、大丈夫か?」 「何ともないわ。光も風も平気よ。何よ、貴方の方が大変そうなのに。辛い時は辛いって言ってよ。 私、心配も出来ないじゃない!」 ポロリと零れた海の涙を見て、クレフは少女の肩を引き寄せた。自分の肩口に海の顔を埋める。 「お前が泣くことはない。本当に大丈夫だ。」 青年の腕の中で少女は何度も頷くのを、光と風は見つめていると、騒々しい足音が近づいてくる。 全身を白に覆われた人物が三人、早足でこちらへ向かってくるのが見えた。目まで隠れるほどに深い帽子を被ってはいたが、一人は背が低く三人の中でもっとも歳を重ねているようだ。残りの二人はそれよりも高く、年若い。 年寄りを奉じて歩いてくるところを見ると、上司と部下の関係だろうか。 しかし、三人とも酷く強ばった表情で近づいてきた。 光と風は何事かと身構える。二人の様子にクレフと海も顔を上げた。涙を手の甲でふきながら海が問う。 「誰?」 「あれは、城の術者達だ。彼等の助力無しではお前達を異世界から運ぶ事など不可能だった。」 彼等はクレフの眼前までくると立ち止まり、恭しく膝を折った。 「導師クレフ。」 その中の一人が呼びかける。側にいる少女達を見回して言葉を続けた。 「どうやら無事、お連れになっていただけたようですね。」 クレフは無言で頷くと、言葉を発した人物を見ながらこう問いただした。 「彼の様子はどうだ?」 その言葉に、光は隣で風が息を飲むのを感じた。 彼女は両手で口元を覆い、立ち竦んでいる。今この状態で『彼』が指し示す人物の名前はひとりだ。 「フェリオは一体どうしたんだ?倒れたって…!?」 光は、風が声を発するよりも早く術者達を見つめながら言う。 彼等は、光の顔を見つめてしばらくは返事をしようとはしなかった。顔を見合わせてから年長の術者は光では無くクレフの方を向く。 「導師…彼女が?」 「そんなことより、様子を聞いている!」 苛ついたように声を荒げたクレフに、慌てて返事を返す。 「変わりありません。」 その言葉で、初めてクレフは安堵の溜息をついた。 「そうか。」 心底安心したようなクレフの様子は、しかし、風にとって不安を増長させる材料にしかならない。 こんな短い時間の間にさえ、何かが起こる可能性があるほどに、フェリオの身体は切迫した状態なのか。 「風ちゃん…大丈夫?」 自分を見つめていた光の言葉に風はハッと顔を上げた。心配そうな光の表情に風は微かに微笑んでみせた。 「申し訳ありません。平気ですわ。」 風の言葉にますます光の表情は固くなる。風の顔色は大丈夫などと言うものではない。血の気は完全に引いているように白い、唇の紅すら奪われたように色を失っていた。 なのに、気丈に振る舞う風の姿は光にとって堪らなく悲しい。 彼女の力になりたい。笑顔の彼女に戻って欲しい。 「クレフ、早く行こう。」 光の言葉にクレフが頷く。 そうして、杖を支えに海に肩を借りながら立ち上がる。ぐるりと術者達を見回すと、光達の方を指し示した。 「彼女達が異世界からいらした客人達だ。大切な方々ゆえ、丁重に頼む。」 膝を折り、深々とお辞儀をした彼らを見やってから、クレフは光と風の方を振り向いた。 「…フェリオのところへ」 二人とも無言で頷くと、歩き出したクレフの後を追った。 長い回廊を幾つも歩き、庭を横切り、扉をくぐる。 光は、改めてこの城の大きさに驚く。 ひとつの街がすっぽりと入ってしまう位の大きさがあるのではないのだろうか。 宮殿というほどの豪華さはないが、気品を感じさせる装飾が天井や窓には施され、光源があまり見あたらないにも係わらず、城の中は明るかった。 警備をしている兵士やこの城の生活を支えているだろう人々とすれ違うと、先程術者達が見せたように軽く膝を折り頭を下げた。 中世の時代を描いた映画でみかけるような姿だろうか。服装等はそう光の目には写った。 それが一般的なものだとすると、クレフや術師達、そしてフェリオの服装はあきらかに違う。このセフィーロという世界の中で、彼等は地位ある存在なのだろうと感じられた。 そして、圧倒されながら歩むこの城内で、光が一番強く感じたことは。(此処は廃墟では無く、人々が暮らし、生きている場所なのだ。)という事実だった。 高く白い壁が突き当たりにある大広間。何処か張りつめたような空気は、肌にひやりとした感覚を与え、雰囲気は教会に近いのだろうか。 しかし、ただ広い部屋には家具なども無い。 クレフはその白い壁の前に立つと、自分を支えていた海を退け、両手で杖を持ち、詠章する。彼が手を下ろした頃には、何もなかった壁に扉が生まれていた。 「開けるわよ。」 海はそう言い、自分の背丈の倍はありそうな扉に手を掛けた。 さぞや重く感じられるであろうと思われた扉は、なんの抵抗もなくすんなりと開く。 「…重さがないみたい…。」 大きく向こう側へと開いた扉から手を離し、その手を驚いたように見つめていた海がそう呟くのが聞こえた。 部屋全体から感じとれる張りつめたような空気は、その扉の向こうから流れ込んでくるものであることに気付き、光は息を飲んだ。扉の向こうは薄暗く、慣れない目には何があるのかわからない。しかし、背筋を伸ばして向かわなければならないと思わせるものが其処にはあった。 「お前達は此処で待っていろ。」 クレフは、術者達にそう声を掛けてから三人を扉へと進むように言う。そして、三人が扉の中に入ると背後にあったはずのそれは消えてただの壁に変わり、ふいに目の前が明るくなった。 「此処って…!」 光はそう言い、海や風と顔を見合わせた。 イーグルに城内へ連れてこられた時に、気が付いた場所はここだったのではないのだろうか。 天井から無数の鍾乳洞にみられるようなものが垂れ下がり、しかし不思議な輝きを宿して、部屋全体を照らしている。 足元の、これも素材のよくわからない石は宙に浮いていて、螺旋を描きながら長く下部に続いていた。 記憶をたどれば、この一番下にはガラスのような床があって、エメロード姫の姿が映し出されていたように思う。 そして、先程の壁に扉がないのは、本来魔力のあるものは扉を必要とせずに、ここに出入りできるのだと、あの時のイーグルとランティスの様子から思い出していた。 「光!」 海の声にハッと光は顔を上げる。彼女はクレフに肩を貸し、その階段を降りていた。 その先には、風が足早に駆け下りていくのが見える。 光は感傷を振り切って駆け出すと、海やクレフを追い越し風の後を追う。 光が風に追いつく頃には、彼女はもう最下層に降り立とうとしていた。 光は足を早め風の名を呼ぶ。 「風ちゃん!」 しかし、風は光の呼びかけには答えず、手を差し伸べるのが見えた。 彼女の手の先に横たわった人影が見える。 (フェリオ) 風の唇が声にならない形をつくった。 彼の身体は最下部の床から、ほんの僅か浮いていた。長いマントは背中から床に滑り落ちている。右手は身体の横に、左手は胸の上に置かれていて、手袋をはずした手の甲には、契約のオーブが見えた。 そして、彼の目は固く閉じられている。眠っているのか…それとも…。 光は胸の前でギュッと手を握る。(そんな事あってはいけない…) 手を繋ぎ微笑み合う二人に、こんなに性急に別れが訪れていいはずが無い。 「フェリオ。」 風が、今度は声になった彼の名を呼ぶ。けれど、彼にに変化は無かった。 「フェリオ!」 声を張り、なお彼に近付こうとした風の前に、ゆらりと獣の影が立ち上がるのが見えた。 小さく声を上げ、風が足を止める。 大きな犬の姿をした黒い獣は低く唸り声を上げながら、風を威嚇した。 それは、主の眠りを守る番犬のようにも見えた。 「なん…で…?」 光の口から呆然とした声が出る。 黒い獣は、ランティスの連れていた精獣によく似ていた。同じなのかそうでないのか、光には見分けはつかない。 あの時消滅したように見えたのは、ただこちらの世界に帰ってきただけだとでも言うのだろうか。 なら…ランティスも…?浮かんだ思いに、心が揺れた。 「お願いです。フェリオのところへ行かせてください。」 隣から聞こえた風の声は細く、しかし、しっかりとした響きを持っていた。彼女はそのまま、獣に向かって再び歩き始める。 「風ちゃん!」 光が止める間もなく、風は精獣に向かって行く。 威嚇の態勢をとっていた精獣は、迷う事無く攻撃へと体勢を変える。前足を曲げ低く構えたと思った刹那、信じられない程の跳躍力で光と風に襲いかかった。 「危ない!」 咄嗟に風を庇い前に出た光の顔面に獣の牙が迫る。 子牛ほどの大きさがあるだろうが、その牙は下手な刃物なと比べ者にならない。 「殻円防除!」 その瞬間、光の前に透明な壁が現れた。クレフの魔法。しかし、精獣もそれを知っていたかのように空中で体勢を整え、元いた場所に降り立ち、再び唸り声をあげながら威嚇する。 「大丈夫?光!風!」 駆け寄ってきた海に、光は頷き返した。風は光に推し止められたまま唖然と見つめている。クレフもゆっくりと杖を降ろし、三人の元へ近付いた。 「怪我は無いか?」 「うん、大丈夫だ。…あの精獣は…。」 光の瞳は、こちらを見つめている精獣の姿を凝視していた。 「あれは、片時もフェリオの側を離れない。」 クレフは絞り出すように言葉を続けた。 「ああやって、誰も近付けさせない。」 それでもなお、フェリオの側に向かおうとした風の手首をクレフが掴んだ。 「何人もの術者に重傷を負わせている。今度近づけば噛み殺されるぞ。」 「でも…!」 悲痛な風の顔を見やって、クレフの表情も苦渋に満ちたものとなる。 「でも…フェリオ…。」 見る間に風の瞳から涙が溢れこぼれ落ちていく。クレフの瞳が横たわる人物をとらえる。 「フウの声にも…目覚めないか…。」 呻くように出されたクレフの言葉は、途方にくれた彼の気持ちを示すように虚しく響いた。 content/ next |